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其は陰を視たか


*鳩様:アルアスでシチュお任せ



人々集う華の都。

この国の心臓とも言うべき都心は正に憧れの地であり、今日も羨望と嫉妬の意識が向けられる。

住むは天上人、歩くは上流貴族。

煌びやかで雅やかな雰囲気溢れたその街路に、闇は突然差した。





「酷い・・・」


その有様は、思わず手で口元を覆ってしまう程の酷さだった。

美しく並べ立てられた石畳の路上。

高価な靴を汚さないようにと清掃者が日々磨くその一角には、夥しい量の血痕が飛び散っていた。

まるで落としてしまった水風船のように、淵を棘に象った歪な円形に広がる巨大などす黒い赤。

そして微かに漂う、鉄の臭い。

未だ乾ききっていないそれは、時間の経過の少なさを暗に伝える。


「これで三人目ですね・・・」


必死に目を逸らすまいとするアスベルに声をかけたのは、信頼のおける部下の一人だ。

彼も血塗れの石畳に顔を青くしているというのに自分が怯えてどうすると、内心叱咤しながらアスベルは頷く。


「ああ。・・・被害者の身元を割り出してくれ」


はっ、と敬礼した彼が仕事に取りかかる様を見て、アスベルは改めて血溜まりに目をやった。

よくよく目を凝らせば、血溜まりの中心に布らしき物がある。

すべてが真っ赤に染まっているが、仕立てといい形状といい、恐らくは高級な物。

そしてこの血の主である人物が、身に纏っていたであろう衣服。

辺りがざわついている。

聞きつけた野次馬達が、だいぶ距離を取りながらもこの血溜まりを眺めている。


───またか───

───今度は誰が───

───警察は何をしてるの───


不安と興味に満ちた囁きが聞こえる。

そう、これは初めてではない。

夜明けと共に人の目に触れる、都心を狙った怪奇事件。

あるべき筈の死体がなく、致死に至る大量の血だけが残されている、人の仕業にしては狂った、この世ならざるモノの仕業にしては俄かに信じがたい殺人───。





懸命の捜査により、血痕の持ち主は昨夜から行方知らずとなっていた貴族の男であると判明した。

だがわかったのはそれだけで、何故殺されたのか、死体はどこに消えたのか、犯人は誰なのかもまったく掴めず。

夕刻に差し掛かり、人も疎らになって、今日はこれ以上の捜査は難しいだろうと判断したアスベルは部下達に解散を命じた。

上司であるアスベルに似て皆真面目な部下達は、互いに労いの声をかけつつも進展のない捜査状況が悔しいようで、すぐにでも些細な異変に気づけるようにと目を光らせて帰るという。

