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「なんだ、気持ち悪い。一人で何をにやついているんだ?」

「!」

 すぐ側でヨハンが呆れたような顔をしてこちらを見ていた。ああ、どうして気付かなかったんだろう。アーベルは「なんでもない」とぶっきらぼうに答え、訓練場に足を向ける。
 ヨハンは連れ立っていた若い侍女に早々に別れの言葉を告げ、当たり前のようにアーベルを追いかけてきた。また娘を口説いていたのかと、アーベルは内心で呆れてしまう。
 ヨハンは陽気で口も達者。王宮に召し上げられたばかりの若い娘は、それにコロリと騙されてしまうのだ。そのよく回る口は今も世間話を繰り返し、彼は始終アーベルに話しかけてくる。

「第6棟に行けるんだろう? 良いなぁ、俺もお供したいぜ」

 ヨハンの一番の関心事は、完成したばかりの国営博物館の新館のことらしかった。意外なことだと、アーベルは思わず隣を歩くヨハンを見返した。

「お前、芸術に興味があったのか?」

「んーや。けど、俺の生家の近くにあった壁画も来るという話だからな」

 初耳だ。そう言えば、ヨハンは南方の生まれだったか。壁画と言うと、鬼才と名高き画家レオネッロが、若き日に数年の歳月をかけて完成させたという、あの名画のことだろうか。

「ユダの福音書」

 声に出せば、たちまちヨハンの顔に笑みが浮かぶ。

「さすが、よく知ってるな。そうだ、町一番の教会にあってな、中庭を通って奥の部屋に進むと、でーんと飾ってあったんだ。ガキながらに、すげーもんだなって驚いたよ」

「そうか……」

 自慢げに話すヨハンは、祖国のことを思い出しているのだろうか。今は無き、南の楽園。数十年前に起きたヒンメル王国との戦いに敗れ統治され、後に併合された。以前の王朝は解体され、王の1人息子がヒンメルの姫と婚姻を結ぶことで、一族は救われた。ヨハンはその息子のお供をしてヒンメルに来た。そして今も、祖国の血を護り続けている。2つの王朝の血を受け継ぐ王子は、髪色は赤毛に近く目は薄茶。病弱故に、政治には参加できないだろうが、それが逆に彼の身を守ることになった。

「ジュリオ様にも見て頂きたいな。これが俺の生まれた家の4軒隣の後ろの道を、1つ折れたころを100歩ほど歩いたところにある噴水から、北に500歩ほど歩いたところにありましたって」

「分かり難いな、お前の説明は」

 アーベルは口の端を上げて、温かな眼差しで同僚を見る。明るいヨハンは、その過去にある影を欠片も見せない。いや、少しでも不満を露わにすれば、反逆者との汚名を着せられそうな微妙な立場にあるのだ。その時は、彼の主にも疑いがかけられるかもしれない。そうなれば、兄達はどうするだろう。少なくとも、ユリアンは怒り狂って彼らを擁護しそうだ。

「ユリアン様にお願いしておこう。ジュリオ様も、今日の視察をご一緒できるよう」

「本当か? 悪いな、強請ったみたいで」

 ヨハンは企みが成功したのが嬉しいのか、機嫌よく口笛を吹いていた。


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あきゅろす。
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