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心臓を駆け巡る紫電




見開かれた瞳と視線が交じり合って、おれは、ああ、元気そうだ、なんて親戚の子に久しぶりに会った時のような、年寄りくさい感想が頭の中を過ぎった。そしてそれと同時に、視界に広がる世界は一変した。ユニフォームの如く、同じつなぎを纏った海賊たちに囲まれるという、物珍しい光景はもう目の前にはない。その代わり、難しい文字の書かれた分厚い背表紙の本がまばらに積まれた机が現れた。必要最低限の生活品と、たくさん本が置かれた部屋。整理されているとは言えないが、机の上で不規則に重なる本たちは、埃が被ってる様子もなく、手にすることが多いのだとわかる。勉強熱心なこの海賊船の船長のことを思うと、またも、年の離れた親戚のような、感心するなあ、なんて考えが浮かんだ。きっと4年前の自分と比べて、将来が安心な奴だ、と、そんな風に思うのだろう。海賊に将来も何も、と思うが、本当にそんな、変なことを思うのだ。実際は、たくさんの心臓を海軍に送りつけてくる、やばい奴なのだが。

だから、ローに甘えられるといつも少し、意外だ、と感じる自分がいた。これが甘えられていると表現して良いのかわからないが、瞬間移動を経て、二人だけになった途端、背中から伸びてきて、こちらの体を捉える両腕は接着剤で固定されているみたいに、ぴくりとも動かなくなった。まるでおれの背中を自身の胸の中へ取り込むみたいに、ぎゅうぎゅうと抱擁されると、胸が千切れそうで苦しかった。

この部屋に移動するのなんて、たった数歩で済むはずなのに、わざわざ、あの魔法のような能力を使う必要があったのだろうか。急いで二人だけになって、おれを取り込まなくてはならない理由があったのだろうか。オペオペの能力は体力を要するから極力使いたくないと言っていたのはローだ。ぴったりと背中の隙間を埋める温度に、嬉しいような照れ臭いような感情が、炎のようにせり上げてきたが、その熱はほんの数秒だけで、すぐに冷静なものへと変わった。 乱される感覚器官を、どうにか脳が無理矢理、押さえ込んでいるのかもしれない。窮鼠が、逃げ道を確保するみたいに。

だから、おれの脳は、この状況に適当な理由をつけた。あの、シャンブルズ、って唱えて指を返すやつが、どれくらい体力を消耗するのか、おれは詳しく聞いたことはなかったし、これくらいの移動は消耗に含まれないのかもしれないな、という風に。瞬間移動は日常茶判事、そう、誰に対するものでもない、妙な理屈を勝手に一人で納得して、やっと、感情と理性の拮抗が保たれ、自分自身に戻れるような気がするのだ。

そういうおかしな儀式を自分の中で何とかこなして、やっと、よしよし、って言葉が喉の奥から絞り出せるようになる。音にしたら怒り出しそうだから言わないけれど。右肩にのっしりとかかる黒い重みに手を重ねて、閉じた口の中で、声にならない、よしよしを繰り返す。全然人に懐かない猫が体に擦り付いてきた時って、こういう嬉しさがあるのかもしれないな、とおれは冷静になるため、自分を分析するという妙な儀式を続けながら、黒髪に指を絡めて、柔らかい皮膚の感触をふわふわと撫でてやる。正直、おれは犬派だ。だけど、それでも、背中に取り憑く黒猫のせいで、心臓は小鼠のそれみたいに早かった。


「なに話してた」


あいつと。
肩の骨にめり込む黒髪から発された静かな問いかけをすぐに理解することができなかった。何か聞き逃したのかと、頭の中でもう一度、言葉を繰り返す。あいつ、って誰のことだろう。話すって何を、と考えながら、先程、ローと目が合った瞬間を振り返り、ああ、もしかしたら、と一人の顔を思い浮かべる。ペンギンのことかもしれない、と。

くだらない話だ。誰かに話たって面白くもないし、話たそばから忘れてしまうような、ただの、世間話だったはずだ。強いて言うなら、最後にペンギンが、何か謝らなくてはならいと、言いかけていたことが気になっていだけれど、それも、この背中の船長さんによって会話を中断されてしまった。

