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疼く心臓を掻き毟った



腐敗した死の臭いでもしてきそうな気味の悪い見た目のそれらは、その物々しい様相とは裏腹に、透明のビニール袋のようなツルツルとした触り心地がした。まるで食料保存用のビニールに包まれているローストビーフのように、生ぬるい温度が手の平の上でトクトクと脈打つ。この、どう考えても論理を超越した施術をやってのける能力者をひとりだけ知っていた。

平和な昼下がり、唐突に新本部の港へ届いた木箱。隙間なくびっしりと詰められた脈打つ狂気的な物体を目の前に、軽い頭痛を覚え、吸い込んだ煙を、ため息と共に深く深く追い出す。嫌がらせか、と言いたくなるような送りものに嫌でもあの、縁深い外科医の顔が思い浮かぶ。さすがに毎日新聞を賑わすだけのことはあり、この送り主に想像が付いているのであろう、兵士たちの張り詰めた空気が、チクチクと自身の肌を刺した。


「…トラファルガー・ローだ。医療班を呼んできて心臓の持主の特定をしてくれ」

「は、ナマエ大佐」


事後処理を部下たちに頼み、港を後にする。おれは元々、呼び出されていた上司の執務室の扉の前に立っていた。どうも、妙に嫌な予感が、もやもやと頭の奥で立ち込める。革製の吸殻入れに煙草を押し込みながら、今日何度目かもわからない溜息をこぼした。こういう勘っていうのは、どういうわけか当たることが多いから困るのだ。

吸殻の火が押し潰されるのを見届けてから、腹を決め、扉を叩く。これから提出しなくてはならない報告書のことを思うと、気が重たくなった。


「モモンガさん、お呼びですか」

「ああ、ナマエか、入りなさい」


中央のデスクで、積まれた書類と睨み合う険しい顔の主は、こちらを見る余裕もないのか、さらさらと忙しなくペンを紙の上で走らせ続けた。真面目、苦労人。この人にはそんな言葉がよく似合う。中間管理職という苦労の多い立場になってからと言うものの、貫禄のあるその顔に刻まれた皺の数は増え、最近ではますます威厳ある風格を纏うようになった。その気苦労を思うと胸が少しだけ痛み、おれは、少しでもこの人の役に立てているのだろうか、と疑問が湧いてくることもある程だ。

幾ばくもしないうちに、さらさらと途切れなく紙を流れていたペンの動きが止まる。書類をチェックするように、紙の隅々まで目を走らせたモモンガさんは、ひと段落とばかりに息を吐き、やっと、顔を上げた。こちらを真っ直ぐに見つめる、いつもと変わらない凛と引き締まった表情になぜか安心する。


「任務だ、ナマエ」


この人のはっきりとした聞き取りやすい声色は、見た目に寄らず、爽やかな音をしている、なんて余計なことを考えながら、返事をし、デスクへ足を進める。

腕を組み、神妙な面持ちでこちらを真っ直ぐ見つめる瞳に、これから"嫌な予感"が、見事に的中するような、確信にも似た気配を察知する。


「今朝、港に心臓が届けられたな」

「ええ、海賊のモノですよね」

「あぁ、そうだ。…その送り主である、トラファルガー・ローが、七武海入りする事が決まった」

「…なるほど」

「招集の手紙は今朝、奴の手元に届いているはずなんだが、移動する様子が見えなくてな…」


奴の案内を頼む、そう言い切られた言葉に、敬礼を返しながらも、おれは、どんな表情をすれば良いのか、わからなかった。当たり前だが、非番ならまだしも仕事上では極力、会いたくない相手である。


本当はあの日の夜、ローをきちんと説得して、前を向かせてやるつもりだった。ただ、切実なあいつの双眸に見つめられて、絆されてしまったおれは、なぜか、どういうわけか、自分でもアホだと思うが、ローに、自身の恋人の席を明け渡したのだ。おれだけじゃない。お互いにそうした。それが正しかったのか、よく分からないが、その時のあいつは、めちゃくちゃ嬉しそうに喜んでくれて、可愛かったから、これで良かったのかな、なんて、適当に考えていたが、もしかしたら窮鼠を追い詰める猫のように、あいつの手の平の上で踊らされていたんじゃないかと、今では思うほどだ。

そう、そもそも、よく考えてみたら、珀鉛の少年だったローに対しそういう感情を抱く罪悪感以前に、おれとあいつは、海賊と海軍なのだ。そう易々と、"恋人"が成り立つわけもない。しかも、おっさん同士だ。

