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君の虹彩に捧ぐ僕の醜態



ナマエと呼ばれる海兵は美しい見目をしていた。空気を含むたび、さらさらと揺れるやわらかな白銀の髪の間から覗く瞳はその柔和な様相とは裏腹に、肉食獣の獰猛さを孕んだような、鋭く鈍い金色の虹彩が光を反射して輝いていた。その双眸は対峙する人間を圧倒し、心を揺さぶるような厳かな雰囲気を放つ。まるで、神話に出てくる一角獣のようだと思った。

シャチは手元のサンドイッチを口に放り込み、ペンギンと共に食堂へ足を踏み入れたその男を、気づかれないようサングラスの下で追いかけながら、咀嚼を数度繰り返し、唾液と一緒にパン生地を飲み込んだ。慣れ親しんだそれの味を今さら確認することもなく、何の味わいもなく喉を通り抜けていくざらついた生地。無意識に飲み込んだせいか、喉を撫でる感触が尾を引き、水入りのグラスに手を伸ばす。

自分たちの船の船長は、あまり自身のことや、過去のことを話したりする性格ではないが、ナマエが、あの人にとって、昨日今日の仲ではない、特別な存在であることは察しがついた。あの人の口から唯一聞いたことがある、海兵の話とは、仕草や見た目の雰囲気も一致しているとは言えなかったが、その"命の恩人"も、確か、ヘビースモーカーだったな、と幼い頃に教えてもらった、酷く朧げな記憶が蘇る。これから先、船長が成し遂げようとしている計画のことを考えると、このタイミングで現れた知り合いは、死神のようにも、天使のようにも見えてくるような気がして、ナマエは、その存在自体が運命を変えると思わせる、そういう不思議な引力を持っていた。


「シャチ、食べカスついてるぞ」


同じ食事を乗せた皿を手にして、目の前に腰を落とす二人。ペンギンに指差された自身の唇の始まるところを拭うと、確かに、爽やかな香りのオレンジソースが指を湿らせた。ペンギンと一緒に、テーブルを挟んでおれの目の前に座ったナマエは口元を微笑みの形に変えて、どーも、と愛想良くあの獣のような金色を細める。長旅の準備をしなくてはならないキャプテンをただ待つのも手持ち無沙で、食堂に来たのだろう。それにしても、同じ白のユニフォームとは言え、このハートの海賊団の食堂内で、海軍の軍服姿の馴染まなさといったらすごい。本来敵対しているのだから仕方ないことだが。金色は、僅かに食堂の景色を目だけで見回した。本人もこの場にいることの違和感を感じているのだろう。無理もないが、どこか落ち着かない面持ちで、サンドイッチを頬張るナマエは、見た目にそぐわず、存外、人間らしさがあった。

食事をしながら、白い髪を鬱陶しげに耳にかけたナマエの指の下から覗いた耳には、いつかの町で、キャプテンがあつらえていた高価なルビーの宝石が飾られていた。女にモノをあげたりしないあの人が珍しいと思っていたから、そのデザインをよく覚えている。まさか、この男が身に付けているとは思いもよらなかったが。血のように輝くピジョンブラッドのルビーは、男が身に付けても到底似合うような代物ではないが、神秘的な容姿の目の前の男には何故か、調和が取れているような気もする。明らかに虫除け用の、それに、まるで首輪みたいだ、なんて考えながら、おれは疑問に思っていたことをナマエに問いかけた。


「ナマエは、キャプテンといつ出会ったんだ?」


子供の頃から、おれとペンギンとベポは、キャプテンの世話になっていたが、ナマエのような男の話は一度も耳にしたことがなかった。だから、どこか、放浪している時にでも、キャプテンと深い関係にでもなったのかと予想していたが、ナマエの答えはおれやペンギンの予想に反したものだった。むぐむぐと、口の中の物を飲み込んだ彼は、出会った頃のことを考えているのか、んー、と思案するように鼻を鳴らした後、自身の横で手の平を床に向かってかざした。このくらいの身長の時だな、と。

恐らく、140cmかそこらの身長を指し示す手のひらに、おれとペンギンは思わず顔を見合わせた。おれ達はキャプテンがそのぐらいの頃から、四六時中、いつも一緒に行動していたのだから、もしも、あれ程キャプテンが入れ込む様な人がそばに居たのだとしたら、知らないはずがない。そうなると、この人とキャプテンが出会ったのは、おれ達と出会った時よりも前ということになる。

サンドイッチを食べ終えたナマエは、一緒に持ってきたコーヒーを優雅に口元へ運び、一口飲み込んだ後、物足りなさそうに黒い液体を見下ろした。それを見て、海軍コーヒーは苦過ぎると、いつかどこかで聞いた噂を思い出す。うちのコーヒーでは、いつもの刺激が感じられなかったのだろう。ナマエはもう一度、コーヒーを一口だけ口に含み、喉へ流し込むと、静かにカップをテーブルへ戻した。


「それならさあ、ナマエは"コラさん"って人のこと、知ってるのか?」


コラさん、という単語に目を見開いたナマエは、再び、んー、と鼻を鳴らし、困った様に眉尻を下げながら頬を掻いた。そして、俯く様に瞼を伏せる。髪色と同じ白くて長い睫毛が瞼の際を埋めて、金色は姿を消した。おれは、質問の直後に彼が、こちらの左胸のマークに視線を注いだことを見逃さなかった。暗に、これ以上何も話す気はないと言いたげな瞼を見つめる。明日にでも世界が終わってしまうのではないかと錯覚させるような悲哀を押し殺したような、そんな表情だった。