不意に、肩から重みが消える。未だ離してくれる様子のない腕の中で身を捩り、背後の男が何を思ってそんなことを聞いてくるのか、確かめようと振り返れば、眉間に皺を寄せ、目だけでこちらを見下ろす、物言いたげな双眸と視線が交わった。目が合うのは今日で二度目だ。おれは、自分で言うのも何だが、学習能力が高い。ローと過ごすようになってから、彼の表情を読み解く能力が備わったと思う。だから、何となく未来を予見することができた。今の質問に対してどんな返事をしても、この男は納得しないだろう、と。それなら、返事はしてやらない。代わりに、目の下で窪んだ薄暗い皮膚を、親指の腹で撫でてやる。他の四本の指に触れる頬に比べて、その部分は少しだけ体温が低い気がした。指の温度が心地良いのか、こちらを見下ろす瞳から、わずかに力が抜ける。それを見て、こちらまで穴の空いた風船みたいに力が抜けていく気がした。

まるで、自然と、そうすることが当たり前みたいに、ローは身を屈め、おれは少しだけ高い位置にある首に自分の体を支えるために腕を回した。どちらともなく縮まる距離、焦点が合わないほど近づいた顔に瞼を下ろす。暗がりの向こうの、生温い体温の気配を感じて、それからすぐに、唇にやわらかい感触。背中からするりと腰に下りてくる腕に、このままいつもみたいに、行為に及ぶのかと思ったが、与えられる体温や口づけは、いつまでたっても性欲のにおいはしなかった。






ナマエが、この船に出向いた理由には、察しがついていた。しかし、まさか、掃いて捨てるほどいる海兵の中から、この男一人で、おれを迎えに来るなんて誰が想像しただろう。白いコートの下にきっちりとスーツを着込み、明らかに仕事中であることを差し引けば、自身の船の船員になったみたいで、少し嬉しいと思った。あとで、適当な理由をつけて、船員の服でも着せてみようかと考えながら、腕の中の体を抱きしめる腕に力を入れる。

それに呼応するかのように、ロー、とおれの名を呼ぶナマエの声は、優しく笑みを含んでいた。顔を見なくてもわかる。また、あの、眉尻を下げた、こちらを諭すような、そういう表情を浮かべているのだろう。底抜けに優しい、と昔は思っていたが、自身が恋人に昇格してからというものの、そうでもない、と気づいた。それは優しさの本質にある。この人はどこか自身の人生を遠慮していて、奥深くで、自分の本当の考えを突き止める前に、色んなものを手放している、と思う。そのため、自分が身を引く理由や、逃げ道をいつも無意識に用意している。そういう、掴みどころの無さは、特別な関係を意識してからも、変わらないが、それでも構わなかった。恋人同士になるということは、おれにとって、ナマエを縛るための、ただの契約だからだ。

本日何度目かの口付けを享受して、離れていく白銀のふわふわと揺れる前髪を視界で追いかける。こちらを見つめる金色の双眸は、一体何を見ていて、どんな判断をしているのか、全くわからないが、医者か何かのように、頬の温度を両手で確かめつつ、おれの顔を眺めた。そして幾ばくもしないうちに、ゆるゆると、満足気に細められていく瞳に、胸の奥が締め付けられる。息のかかりそうな距離で、ナマエは、また、おれの名を呼んだ。


「おれの恋人は、ロー、おまえだけだよ」


三日月型に細められる金の双眸。おれが望んだ通りの言葉を、頭の中を透かし見るように、紡ぐ薄い唇。案外、自分は単純だと思う。たったそれだけで、この人は、おれのモノ、と、子どもじみた独占欲が満たされていくのだ。

しかし、ナマエの言葉はこの欲心の全てを、取り払ってくれるわけではない。何となく、こうなることは最初からわかっていた。なぜなら、これはただの、契約だからだ。向けられた優しい言葉は、まるで、自分自身に言い聞かせるみたいな、そんな違和感が含まれていた。




心臓を駆け巡る紫電




風で揺れる真っ白なシーツからは、若草を彷彿とさせるような、爽やかで澄み切った清廉な香りがした。この周りだけ、少しひんやりとしている気がするのは、朝の空気を、濡れた布たちが冷やすからだろうか。いくつも、等間隔に並ぶシーツは、風が吹くたびに、パタパタと舞い上がり若草の香りをさせて、洗ったばかりのまだ冷たいそれに顔を埋めたくなる衝動に駆られる。大所帯のこの船で、洗濯は結構な肉体労働だが、この爽やかで、きれいな時間は、心も洗われるような気がして、嫌いではなかった。カゴいっぱいに詰め込んだ白布たちを甲板へ置き、自身の体よりも大きな布を広げ、物干し竿へかけていく。このカゴの分を干し終えれば、今日は終わりだ。本でも読むか、なんてこの後の予定を考えながら、手元の白を、片付けていく。

