飛縁魔の純欲
*鳩様:フリュンベルグ(勇者)をたぶらかそうとしたシルヴェル(妖怪)が逆にたぶらかされて食べられる
灯篭の火だけが小さく燻る薄闇の中。
壁にもたれていたシルヴェルは、月を隠す程大きな蝙蝠と目を合わせていた。
互いの紅い目が見つめあった後、暫くして軒下にぶら下がっていた蝙蝠が夜闇に飛び立っていく。
「・・・ふぅん。勇者、ね」
蝙蝠はシルヴェルの配下で偵察の任を担っているが、彼が運んできた情報は一人の男の来訪だった。
勇者───最近各地を支配する同胞達を片っ端から消滅させ、人の世に光を取り戻しているという選ばれし人間。
「でも所詮は男」
舌舐めずりをしてシルヴェルは裾をかえす。
艶かしい白い素足が踏むのはイグサの香り漂う畳だけではない。
「ぅ・・・ぅぅぅ・・・」
「シ・・・ル・・・」
呻き、力なく転がる痩せこけた男達。
まだ若き活力が漲る二十代であった筈の彼らは、まるで死期を悟った老人のように生力をなくし、濁った目はただ虚ろにシルヴェルの姿を探している。
シルヴェルはぱん、と一度手を叩いた。
灯篭からさらに離れた濃い闇に、人のモノではない気配が複数。
必死に伸ばし、裾を掴もうとする力すら弱々しい男の手を払って命じる。
「片づけるように」
是、と応えがあった背後からは、か細い悲鳴と喰らいつく音が聞こえたが、シルヴェルの意識は既にまだ見ぬ勇者へと向けられていた。
東の国にある、常闇の街。
昔はただの平凡な村であったが、名のある妖怪シルヴェルが棲みついてから常に空を夜が覆い、いつしか出来た色宿によって花街として有名な地となった。
街の名の由来は朝の来ない様子からであったが、何百年も経った今、その真相を知る者は人間にはいない。
常に軒下を色とりどりの提灯が照らし、華やかな衣装を纏った色気溢れる女性とその傍らに伴った身なりの良い男が宿へ消えていくのは、この街では既に常識だ。
この街の娼婦は質が良いと各地から金のある男が集まる。
その金目当てに数多の女が集まり、一晩の春を買う為に男が多大な金を落とし、その金で店主の懐は潤っていくばかりだ。
街の領主として支配するシルヴェルが各色宿に利益の五割を献上するよう命じているが、それを差し引いても尚あまりある巨大な売り上げだ。
常闇の街は日に日に富も大きさも増していく一方であった。
人間の情欲を刺激する香が漂う街中を、質素な着物を身に纏ったシルヴェルはすれ違う人々の間を縫うように歩いていた。
まだ今宵の相手を見つけていない男達がシルヴェルの姿を見ては暫し見惚れる。
流れるような銀色の髪を高く結い、魅惑的な光を持つ真紅の瞳、何よりその美しい顔立ちはどんな着物を着ていても男の目を引いてしまう。
普段はその美貌を利用して金も生気も溢れる獲物を漁るシルヴェルだったが、今日は誰にも目を配る事はしなかった。
「もうそろそろ足を踏み入れているはずだけど・・・」
探し人は勇者。
前々から配下に聞く勇者とやらが気になっていて、自らの元へ訪れるのが待ちきれなかったのだ。
勇者は普通の人間とは違う気を持っているそうなのですぐに見分けがつくと思っていたが、こうも人が多いと探すのもままならない。
とにかく見落とさないよう、喧騒の中をひたすら歩いていた時だった。
「・・・シ、シル!」
がしっと掴まれた腕。
振り返ると、この街の表街道には相応しくないみすぼらしい格好をした男が。
「お、お前に会いたかった」
逃がすまいと強く掴んでくる男は、以前は一つの町を治めていた大富豪だった。
だが今は、家を持たない浮浪者と何らかわりない。
シルヴェルに魅入られ、金も生活も権力も心すらも捧げた結果だった。
「な、なぁ、俺と一緒に暮らしてくれ!お前さえいれば、俺はやり直せる・・・!」
「痛・・・っ!離、して」
ぎりぎりとやせ細った指からは信じられない程の力で握られて、シルヴェルは顔を顰めた。
