暁の鐘なりて9
「どうして邪魔をするのっ」
爆音の中、かき消されることのない恨みの声。
風は盾としてディーナを守った。それが面白くないのだろう、ニナは自らの喉が潰れることも厭わず叫ぶ。呪怨の瞳が、巻き起こった煙幕の中でも確かにこちらを捉えている。
「あああアアアアアア”ア”ア”……ッ」
抑えきれず爆発した感情を声にならない叫びと変える。
それを声と形容するには余りにもおぞましく、賤烈な情動だった。咆哮し、ニナは爆破を繰り返す。そこに精錬された意図はない、無差別的、衝動的な破壊だった。
それゆえに、その隙を縫うことは容易い。
ディルは駆ける。
先ほどまで身体を支配していた痛みが嘘のようだった。重力から解放されたかのように体は軽く、感覚は冴えわたる。煙幕にかすんだはずの視界の中でも、自らの進むべき道、たどり着くべき相手の姿がはっきりと認識できた。
ノイズのように思考を、行動を阻害していた『気配』もディルの意識から完全に遮断され、明瞭に五感は状況を知覚する。
自らを縛る鎖から解き放たれたようだった。
轟く熱情をかき消して、風は舞う。
喧噪の中を吹き抜けるように、すべてをさらい、すべてを抱いて。
一陣の風は剣となる。
風を纏ったディルは、ニナのもとへ。
チリリ、疾風が大気との摩擦を生み、千鳥が鳴くような雷撃が走った。
「くらえ……っ」
幾千もの風がディルの意志でもって強靱な矛に姿を変える。
その風は荒々しく猛り、すべてを塵に還す鉄槌のよう。されどそれは、今までの風とは違う。
凪いだ夜の海が、荒神をも食らうほどに逆巻く風を静かに包み込む。烈々たる力は、ディルの意志によって完全に制御されていた。
研ぎ澄まされた剣。
それは激烈なれど、静穏で優しく。
燃え盛る爆炎を溶かし、打ち払ってゆく。
「――――っ」
風の刃でその身を貫かれたニナが、力なく開かれた口腔から息をもらす。声にならないその音が、吹きすさぶ風にかき消された。
少女の細い身体がびくんと痙攣する。
風は少女を穿ち、その肉体の左肩から腹部にかけてを大きく損傷させた。断裂した皮膚はそこから鮮やかな血液の花を咲かせ、ニナはぐらりとその身を揺らした。
心臓にまで達した刃は、普通であれば生命を絶命に至らしめる。
硬い研究所の床に倒れ込み、びくびくと肉体を震わせる少女をディルは注視した。
まだ彼女のコアは壊れていない。コアを壊さぬ限り、どれだけ肉体を損傷させようと、たとえ心臓を抉られようと再生する。
「……ぁ、ガ……ァ…………ッ!」
ゆっくりと、ニナの肉体は再構築をはじめている。破壊された肉体細胞がバチバチと紫電をはしらせながらかつての形を取り戻そうとする。
その意志は闘牙を失っていない。先ほどまで空間を掌握していた殺意。くすぶったその火種が燃え尽きぬように、ニナは小さく唸る。
コアを完全に破壊し、ここでニナを倒す。
時間の猶予はあまりないが、動きを止めた相手を仕留める絶好の機会。それが今だった。ディルは深く息を吸う。昂ぶる気持ちを抑える為に。
驚くほど力が身体に馴染んで、少し意識を向けるだけで手に取るように
周囲の情報が知覚できる。今までにない感覚。この空間すべてが、まるで自身と同調しているよう。
――今ならば。
ディルはおもむろに、自らの散らす血の花のなかで溺れるニナのもとへと歩みを詰める。再び風を収束させ、圧縮する。一槍の刃に形を変えたそれを握りしめ、かざし狙うは命の要。
「……ディ、ル」
ゆらりと、ニナの双眼がディルへと向けられた。薄く開いた唇がディルの名を紡ぐ。真っ赤に染まった口元が、その両端からあふれた血によってさらに赤く染められていく。次の瞬間、真っ赤に染まった唇が歪な形を彩る。少女はわらっていた。
「さよならだ」
囁くと、ディルは手にした刃を思い切り振り下ろす。コアを破壊し、少女の命を無に帰すために。
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