[通常モード] [URL送信]
青天白日





屈めていた腰を伸ばして視線を転じた空に、息を飲む。
視界一面、染め上がる色。
唯々青い。果てなく青い。延々、青い。
瞬きしても、青は変わらず飛び込んでくる。
彩り添える雲も引き連れず、紺碧一つ。
理由もなく、笑みが浮かんだ。




泣く子も黙る鬼兵隊。
その、技術屋である平賀三郎は晴れ渡った空に向かい、そのまま呼吸を広げ勢いに任せ、両腕を振り上げていた。人より大きな身体が空に向かい、伸びゆく全身の筋が気持ちよい。
青は光をいっぱいに飲み込んで、ゴーグル越しでも眩い。が、目を灼く強さではない。
唯々広がる青に、身体を伸ばしたように思考も感情も開放される。

たいした、ものだ。

一人、にやにやと紺碧へ親指立ててやった。
この先数えきれない程空を仰ぐのだろうが、今日のような見事な顔で己を照らしてくれよ、と。
柄にもなく語りかけ、笑う。
そんな、またとない空なのだ。
天、高く。
青、広い。
身体も心も準ずるように晴れ渡る。気持ち良い、と心の底身体全体で実感する、が。

ふと、思考に染みが滲み出す。

この晴れ渡る空を、厭う彼の姿がじわりと揺れて、僅かに眉を寄せた。
厭う、という言葉とは少々違うのかもしれない。
この、空に。
彼はこの空に、自ら相対する資格がないのだと。眼を逸らしている事を、知っている。

背筋を伸ばしたまま、息を吐く。

その、感情は理解らなくはない。
余りにもこの空という奴は、広く広く、高くて眩い。
対する己を省みれば、余りにも多くの命を容易く絶つ事に慣れた生き物なのだと、知らしめられる。
そんな、気がする。
空を映す己の眼は、数多の屍を作り映した眼なのだと。

そんな眼で、どうしてこの広い広い空等仰げようものか、と。

幸い三郎は図体同様、正面からこの青に相対出来る位には、図太く出来ているらしい。
彼が抱く感情を理解出来ても、倣う事はない。
相応しくはないかもしれないが、己は構うものかと見上げていたいと、改めて思う。
本当に、随分と図太く生まれたものだ。







「精が出るのお」

伸び伸びとした声が青を渡り、応じて振り返る。先には着流し姿の坂本が踵を鳴らし、左手を庇代わりに矢張り青を仰いでいた。
その顔には、多分三郎自身が浮かべているのはきっとこんなものだろうと、頷くに足る笑みが乗っている。
いつの間に、と尋ねる事もない。
坂本にしろ高杉にしろ、猫のように音なくやってくる。
流石に、慣れた。

「凄い青じゃ」
「全くです」

頷いて返す。
そよぐ風すら、青を映したような心地良さ。
晴れ渡る、とはまさにこんな日の事を指すのだろう。
空は丸く、この世をくるりと包んでいるかのようである。
坂本は黙して空を仰いだままで、三郎も紺碧に眼を上げた。
坂本もまた、同じように空を厭わず真直ぐ向かう。
だがきっと。三郎のように、唯々感嘆と仰いでいるのではないのだろうとも、感じている。

それにしては少々、眼の奥の温度が低くはないか、と思うのだ。
穿ち過ぎかも、しれないが。

並んで対峙する視界を遮るものはないが、ちょっと角度を変えれば深緑揺らす梅の枝が入り込んでくる。
己等が初めてこの地に踏み込んだ時期、この梅は見事な花片を広げていたのだが、すっかり趣を変えてしまった。
高杉が梅を好む所為か鬼兵隊士は何となく、この見事な梅の木に愛着を持っている。それは三郎自身も例外ではなく、折りに触れこの下でこうして店を広げている。

「……で、どうされましたか」

坂本の事だ。鬼兵隊へふらりと顔を出す事に、別段理由等ないかもしれないが、かと言って暇な身体でもあるまい。
取り敢えず問い掛けるると、空に向けていた笑顔がそのままこちらへ向いた。

