ハロー・ワールド10
◆
世界の崩壊。
ずいぶんと突拍子もない話だった。目を覚ます前までの世界はとても穏やかで、世界の終わりなんて誰にとっても絵空事でしかなかった。
けれど、それこそが甘い夢だったのだ。
蝶のはばたきのようにゆるやかにやわらかに、世界は変わる。時計の砂はさらさらと、確実にこぼれ落ちている。まだ実感の伴わない、崩壊の兆し。されどやがて至る、逃れられない運命。
世界を壊す。そのために造られた存在に、果たしてそれが止められるのだろうか。
一人、部屋のベッドにもたれこむ。
水の中に居るようだった。倦怠感に身体は重く、呼吸の仕方を見失なう。息が苦しい。こんなことは初めてだった。
横たわり、眺めた天井をぼんやりと睨む。模様のない、無機質な白。見慣れたはずの光景が、ひどく懐かしく感じる。
ふと、真っ白な空間にゆがみが生じる。はっきりとした明暗。突如として浮かび上がったのは、一点の闇だった。ぽっかりと開いた穴は、ぐにゃりとねじ曲がりながら次第に大きくなっていく。
それは、己の中に根付いた鮮烈な印象が見せる幻だ。
すべてを呑み込むその闇は、あの時自分へと向けられた虚無そのもの。
「お前は私が作り出した兵器なのだ」
そう言って嘲笑った男の瞳。
幻とわかっていても、目を閉じても、脳裏に焼き付いた炎は消えることはない。すべての光を呑み込む憎悪はまるで炎のように燃え上がり、その身を焦がしていく。熱く熱く、痛みすら越えた衝動となって、全てを燃やし尽くすまで。
――呑み込まれてはいけない。
衝動がこみ上げる。気を抜けば呑まれてしまいそうになる。
刻み込まれた存在意義。絶対的なプログラム。すべてを破壊し、虚無へと帰す。
身体の内から溢れんばかりに暴れ回る情動。呑まれてなるものかと、抗い、拒絶し、否定する。しかし、炎はそれを上回りすべてを圧倒してゆく。
逆らうことは許されない、そう知らしめるように。闇は大きく膨れ上がろうとする。
「ディル!」
その声に、薄れかけた感覚が呼び戻される。
「大丈夫? うなされてたみたいだけど……」
心配そうにこちらを覗く瞳。それはディーナのものだった。ただならぬ様子を感じ、駆けつけたようだ。上下する肩に呼吸は荒く、その顔は焦燥がにじんている。
「……大丈夫だ。心配するほどじゃない」
深い闇は、いつの間にか消え去っていた。夢を見ていたのか、現実のことだったのか、記憶は曖昧ではっきりとしない。
けれど、彼女がこなければ今頃あの黒い闇に呑み込まれていたかもしれない。また、助けられてしまった。それだけははっきりとわかる。
改めてみる彼女の姿は、痛々しいまでに傷だらけだった。額や腕に巻かれた包帯、頬や身体中に残る傷の跡。これは全て、自分が付けた傷だ。叫ぶ声を、伸ばされた腕を、すべて拒絶し消し去ろうとした、あの時の傷。
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