そして夢は泡沫のごとく2
◆
どろどろと這いずる闇が蠢いている。
ひたひと聞こえる深淵の足音。
どこかから名前を呼ぶ声がする。
「――こ、こは」
静かに、ディルはその意識を覚醒させた。
その双眼をゆっくりと開いて、しかし依然目の前に広がる闇に困惑する。
ここは一体どこだ?
何故自分がこの場所にいるのか。思いだそうにも思考に濃い霧が立ちこめていて、うまくいかない。
それでも、ここが自分の居るべき場所ではないことは判った。早くここを出なければと、本能的に身体が動く。
じゃらり。金属が重なるような音が上方から聞こえてきた。動こうとする彼の意志を押さえつけたのは、重厚な鎖の音。
そこではじめて、自分の置かれている状況に気づく。手首に伝わる無機質な冷たさ。金属でできた枷がディルの両手首に填められていた。天井から垂れる鎖が両腕を頭上で拘束し、彼をこの場に縛り付けていた。
「……くそ」
どうすることもできず、ディルは小さく舌打つ。
視界が暗闇に順応してくると、徐々に周囲の輪郭が見えてくる。
目の前に映る格子状の影。太い金属で形作られたそれは、彼の為に用意された牢獄の檻。何者かの明確な意思がここには確かに存在している。
こんな枷や鉄格子など、簡単に破壊できるはずなのに。あらがうことのできない倦怠感が重々しくのし掛かり、力がうまく入らない。
くすくす。
どこからか、笑い声が聞こえる。
無邪気な少女の声は、ぞくりと背筋を這いずる悪寒となる。
「――っ!?」
ディルはびくりと肩をふるわせた。
ひやり、つめたい感覚が彼の輪郭を突然になぞった。
それは少女の指先。雪のような細い指が、ディルの頬にふれていた。
「おはよう。ディル」
にっこりと目の前で微笑むのは金髪の少女。
あどけない笑顔は作り物のように感情を一切感じさせず、暗がりの中でよりいっそう不気味に見えた。
その少女――ニナの声が、ディルの記憶を呼び覚ました。
「離せ……! どうして、お前が」
ニナは笑みを張り付けたまま、触れた指先を愛おしそうに見つめていた。ディルがそれを振り払おうとしても、鎖で縛られた状況ではろくな抵抗にはならない。
「お前は俺が壊したはずだ」
先ほどの戦いで、ディルは確かにニナの再起不能にまで追いやったはずだった。もやがかる思考の中で、その感覚は確かに思い出されていた。
しかし、目の前の少女は白雪を思わせる美しい肌を完全に取り戻し、毒を含んだ果実の色の口腔を幼子のように覗かせている。失った片腕の歪な造形だけが、戦いの記憶を裏付けるわずかな傷跡であった。
「残念だけど。ニナはそう簡単には壊せないよ。どんなにぐちゃぐちゃにされても、ネオがすぐに直してくれるもの」
ニナは身動きのとれないディルの身体に残った肩腕を回し、身体を密着させる。
「そんな悲しい顔をしないでよ」
抵抗できないディルは彼女のなすがまま。身を預けることになる。
耳に触れるほどの距離にまで近づけたニナの唇が甘い声で囁く。
「ディルに傷つけられて、痛かったんだよ? ニナ、すごく痛かった。あなたにも同じくらい、痛い思いをさせてあげたいくらい。でも、ゆるしてあげる。やっとこうしてちゃんと触れられたから。もうすぐ、ニナのディルが帰ってきてくれるから」
触れた瞬間に身体の内側から冷たさがぞくりと這い上がるほどに、ニナの身体は驚くほど冷たい。人のもつはずのぬくもりや鼓動の音。その一切を感じることができない。ぴたりと寄り添う違和感をぬぐい去ろうにも、語りかける言葉が思考を乱す。
「……ネオも、喜んでるよ。望みを託して造った最高傑作であるあなたが、こうしてちゃんと機能してくれるんだから」
「……どういうことだ?」
嬌笑に混じる意図が読みとれずに、ディルはニナを睨む。
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