廻る世界、揺らぐ月9
悲劇にも喜劇にもみてとれる、言葉の乱舞。まるで数多の観衆を相手にしているかのように、レッドは流暢に、そして雄弁に言葉を連ねる。
「太陽から生まれた無垢なる命も、月の元に巡りつく頃にはかつてのそれとかけ離れたものに変わってしまう。世界はそれを浄化して、すべてを洗い流した状態で再び新たな巡りへと送り出す。世界のもつ自浄作用が、穢れのほとんどを浄化し、消し去ってしまえる。しかし、時として浄化しきれないほどの大きな穢れが生じることがある。戦争であったり、革命であったり、余りに大きな変化が世界に生じ、数多の命が失われるような出来事が起こった時。世界はその穢れを対処しきれない。そうして生じた歪みは完全に消し去ることが出来ずに循環の中に取り残されてしまうのだよ。残された穢れは蓄積し、綻びとなり、徐々に世界を蝕む大きな歪みとなる。淘汰されるべき不要物。本来、在るべきではない世界の膿ともいえる存在に」
どくん、心臓が高鳴った。体温のない死者の手が、胸の真ん中を握りつぶそうとしているようだ。口腔の水分が一気に失われ、手足の先が無意識に震えはじめる。
「蓄積された膿はやがて、形を変えて世界に現れる。多くは命という形で器に宿り、生を受ける。そうして生まれたのが、君や私のような存在なのだよ。そこにあるだけで世界を穢し、歪みをもたらす。人々に負の感情をもたらし、大きな災いを招く。生まれながらにして罪を冠された、淘汰されるべき存在。それが私たち『禍罪』だ」
「……」
リサは静かに息を呑んだ。
この男の言っていることの意味が、解るようで判らない。
明かされた真実を事実としてうまく飲み込むことができずにいる。
否、受け入れたくないだけなのかもしれない。
繰り返される呼吸は浅く、息が苦しい。
感情が渦巻いて思考をかき乱していく。
「その証拠が、この赤だ。世界の理から外れた、おぞましい血の色。本来在るべきでない異質を、人々は遠ざけ忌み嫌う。世界にけして馴染めない、原罪の証」
――考えたことはないか?
こちらを見つめるレッドの瞳に、強ばった自分の顔が映っていた。
大嫌いな赤い色、それがいつも以上に醜く不気味に思えて目をそらしたくなる。
「この赤は、人々から忌み嫌われ、疎まれ。果てのない苦しみを君に与えてきたのだろう。自分はどうして、こんなにも不幸なのだろうと。ほかの人間と何ら変わらない。同じようにただ生きているだけにも関わらず。自分となにも変わらないはずの他人から恐れられ、忌諱され、否定を浴びせられる」
「やめて」
それ以上聞きたくない。
記憶の奥底。押し込めていた記憶が、感情が呼び起こされる。
拒絶の声を押しのけて頑なに閉ざしていた扉をこじ開けられる。
「それだけではない、望まぬ災いが我々と関わった人間を次々に飲み込んでいく。憎悪を吐く下卑たまなざしだけではない、自らに差し伸べられた掌。大切な肉親であっても関係なく皆不幸になっていく。それはどうしてだろうと、考えたことはないか?」
目をそらせど、耳をふさげど、脳裏に響くレッドの言葉。
呼び覚まされていくのは、忘れてしまいたかった過去の記憶。
向けられるのは恐怖に震えた忌まわしげな瞳。注ぐ怒号は罵倒の声。
『消えろ』
『近寄らないで、忌々しい悪魔の子』
鈍い痛みに、滴る赤い血。投げつけられた石が転がる。
痛い、痛い。
頬を伝うは滴。
『大丈夫』
そっと差し伸べられる暖かい掌。それでも自分を哀れんで、悲しげに抱きしめてくれた両親の腕。いつも側に居てくれようとしたあたたかいぬくもり。
暗闇の中でも救いはあった。
しかし、そんな大切な存在も、度重なる心労に心を狂わせていく。心ない言葉、自分に向けられるはずの悪意は彼らをも貫き、蝕んでいく。
みんなみんな、不幸になる。
――どうして、あたしばっかり?
考えないはずがない。それは幾度となく心を支配した問いだ。
蘇った暗闇の迷宮。深海のような息苦しさが、目の前を覆い尽くす。
「それもすべて、世界から押しつけられたこの罪のせいなのだ」
静かな声が、思考を埋め尽くした暗闇に回答を灯す。
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