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夜の世界10

「ダズ?」

ジャルが彼の名前を呼ぶのと、ダズが半歩身を引くのは同時だった。さらに、その人物が彼の存在に気付くのも。

「ダズくん……?」

そう言って近づいてくるのは、細身で長身の男性。背中まで伸ばした薄めの茶髪を首の後ろで一つに束ねている。フレームのない眼鏡をしており、その内側の瞳が穏やかに細められた。

「お久しぶりです……」

対峙するダズはどこか様子がおかしい。男性が親しげに近づいてくるにつれて、その余裕が消え失せてくようにも見えた。

「どうして君がこんな所にいるのかな?」

笑みを浮かべたまま、男性がダズの眼前にまで近づいた。

「いえ、少し、事情がありまして……先生は、どうして……」

「君が知る必要はないよ」

ダズの言葉を遮るように、先生と呼ばれた男は低い声を放つ。穏やかな笑顔からは想像がつかない、それ以上の追求はするな、という威圧。

「それにしても、こんな所で出会うとは思わなかったよ。元気そうだね――」

ダズは何も返さない。目線を下方に逸らすようにしてただ、男の放つ言葉を聞いていた。その様子はまるで何かに脅えるようで。

「彼女は死んだというのに」

「――っ」

まるで刃物のように、言葉が突き刺さるのが見えた。

「おい」

思わず飛び出したジャルが男の肩を掴んで二人の間に割り入る。それをさほど気にする様子もなく、男は偉くあっさりとした表情をジャルの方へと向けた。

「おや、君は彼の友達かい?ならば彼とはあまり関わらない方が良いよ。――彼は、人殺し、だからね」

「……は?」

予期すらしていなかった単語に、ジャルの動きが一瞬止まる。男はふっ、と笑い声を洩らすと肩にあった手を振りほどく。

「それでは」

短い別れの言葉を呟くと早々に踵を返し、溢れかえる雑踏の中へとその姿を消していった。
男が去った後、そこに残されたのは戸惑いだった。

「ダズ、どういうことだ?あいつの言ってた言葉。人殺しとかなんとかって……」

心の中に浮かんだ疑問を投げかけたのはジャルだった。しかしダズは曇った表情のまま視線を逸らす。

「君たちには関係ないよ。気にしないでくれ」

――頼むから、聞かないでいてくれ。
その思いを内包した、戸惑いの色が滲むその表情とは不似合いのやけに淡々とした口調のその裏には、誰にも触れられたくない彼の傷跡が滲んでいた。

「おい、ダズ……!」

「関係ないと言っただろう。お前だって、俺たちに言えないことがあるんだろう。なら!」

ならば、解るだろう。
ジャルはそれ以上の言葉を紡ぐことが出来ないようで、けれど、納得は出来ていないようで。ただ、唇を噛む。
辺りのざわめきが一層強さを増した。どろどろと絡みつくような、重く嫌な空気を覆っては隠していく。壇上に上がる司会者の道化のような前口上、湧き立つ観客に熱を帯びていく場内、オークションがはじまる。



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