仕事熱心で被害者を思いやる優しさも持った彼らに負けるわけにはいかないと、アスベルも帰りがてら街路だけでなくあえて路地裏等の小さくて人気のない小道を通った。

もしかしたら次の犠牲者を狙う怪しい人物が潜んでいるかもしれない、そう思うも、実際には人の気配すらなく。


「・・・?」


路地裏にしては少し広い道に差し掛かったところで、アスベルは足を止めた。

もう一つ先に交差する十字路、その左方へ銀色に光る何かが消えていったような気がしたのだ。

猫等の動物の尾や毛並にしては目線が高すぎるし、装飾品や今世においては持つ者が限られる剣銃の類のように硬くはなく、寧ろ靡くようにふわふわとしていた。

何だろうか、気になったアスベルは銀色が消えた方へと向かう。

黒ずんだ壁を曲がったところで、


「───!!!」


目を瞠った。

そこは行き止まりのようで、僅かな奥行き以外はすべてを高い壁に覆われている。

その正面となる壁には、アスベルが知る限りでこれで四度目となる巨大な血痕。

あの石畳の血溜まりを、そのまま壁へ映し出したかのよう。

そして、壁の前にはこちらに背を向けて立つ一人の男。

黒い着流しにかかる長い髪、それが先程見た銀色の正体であったが、唐突に目にした異様な光景に不覚にもアスベルの思考は止まっていた。

男が振り返る。

金と淡蒼の双眸がアスベルを見据え、そして。


「間が悪いね」

「・・・、え?」


ふっとかき消えた。

アスベルは目を擦る。

そこには男はおろか、血痕すら存在しない。

まるで今見たすべてが幻だったかのように。

ただ、残り香のように仄かに甘い香りが漂っていた気がしたが、路地裏特有の湿った空気に霞んで消えた。





数日が経った。

あれから事件の進展はまったくと言っていい程なく、同時に次の血溜まりも現れる事はなかった。

アスベルは部下達にそれとなく銀髪の男の目撃情報も探らせたが、犯人同様こちらもまったくわからずじまい。

男は事件の鍵、もしくはそれに近いものを握っている。

そう勘が告げているのだが、こうも正体が掴めないと事件解決に急く己の心が生み出した幻影だったのではないかと自らを疑ってしまう。

どちらにせよ、事件が起こらない現状を喜ぶべきか憂いるべきか。

このまま犯人逮捕まで何も起こらずにいてほしいと願う一方、嵐の前の静けさのような不気味な心地もつきまとう。

昼休憩、昼食を取る為にアスベルは目に入った食事処へ立ち寄った。

昼時を過ぎた時間帯故か、中はがらんとしている。

ずっと目撃情報を聞き込んでいただけに人付き合いに少し疲れ、見知らぬ他人が大勢いる空気は遠慮したいと思っていたアスベルは、ちょうど良いと入った。


「甘口のカレーを一つ」


壁にかけられた献立、その内の好物の名を見つけたアスベルは店主に注文を入れる。

店主からの応の声を聞いてから、他の客が来店しても極力関わらないようにと入口から見えにくい店の奥へと向かい、


「あ」


思わず声を上げた。

そこには先客がいた。

普段なら目にも留めず他の席を探していただろう。

しかしこちらに背を向けて腰かけるその後ろ姿は、見覚えがあった。

黒い着流しに流れる銀色の長髪。

密かに探し求めていた、幻のように消えたあの男の特徴の一つだ。

アスベルは足早に近づいた。


「すまない、少しいいか?」


声をかけつつ、彼の横に立つ。


「ん?君は・・・」


男が振り返った。

アスベルの姿を映す金と淡蒼。

気怠げな雰囲気を纏ってはいたが、間違いない。

あの男だ。


「話がしたい」


事件の真相や、それに近い存在であるならしらを切られる事も多い。

だからアスベルは、あえて逃げ道を塞いだ。

ゆるりと瞬いた男は、ああ、あの時の、と唇を吊り上げた。

向かいの席を示される。

座れ、との事らしい。

男が逃げる等といった怪しい動きをとってもすぐに動けるよう、警戒を潜めながら椅子に座る。

さりげなく男を見、職業柄身についてしまった観察を始めた。

薄暗い路地裏とは違い、窓からの日光で明るく照らされた彼の容姿は、頗る良い部類に入ると思う。

すらりとした長身は恐らくアスベルよりも上。

あの時は気づかなかったが、輪郭にかかる癖っ毛気味の銀色の髪、ちょうど左耳の後ろ辺りから鳥のものだろう三枚の飾り羽根が覗いている。

袖から覗く腕や手のひらは細いが引き締まっていて、武器かそれに近い物を日常的に持つ者のそれだ。

今指先に手にしているのは獲物ではなく高そうな煙管だが。

ゆったりと白く、どこかで嗅いだ覚えのある甘い香りの紫煙を吸ってから、男は「で?」と。


「話とは?」

「・・・先日の」


一度言葉を切ってから、アスベルは男を真っ直ぐに見た。


「先日の路地裏の状況と貴方の関係性について、詳しく話が聞きたい」


すっと男の目が細められる。

ゾクリ、と悪寒がして、アスベルは無意識に腕を摩った。

笑っている表情なのに、それがどこか恐ろしく得体の知れないものに思えた。


「・・・君は『日常』を破壊される覚悟があるかい?」


ほんの少し低くなった声で問われる。


「日、常・・・?」

「人としての平穏な生活、でも当たり前として持っている常識、でも良い」


平穏な生活、常識。

それは警官を目指し、部下を指揮する今の地位へと昇格した現在において最も遠ざかってしまったもの。

日々強盗や果ては殺人等の犯罪に関わらざるを得ない日々は、それ自体が既に普通からかけ離れている日常だ。

それに、新しい被害者の発生を阻止する為に危険を冒してでも真実を突き止めたい。

アスベルは頷いた。


「それならもう出来ている」

「・・・・・・そう」


ふう、と彼が紫煙を吐いた。


「お待ちどう!」

皿に食欲を唆る香りを漂わせたカレーをよそった店主が、まるで会話が途切れるタイミングを狙ったようにアスベルの前に差し出した。


「あ、ありがとう」

彼を見つけた期待感と喜びにうっかり忘れていたが、そういえば昼食を取る為にこの店に入った事を思い出した。

何だか話の腰を折るようで申し訳なく思いつつ男をちらりと見ると、彼は特に気分を害した様子もなく。


「話は食べ終わってからにしようか」









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