痛がる様子を気にも止めず、男はさらに指を食い込ませていかに自分が立ち直れるかを語っている。
こいつ、木っ端微塵にしてやろうか。
痛みと比例して沸き起こってきた怒りに常に影に控えている配下を呼び出そうかと考えが過ったと同時だった。
「何をしておる」
不意に横から伸びた手。
軽々と男の指を引き剥がし、シルヴェルを庇うように前に出たのは、一人の男だった。
「な、何だお前は!」
「貴様に名乗る名等ない。失せよ」
「お、お前さてはシルに惚れてるな!渡してたまるか!・・・ぅっ!」
何が起こったのか、男の背に遮られて見る事は叶わなかったが、男の腕が動いた後に呻き声が聞こえたので、殴ったのだと予想がつく。
こっそり覗くと案の定しつこく詰め寄っていた男は腹を押さえて伸びていた。
「怪我はないか」
男が振り返る。
「・・・ん」
頷きながらも、シルヴェルはこの男から目を離せなかった。
白銀色の髪を三つ編みにし、こちらを見下ろす薄紫の双眸。
端正な顔立ち、そして褐色の肌。
何より彼から溢れる気が。
・・・見つけた。
シルヴェルは内心で舌舐めずりをした。
他のどの人間よりも清冽で強い生力。
間違いない、彼が探していた勇者だ。
「助けてくれてありがと。・・・もう宿は取った?」
「・・・いや」
尋ねれば首を振る勇者。
好都合だ、とシルヴェルは笑みを浮かべた。
「助けてくれたお礼に僕の宿に泊まっていってよ。もちろんお代は取らないし」
シルヴェルが持つ宿は、色宿と普通の宿、二つの顔を持つ。
入って西が色宿、東が普通の宿だ。
色宿を目的にこの地を訪れる者は多いが、中にはただ旅をしている間に寄った者もいる。
だが常闇の街には普通の宿はここ以外に存在しない。
皆色宿の方が儲かるからという欲の結果なのだが、そもそも旅人がこなければこの街の噂自体が各街へ伝わらないのだ。
あえて普通の宿も備える事で旅人を泊め、本人も気づかない内にこの街の情報を備えさせて広めてもらうよう送り出す。
そうして旅人が常闇の街の評判を広げる事によって新たな客を呼び込み、その循環のお陰で今の常闇の街があるといっても過言ではなかった。
シルヴェルはついてきた勇者を宿の東へ案内した。
その最奥、実は一般には知られていない高級な一室へと通す。
花街のすべてからかけ離されたそこは、花街が動とするならばまさしく静であった。
喧騒が届く事はなく、夜空に相応しい静寂が満ち、空気も清々しい。
窓から見えるのは夜に咲く美しい花々だ。
「ここは相当な値が張る部屋ではないのか?」
どこか気品漂う様を感じ取ったのだろう、足を踏み入れた勇者が問うてくる。
そうだね、と頷いたシルヴェルは笑みを浮かべる。
「でも助けてくれた恩人に対しては全然足りない方だよ。見たところ騒がしいのはあんまり好きじゃなさそうだし、この街にいる間はここでゆっくりと寛いでほしいな」
是非そうしてほしいという願いを込めて見上げれば、勇者は頷いた。
「ならば言葉に甘えさせてもらおう」
「ありがと!」
よし、とシルヴェルは嬉しさを乗せてますます笑みを深くした。
この宿はシルヴェルのテリトリーだ。
そこにさえ留まってくれるならば後は赤子の手を捻るようなもの。
せっかくの活きの良い獲物だし、ゆっくり堕とすかな。
企みを胸に秘め、もう食事時だしご飯を持ってこようと退室しかけたところで腕を掴まれた。
「・・・名はなんという」
そういえば名乗っていなかったか。
浮かれていてすっかり忘れていたと、シルヴェルは名乗る。
「君は?」
「フリュンベルグだ」
「フリュンベルグ、・・・長いな、フリュンでいっか」
心の中だけといえどいつまでも勇者呼びだとうっかり口にしてしまいそうなので、名乗ってくれるのは非常にありがたい。
名前をしっかりと覚える為に舌で転がしつつ、シルヴェルは改めて部屋を後にした。
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