「待ち合わせじゃ」
「待ち合わせ……?」
「邪魔はせんき。ちいくと、失礼するぜよ」

広げた工具の上を流れた坂本の視線が、三郎の顔でぴたりと止まる。作業、とはいえこんな陽の当たる場所、吹き曝しの場所で行えるものだから緻密なものではなく、来客を厭いはしない。
が、大きなからくりを弄る訳でもないのだから、普通は見ていても楽しくはないだろう。
尤も、人より物事を面白可笑しく捉える坂本ならば、こんな地味な作業であっても楽しいのかも、しれないが。
それでも退屈じゃないのかと、首を傾げ、

「…………っ」

ひやりとした金属が、三郎の動きを止めた。
刹那刃かと思わせたそれは、その実そんな物騒な代物ではないとすぐに気付く。
が、ぞくりと背筋を走ったものに従って、三郎の血の気は一瞬で失せ、息を飲み込んでいた。
技術屋とはいえ、鬼兵隊に身を置く人間がこんな様を晒らす等ほとほと情けない、が。
相手が相手だ。大目に見てもらおう。
がっくりとうなだれながら背後に怨めしげな眼をやれば、こちらの首筋に煙管を突き付けた高杉が、予想通り眉間に皺を寄せていた。
ああ機嫌が悪い。それも、最悪に悪そうだと更に肩が落ちる。

「…………総督、勘弁して下さい」
「煩せえな」

鋭い視線のまま、それでも煙管が引っ込められる。
華奢な造りのそれの造り手も、まさかこんな使われ方をされるとは思わなかっただろう。

「高杉、遅かったのー」
「こいつがふらふらしやがるからだろ」

のんびりとした坂本の声に向かうかと思われたのに、何故かこいつ、の部分で三郎に向けられた高杉の視線が更に、険悪を増す。

「お、俺ですかっ?」

眉尻を下げて呻くと、漸く小さく鼻を鳴らして笑う。
が、眼は変わらず物騒な光を湛えたままだ。
素直に、怖い。

「いつもの小屋に居りゃあいいものの……」

舌打ち混じりに言われても、話が見えない。
と、坂本の手がにゅっと伸びてきて高杉の頭をぽん、と叩いた。

「その様子じゃと、随分と探したようじゃな」
「頭を叩くなっ」

噛み付くような、険しい高杉の視線は坂本へと照準を移したが、彼は笑顔でその艶やかな髪を撫で、何故か得意げだ。

「平賀を待ち合わせ場所にしようゆうて、あっさり頷いたのはおんしぜよー」
「大体、テメエがじっとしてりゃあ……」

坂本の手をどかしながら、再び睨まれる。
片手の平を高杉に向け、会話から広い上げた言葉を順に整理してゆき。

「……待ち合わせ、と仰いましたか」

そして視線を若干、険しくした。ゴーグル越しのそれが、どれ程伝わったものかは、解らないまでも。
坂本は高杉を撫でようと、高杉はそれを除けようとし続ける。鼬ごっこの二人だが、どう見ても高杉の方が分が悪い。

「……ひょっとしなくても、俺が『待ち合わせ目印』でしょうか?」
「他に誰がいるんだ?」
「いや、誰って……」

普通は生き物を、加えて人間等待ち合わせ目印にはしない。
待ち合わせとは、『場所』をして待ち合わせるものだろう。
なんだか頭痛がしてきた。

「……理由をお聞きしても?」
「簡単ぜよー」

漸くぽん、と再度高杉の頭を軽く叩いた坂本が、その手を取られる前に高杉に両手の平を向けた。
予想通り、突拍子もない言を吐いたのは坂本らしい。

「おんしはデカいからな。目立つきに」

えへん、と誇らしげに胸を張る。
さも名案、と言った輝かんばかりの態度へ三郎はぽかんと、高杉は苛立たしげに眼を向ける。
何を言い出すかと、思えば。

「…………いやあの……」

目立つとかそういう問題じゃないだろう。
突っ込みたい。
激しく突っ込みたいが、何故か高杉は真面目に怒っている。
明らかに、坂本の常識外の発言をすんなり受け入れて、ふらふら動く三郎に怒りを向けている。
人を勝手に待ち合わせ目印に指定しておいて、それも知らせず怒られても困る。
困る、のだが。

「………………す、すみませんでした」

謝ってしまった。
高杉が大真面目に頷く。

「気を付けろよ」
「……はい、以後気を付けます」

一体何に気を付ければよいのだろう。
がっくりと落とす三郎の肩に重く疲労がのしかかり、人知れず涙を拭う。

「で、何だよ。坂本」

からからと笑って鬼兵隊のやり取りを眺めていた坂本は、高杉の言にぱちくりと瞬きした、後その視線を掬うように空を、さした。
三郎も釣られ、見上げた空は。
変わらぬ、紺碧。
果て無き色。