風を受けるたびに、シーツたちは透明な空気を含むように、中央から丸みを帯びて、目一杯まで膨らんだあと、四隅へ風を逃がすように、ぱたぱたと端を揺らし、力なく元の位置に戻っていく。無重力空間にいるかのように、ふわふわと、世界を白だけで覆ったかと思えば、再び膨らんで、見慣れた甲板が現れたりする。そんな、みずみずしい景色の向こうで、海を眺めているナマエの姿を見つけた。風で舞うたびに視界を遮るシーツと、同じ真っ白な出で立ちのせいで、気づくのが遅れてしまった。

船の縁で水平線を眺めている後ろ姿が、風が吹くたびに、視界に現れる。何故かその背中から目が離せなくなって、窃視することでナマエを自身の中に取り込もうとしているような、そういう変な気分になった。最後のシーツを、物干しへかけて、甲板に置いていたカゴを片手に、いくつもの白布の間を縫って、その背中へ近づく。ナマエ、そう名前を呼びかければ、細い銀糸を風で揺らし、太陽の光を反射する美しい金色はこちらを振り返った。それから、ペンギン、とその、凛とした顔に柔らかな笑みを浮かべるのだ。


「何してるんだ、こんなところで」


ナマエは、トルを見てた、と空をゆったりと旋回しながら羽ばたく大きなフクロウを指差した。随分遠くにいるが、しっかりとこの船についてきている賢い、彼の愛鳥に感心すれば、眼下の美しい男は自分が褒められているみたいに嬉しそうに、少しだけ、微笑む。あの船長が、この人を溺愛してしまう理由を納得するのには、十分な、笑顔だった。


「キャプテン、から今後の話は聞けたか?」

「ああ、聞いたよ………まったく」


海軍を使いっ走りか何かと思ってんのか、とナマエは苦笑を浮かべながら、誰にいうでもなくそう、至極真っ当な不満を漏らした。しかし、大して怒った様子はない。キャプテンが、本部招集に応じなかったのは、海軍にこの船へ、出迎えさせるためだった。おれ達がこの船で海軍本部へ行けば、新世界のスタートラインへと戻ってしまうことになる。七武海になる目的は果たすし、船の旅路も効率良く合理的に進める。どちらも譲らない。だからこそ、単独行動を選んだ。あの人らしい選択だ。そして、おれたちの船はこれから、ゾウ、という、ベポの故郷へと指針を進める。すべて、計画の通り。

まあ、つまり、キャプテンは海軍を旅行船の往復便のように迎えを寄越させたことは間違いない。誤算といえば、ナマエがたった一人でこの船まであのフクロウに乗って、キャプテンを迎えにきたことだろうか。いつも冷静なあの人の驚いた顔を見たのは、久しぶりのことだった。


「あ、ペンギン、朝の……なに?」

「ん、…あぁ、謝りたかったんだ」


以前会った町で、秘密にしてほしいと頼まれたが、おれは、キャプテンにナマエが町に滞在していることを報告した。任務の邪魔をする気はなかったけれど、キャプテンがナマエが居ることを知ったら喜ぶだろうと思ったし、あの人にとって、ナマエは必要な存在だと、そう感じたからだ。だからおれは、約束を守れなかった。そう、説明すれば、こちらを見上げる彼は、一瞬目を見開き、そして、すぐに、あの緩やかな微笑みを浮かべ、いいよ、別に、と答えた。

穏やかな金の瞳に見つめられて、肋骨の奥がざわざわとした。いつもナマエを目の前にすると、内側からじくじくと胸が叩かれて、焦燥感にかられるのだ。その度に、白銀の髪や、滑らかな白い肌、宝石のような瞳を縁取る白くて長い睫毛に、触れられたら少しはこの歯がゆさも、落ち着くのだろうと思う。けれど、それは絶対にできなかった。

若草の香りのする風が、ナマエの銀糸を揺らす。髪の間から覗いた、薄い耳たぶで輝く赤い宝石が、おれに警告を与える。この世で唯一、触れてはいけないモノで、この人を視界に入れたいと思う感情すら、正しくないことなのだと、自分に言い聞かせなくてなはならない。最初から成就しないとわかっているのに、この人に惚れてしまう自分の、不運さを呪わしく思った。





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(ナマエ、朝食、食べて行くだろ?船内、案内するよ)
(ん、ありがと)

(カゴを戻したいから、洗濯室に寄るな)
(りょーかい。ああ、洗濯担当だったのか。どうりで、ペンギンから爽やかな匂いがすると思った)

(…ああ、おれは、この匂い好きなんだ)
(へえ、…….おれも好きかも)

春みたいな、若草の萌ゆる景色が目に浮かぶ。
ナマエは、そう、小さく呟いた。






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