廻る世界、揺らぐ月8 「世界の巡りを例えるなら川の流れか。原初の一滴はいっさいの汚れのない美しき純水だ。しかし、山を下り、川を流れ、海へと還りつくころには様々なものをその身に含んでゆく。欲望の果てに流れた多くの血であったり、生命の営みの中で生まれた異物であったり、それらを取り込み流れるうちに、水はかつての汚れなき姿とは変わり果ててしまう。その中ではらんだ汚れは、一度世界に取り込まれ再び原初へと戻る過程で浄化される。雪解けの後に再び巡るその時には、かつての美しさを取り戻す。しかし、余りに大きすぎる穢れは世界の浄化が追いつかずにそのまま残ってしまう。それは各地の生態系への異常であったり、天災という形で現れる」 止めどない流水のように語るレッドは、そこまで言って足を止めた。 「ごらん、リサ」 促されるまま、指し示す先を見やる。 「……石碑?」 目の前には彼の身長よりも大きな、結晶質の石塔が立っていた。先に見かけた無造作に転がる石群とはまったく異なり、その表面はつややかに磨き抜かれている。その特異性から、その石塔が特別なものであることが伺えた。 周囲には先ほど見つけた真っ白い花が囲うように群生しており、その花弁が放つ淡い光がライトのように石碑を照らして、おもわず目を奪われる。 石碑の前面になにか文字のようなものが掘られているのが見えた。目を凝らして見ても、淡い光だけでは読みとることができない。これは一体なんだろうか、思考を巡らそうとしたところで、答えはレッドの口から語られる。 「これは聖女の墓場だ」 「お墓……」 死者が眠る場所。それを知って、わずかに身が引き締まる。 目の前の石碑は墓標であり、そこに掘られた文字は人の名前であったのだ。 「かつて神にその身を捧げた聖女が眠る、神聖な場所。なのだそうだよ」 くく、と笑う声が聞こえた。その冷たい声に、ぞわりと背筋が震える。 恐る恐る彼を見やると、レッドはにたりと広角を歪めていた。 「神というのは、甚だ身勝手だ」 そう思わないか。 まるで炎を思わせる、レッドの瞳がリサを見据えた。 「神の愛は歪で、少しも平等ではない。一人の命を愛するために、数多の命をふるいにかける。一人の女を聖女として神格化する一方で、罪なき命に世界の歪みを押しつける。その結果生まれた悲劇に気づくこともなく、秩序のためにと裁きをもたらす。神はなんと、身勝手で愚かしいものか。そんな神が生み出した世界を、どうして愛することができようか」 どろりとした炎を思わせる紅蓮の瞳。 ぞくり、背筋を悪寒が走る。先ほどから感じていた居心地の悪さとは全く別の寒気。その瞳は、リサを見つめていながら、その姿を映してなどいない。酷く澱んだ瞳は煮えきった憎悪を沸き立たせ、彼方をじっと睨んでいる。 それがなによりも不気味で、リサは思わず身じろぐ。 「なにが、言いたいの……?」 「リサ、君に教えよう。この醜い世界の裏側を。君に押しつけられた『罪』の正体を、その不条理を」 ゆっくりとこちらへ延ばされる手。 じわじわと這いずるようなただならぬ威圧感に、リサはその手を払いのけた。 それでも、生まれた恐怖心は払われることなく心身を支配する。レッドへの恐怖だけではない。彼がこれから語るであろうすべてが、リサの中に恐れという感情として表出していた。 ――知りたい、けれど、知りたくない。 相反する感情が胸の内でせめぎ合う。 知ってしまえば、後戻りは出来ない。 「先ほど、世界の流れを川に例えただろう。たゆたう水の流れが澱むように、世界を巡る命の流れも澱んでいく。穢れなき命の循環は那由他の感情をはらみ、穢れていく」 揺れる少女の感情、それに見向くこともせず語り部は語る。 [*前へ][次へ#] [戻る] |