「……えい空じゃ。おんしに、見せとうてな」

天、高く。
青、広い。
唯々晴れ渡る。
彩どり添える、雲も引き連れずに。

この、空に。
眼を伏せる彼を、知っている。
息を飲む、晴々した空を見上げたまま、ちらりと高杉の様子を伺った。
他でもない。
空より視線を伏せる、のは。

「…………坂本、」

三郎は思わず、目を見張る。
深い深い高杉の翠の双眸が、真直ぐ広がる青を見上げていた。
空を、終ぞ見上げる事のなかった彼が。

「…………用件は、これだけか?」
「そうじゃが?」

空を映したような青風が、深い色に沈む高杉の髪を揺らす。
視界を染めるそれはなんて、広い広い空なのだろう。

「今日はまたとない快晴じゃ。果てなく果てなく真っ青に、広がるもんはこの空ぐらいのもんやろう。陸も海も覆うこの空の前の、わしらのなんとちいぽけな事」

気付けば坂本も見上げている。
指差した手を庇代わりに。
大の大人が三人、唯真直ぐ空を仰いで、いる。

「わしらが何をしようが、こんな果てのないもん、気にも止めんと思わんか」

広がる青のように、坂本の声が晴々と響く。

「ちいぽけなわしらには、こんなデカいもんどうにも出来ん。例えば目指した志には手が届いても、この空には手が届かんように」

だから、仰ぐぐらいいいじゃないか、と。
示すように、風がやわらかく坂本を通り過ぎ高杉の髪を擽って、ゆく。
果てなく果てなく広がる空。
そう例えば己達は、確かに人道基づかぬ行為を繰り返しているのかも、しれない。
戦場で数多の命を斬り裂く事。
幾度も全身を、血で染める事。
それは確かに、例えば遥かな空に今は亡き人を想うのならば、眼を伏せてしまう事なのかも、しれない。

だが、それは。
だが、それは己に定めた志に恥じるものでは、決してない、筈だ。

まして所詮は人の身。
この一面の紺碧に、瑕疵等残せよう筈がない。


「……なら、見上げて笑えばええ。笑い、飛ばせばええ。莫迦みたいに果てない空へも、ちいぽけなわしらに、対しても」


風が髪を揺らし、梅の梢に葉音を残す。
果てなく果てしなく、広がる空の下。
どのくらい、唯空を仰いでいたのか。
眩い紺碧を飽くなく見上げたまま。









「…………そうかも、しれねえな」

高杉は小さく、笑った。














「……お見事でした」

余すところなく広がった紺碧は、やがて西から鮮やかな茜へと趣を変えてゆく。
あれから顔を出した桂が高杉を連れてゆき、着いてゆくかと思っていた坂本は結局一日、この梅の側に居た。
三郎は手元の工具を片付けながら、嘆息と笑みを漏らす。
久し、振り。
本当に久し振りに、あんな顔をして空を見上げる高杉を、視た。
別に。空等見なくとも生きては行けよう、が。

「なに、おんしのお陰ぜよ」

茜に染まる坂本が、ひょいと工具の一つを手に取った。
ふと、その横顔へと視線で問い掛ける。
と、坂本が大層楽しげに声を上げ、笑った。

「おんしの事じゃ。今日のような空ならば、きっと外に出てると思うとった」

我ながら図太く生まれ付いている。
言葉通り、三郎はこの空の下に在った。
人を目印にするなんてと頭を抱えもした、が。
だがそれは、高杉を普通に呼び出すよりも。ずっと。
故に、三郎を指定したのだ。
場所ではなく、必ず空を仰ぐ平賀三郎、を。

「……たいした、方ですな」
「おんしも、な」

笑う坂本へ、苦笑を合わせる。
空は見事な黄金を飲んだ、茜色。
どちらからともなく幾度目かの空を、仰いだ。

きっと、明日もよく晴れる。
ならば明日も、この空を仰ごう。


彼と、一緒に。






青天白日




笑い飛ばして、ゆこうじゃないか。


















Special Thanks. project.青天白日!

.





第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!