おい、と低く響く特徴的な声。ナマエとペンギンの背後に突然姿を現したキャプテンは、明らかに不機嫌な様子で、こちらをじとりと見下ろした。遠出用の少し大きめなリュックを肩にかけている。旅の準備が整い、ナマエを迎えにきたのだろう。おれは、背中の殺気を察知したであろうペンギンと再び目を合わせて、二人同時に頷いた。決してやましいことをしてるわけではないのに、おれの声はなぜか誤魔化すように大きくなった。


「あっ、キャプテン!ナマエと一緒に朝飯食べてたんすよ、な、ペンギン」

「…ああ。まだおれ達、ナマエのことをキャプテンに紹介してもらってないですからね…。馴れ初めを聞いてたんです」

「…馴れ初め?」


いつも優しいはずのペンギンの、どこか冷ややかな態度を目の前に、ますますおれの背中を汗が濡らした。紹介なんかされなくても、あのピアスでナマエとの関係は言わずもがなだろう。余計なことを言ってキャプテンを怒らせるなよ、と視線でペンギンに訴えるも、目深に被った帽子のせいで、表情はわからない。相変わらず自身にのみ注がれる、罪人を咎めるような視線に、客人を丁重に扱っただけのおれ達が一体、何の罪を犯したっていうのだろう、と思わずにはいられなかったが、所有痕のためにピアスを付けるような相手だ。相当、執着しているのだろう。その威圧感に今にも両手を上げそうな心持ちで、な、ナマエ、と最後の助け舟にSOS信号を込めた視線を送れば、背後に般若の形相をした男を背負いながら、ナマエは、悲しげだった瞳に再び柔和な笑みを浮かべた。それから、ロー、と、妙に鼓膜触りの良い落ち着いた声で、我らがキャプテンの名前を呼ぶ。


「なんかおれ、安心したよ」


お前がこんなに心を開くとはね、と。きれいに整った薄く色づく唇が、嬉しそうに弧を描く。ほんの一瞬の沈黙の後、舌打ちを寄越したキャプテンを視界に収めたくて、おれは、ナマエの背中の顔をサングラス越しに凝視した。ペンギンも同じことを思ったのか、勢いよく背後を振り返る。しかし、それよりも数秒速く、目深に帽子を被り視線を逸らしたキャプテンはナマエの腕を掴んで無理矢理席から立たせると、その場から姿を消した。一瞬の出来事。しかし、この目には、サングラス越しでもわかるほど、赤くなったキャプテンの耳がしっかりと焼き付いていた。




君の虹彩に捧ぐ僕の醜態




キャプテンいってらっしゃい、という言葉とはあべこべに、別れを惜しみわんわんと子どものように泣く船員たちを置いて、おれとローはトルの背中に乗って青空へと上昇した。小さくなった黄色の潜水艇から未だに響く、船長を送り出す声援は、風の音に掻き消されそうになりながらも、長らく空気を震わせた。おれは、自分の顔の周りを熱い血液が巡るのがわかった。目の前が、不透明な霧に覆われるように水平線がぼんやりと滲む。何というか、ローがあんなに船員たちに愛され、必要とされている事におれは、とてつもなく感動していた。この男を連れ出してしまった罪悪感を覚えながら、あっという間に小さくなってしまった潜水艇に、肋骨の奥に熱がじんわりと広がっていく。

不意に腕を引かれ振り返れば、こちらを確認したローは、なんであんたが泣きそうなんだよ、と呆れ声を寄越した。溜め息混じりに呟かれたその言葉に、初めてこんなことで泣きそうな自分に気付く。下降から巻き上がる風が、自身の目の縁を濡らした。情けない奴だと思われたくなくて、液体がこぼれ落ちないように、出来る限り瞼を持ち上げる。きっと、おれは訳がわからない奇妙な顔をしていただろう。泣いてない、と言い訳を伝えようにも、今にも嗚咽が喉を通り抜けそうで、言葉を発することもできずに唾を飲み込むだけ。ローがこの世界で、仲間たちに愛されていることが心から嬉しいと思えると同時に、頭の中に流れ込んでくる大切な人との別れの映像に、自己嫌悪で叫び出したくなるくらい胸が苦しくて辛かった。

泣いていると思われたくなくて、空気を飲み込み続け、瞬きひとつしないおれに、ローは再び呆れたように溜息を吐き、鋭い双眸の瞼をゆったりと下ろした。まるで、もう見てない、とでも言うかのように。滲み過ぎて三重になった視界で、晒される窪んだ瞼を捕らえた瞬間、自身の眼球のどこにそんな水分があったのか、堰を切ったようにぼろぼろと大粒の涙が溢れだす。おれの頬を手探りで撫ぜる指先は、ひんやりとしていて気持ちが良かった。瞼を下ろしたまま身を屈めるローの、降りてくる口付けを受け入れる。壊れた涙腺から、止めどなく溢れる涙のせいで、ふやけた唇の隙間をしょっぱい液体が濡らした。触れるだけの優しすぎる感触に、しゅるしゅるとしぼむ風船のように力が抜けていく。無理矢理持ち上げていた瞼の筋肉の緊張も緩み、重力に従って目の縁が下瞼と合わさって、おれの網膜は、柔らかに光の滲む、皮膚の裏側を認識した。






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