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愛情の深夜食


ふと、目が冴えてしまう事がある。


「・・・」


夢も見ない程熟睡していた筈なのに、意識が覚醒したユーリは、暗い部屋の壁にかけられた時計に目をやって上半身を起こした。

短長二つの針は起床するには早過ぎて、起き続けるには遅過ぎる時刻を指している。

見なくても外が星をばら撒いた黒紺色の空と漸く冷えてきた夜風に満ちているのは想像に難くない。

そっとベッドから降りる。

暗闇に慣れた目は、同室者のフレンやレイヴンが毛布に包まって寝息を立てている様子を映す。

ユーリは万が一にと枕元に備えてある愛剣を見やって、しかし結局手に取らないまま部屋を出た。

20歳未満の者が多い船内、ギルドの仕事で疲れが程良く溜まるからか、若者ですら日を跨ぐかどうかの時間には就寝する。

その為通路はひっそりと静まりかえっていて、暗さも相俟ってこれにさらに古びたボロボロ感さえつけ足せば幽霊船と称してもよさそうな程人気はなかった。

怖いモノが苦手な者達ならば決して一人では出歩かない通路を、ユーリは臆した様子もなく歩く。

もとより怪談云々で怯えるような性格ではない。

ユーリが向かったのは食堂だ。

単に喉が渇いたので、水を飲みがてら何か軽い物でも作ろうと考えた結果なのだが。


「・・・ん?」


誰もいない筈のそこから、僅かに光が漏れている。

扉がほっそりと開いていて、どうやら先客がいるようだ。

灯りの消し忘れ、という可能性は、十分過ぎる程戸締まりをチェックするコンシェルジュの存在があるのでほぼゼロに近い。

ユーリと同じく水でも飲みに来たか。

ユーリは扉を開き、食堂内に入った。

灯りは台所から放たれていた。

調理場であるそこに、見慣れた後ろ姿が立っている。


「・・・アルギュロス?」


ユーリは訝しげに声をかけつつ、彼の元へ歩を進めた。

ただ立っているならともかく、まな板の上で何かを切るような、言わば調理中によく耳にする音が聞こえたからである。


「・・・あれ、ユーリさん?」


声に気づき、彼───アルギュロスが振り返った。

その手には小型の包丁が握られ、灯りを反射した刃がギラリと光り。


「待て。おまえ何してるんだ」


ちらりと見えた切り刻まれた鶏肉、それらにすべてを悟ってユーリは慌てて止めに入った。





「ん、美味い」


塩などで軽く味付けしただけのスープを差し出せば、ゆっくりと啜ったアルギュロスが満足気に唇の端を吊り上げる。

アルギュロスから包丁を取り、椅子で待つよう指示してからかわりに調理し出してから十数分。

幸い鶏肉はまだ切る、の段階で、味付けはまったくされていなかった。

もしユーリが食堂を訪れるのが遅かったら、出来上がっていたのはどんなに調味料を加えても味がまったくしない水そのもののようなスープであっただろう。

いくら作っている量が少量といえど想像には難くなく、それを未然に防げた事にユーリは密かに安堵する。

自らの分もよそったお椀の淵に口をつけ、簡易ながらなかなかの出来と自負するスープを飲んでいると、程良く茹で上がった鶏肉を咀嚼しているアルギュロスがこちらをじっと見ている事に気がついた。


「ん?どうした?」

「・・・ユーリさんってさ、結構ピンポイントで味の好みを突いてくるよね」

「そうか?」


ユーリは目を瞬かせる。


「ん。大抵の料理って結構味が強いし」

「・・・おまえの料理に比べれば、どれも味が強いだろ」


アルギュロスの場合は本人の味覚が音痴レベルまで薄口であり、その舌に合わせて料理も味が薄くなるといった状態だ。

レシピ通り作れば一般料理くらいは出来る・・・とは本人の言ではあるが、その料理を誰も見た事がないので信用している人は誰もいないのが現状である。

と、ここでユーリにとある疑問が芽生えた。

それはアルギュロスのみならず、腐れ縁(ユーリ談)のフレンにも通じる素朴な疑問だ。


「・・・気になったんだが、おまえ、本当にオレの料理が美味いって思っているのか?」

「ん?どうして?」

「オレが作っているのは、全員が普通だと思える味付けの料理だ。おまえにとっては、味が強いんじゃないか?」

「んー・・・まあ、そうだけど・・・」


考える素振りを見せつつ、アルギュロスがスープを一口飲む。


「でも美味いっていうのは嘘じゃないよ。確かに僕が作るのよりも少しだけ濃いかなって思うけど・・・不味いとか、普通って思った事はない。多分、フレンさんも同じじゃないかな」

「・・・何でそこでフレンが出てくるんだ」

「え?気になってるんでしょ?」

「いや・・・」


ユーリは曖昧気味に緩く首を振った。

どうもアルギュロスは相手の心中に鋭い時がある。

出来ればばっさり否定しておきたいところではあるが、僅かといえど気にかけているのも事実で、言い切るには少々大人気ない。

スープをすべて平らげ、ご馳走様、と手を合わせたアルギュロスが、ふと悪戯気にユーリを見た。


「もしかしたら僕もフレンさんも、料理に込められた君の『愛情』に美味しさを感じているのかもね」

「そりゃ光栄だな」


愛情、それは美味しい料理の隠し味として聞かれた時にユーリが答える言葉。

実際に多少の差はあれどどの料理に置いても愛情を込めて作っているつもりだ。

しかし、とユーリは遠くを見やる。


「その『愛情』が、あいつの料理となると途端に間逆の味を生み出すんだよな・・・」

「それはそういう『愛情』なんじゃない?」


くすくすと笑うアルギュロスが食器を流し台へと片付けに席を立つ。

その途中で、あ、そうだ、と。


「今度、今夜のお礼に得意料理を作ってあげるよ。もちろん、『愛情』を込めて・・・ね」

「やめろ。それだけは絶対にやめろ」


ユーリは顔をしかめた。

味の違いはあれど方向性は同じアルギュロスが『愛情』を込めたりなどしたら、それこそとても食べられるような味ではない料理が仕上がると簡単に想像出来る。

ユーリが否定するのは予想した上での言葉だったのだろう、アルギュロスの本格的になった笑い声が静かにユーリの耳に届いた。





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