SS
honey trap
コンコンと重厚な扉を鳴らし、返事を待たずにノブに手をかける。
住人からの返事は無く、ちらりと中を覗いても彼の姿はない。

「葵さん?」

呼びかけながら部屋へ足を踏み入れると、ソファーに横になっているその人をみつけた。
大きな革張りのソファーは、それでも長身の彼を収めるには少し窮屈らしく長い脚が床に下りている。

「葵さん、風邪ひきますよ。」

肩に触れて声をかけるが、返事は僅かな身動ぎだけ。
そういえばこのところ珍しく遅くまで仕事をしているらしい。

桔梗はぐるりと辺りを見回し、目に付いた葵のジャケットをそっと彼にかけた。

「…お疲れ様です、理事長さん」

なかなか葵に対しては発しない甘いトーンで囁いて、額にかかる前髪をそっと指で梳く。
安らかな寝息を立てる整った顔立ちが露わになって、思わず視線を奪われた。
ふと、薄く開かれた唇へと意識が落ちる。

「………葵、さん?」

小さく呼びかけ、葵が起きないことを確かめる。

「起きないで、下さいね」

もう一度念を押すように呟いて、桔梗はそっと身を屈めた。
そしてゆっくりと葵の唇に自らのそれを近づける。
そして、ちゅっ、と小さく啄むキスを落とした。

「……ん、っ?!」

触れ合わせた唇を離そうとした桔梗だが、後頭部を抑えられて動けない。
離れるどころか、より深く重なり合う唇。

「あ、おい…っさ、」

不意を付かれた桔梗は息を乱し、短い呼吸を繰り返す。

「おはよ、桔梗せんせ。」
身を起こした葵が髪をかき揚げながらにやりと笑う。
揶揄を含んだその笑みに、桔梗の頬はカッと赤く染まった。

「……いつから、」
「ん?」
「いつから起きてたんです?」
「さあね?」
「…っ!」

桔梗が部屋に入った時から――かどうかはわからないが、とにかく唇が触れ合う前から葵は起きていたらしい。

「……最悪です。」
「そ?俺はお姫様のキスで目覚められて最高の気分ですけど。」

いつもの葵の軽口に、桔梗は盛大なため息を漏らす。
すると葵は「あ、姫じゃなくて女王様か?」なんて冗談を呟いた。

「…お仕事は、終わったんですか。」

照れを隠すように桔梗が言うと、葵は「まあね、」と口の端を上げる。

「構ってやれなくて悪かったな。」

そしていたく真面目にそう続け、桔梗の羞恥をさらに煽った。

「別に、」
「寂しかったろ?」
「そんな事は断じてありません。むしろお仕事していただいた方が有り難いです。」

にやにやと笑う葵をじろりと一瞥して、桔梗はふいと横を向く。

「じゃあ、お仕事頑張った理事長さんにご褒美ちょーだい?」
「……嫌です。」
「くれたらもっと頑張りますけど?」
「嫌だと言っているでしょう、…………ここでは。」

目線を逸らしたままぽつりと呟いたそれだが、葵が聞き逃すはずもなく。
義弟の遠回しな誘いを受け止めた葵は、嬉しそうに口元を緩ませた。




(ったく、ほんと可愛いようちの弟は!)



あきゅろす。
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