それからと言うものの、女の子に告白されても、ゆきずり的に夜の誘いを受けても、罪悪感から、手を出すこともできず、何度、思慮の及ばない自分の浅はかさを呪ったことだろうか。そして、こんなにも会うこともできず、アホなおれを恋人にしたいなんて本気で考えている、ローの覚悟にも何度、脱帽したことだろう。








本部を出て、数日。カームベルトの上空は、昼夜問わず、天災もなく平和そのものだった。昼間の空は抜けるように青く、海は底知れず青い。夜はやわらかな黒の世界に包まれる。最も美しいのは、夜明け間近だ。世界が目を覚ます瞬間、水平線は金色に輝き、淡い青から、深い青へ世界が染まり始めるのだ。その瞬間は何度見ても飽きなかったが、楽しみといえば、それくらいだ。物資調達のために島へ降り立ち、休止しなくてはならないこともあるが、それ以外は順調で、順調過ぎて退屈な旅路だった。地平の彼方で交わる青い線を見ること以外にすることもなく、持参した本を拡げる。自身の体の下で羽ばたく、大きなワシミミズクが、時折鳴く声を聞きながら。

ラプターは主に個人で利用する、移動用のための軍用機の総称だ。大型の鳥類に、座面と手綱を取り付けたもので、単独任務の多い海兵には、必然的に所有している者が多い。自身の愛鳥である、ワシミミズクのトルは、もう何年もの付き合いである。


「トル、お腹空いてない?」


隙間なく埋まる美しい羽毛を撫でてやると、灰色のワシミミズクは、ピーヒョロロロロ、と風のような、のどかな声で機嫌よく返事を寄越した。

人懐こく優しい彼の声を聞きながら、先の島で仕入れておいた、トルの朝ご飯であるペットフードを麻袋から引っ張り出す。恐らく別の動物の肉を固めたであろう団子状のそれの匂いを嗅ぎつけてか、羽ばたく速度を少し落としたトルは、コロコロと嬉しそうに鳴き声をあげた。しっかりとキャッチできるよう、彼の前方へ、ご飯を放り投げてやる。見事に食事にありつけたトルは、一鳴きすると、再び羽ばたく速度を上げて、海路を進んだ。ハートの海賊団の船までもう、まもなくだろう。




疼く心臓を掻き毟った




「ペンギン、東からバカでかい鳥が一直線にこっちに向かって来るんだけど」


太陽が顔を覗かせた、明け方の時間帯。双眼鏡を両目に当て、見張り台から叫ぶシャチの、慌てた声を聞いて、東に広がるコバルトブルーの空を見上げると、確かにこちらに向かって羽ばたく大きな陰がいた。見たことがないほど、巨大なフクロウ。シャチの声を合図に、敵襲に備え寝室から出てきた船員たちが武器を構える。起き抜けのせいか覇気はない。みるみるうちに大きくなるその鳥は、朝の風を巻き上げながら、その巨体を上昇させ、マストの周りを旋回した。

その巨大フクロウの背中には、見覚えのある白銀の海兵の姿。すぐにその人物が誰であるかわかった。ナマエだ。こちらの様子を一通り確認した彼は、フクロウから飛び降り、月歩で軽やかに甲板へ足をついた。相変わらず、薄い唇には煙草を咥えて、こちらの殺気も、物ともせずに、目的の人物を探すため、船の中を見回す双眸は宝石のように美しい。


「海軍が単独で乗り込んでくるとは…どういうつもりだ?」

「待てジャンバール、みんなも武器を下ろせ、たぶん、キャプテンに用事だ」


殺気立つ船員を宥めれば、こちらを振り向いたナマエは、おれを見つけると、人懐こく緩く口元に笑みを浮かべて、おれの名を呼んだ。久しぶり、と。風に舞う白いコートに映える銀髪の下で、ゆったりと細められた瞳に、肋骨の下がむず痒さを覚える。この人の笑みを見ると、気分が満たされていくような不思議な気持ちに包まれるのだ。

それぞれ武器は下ろし、警戒態勢は解いたものの、物珍しさからか、その場を離れようとしないクルー達に囲まれながら、ナマエは困ったように頬を掻いた。そして、少しだけ彼と面識のあるシャチやベポの顔も、しっかり覚えているようだったが、目的の人物が居ないとわかると、真っ先におれの方へ歩いてくる白銀色に、自分が、ふつうよりも少しだけ彼と親密であることへの驚きと、ほんの少し混じった優越感のような感情を覚えて、自分で、自分が嫌になる。

煙草の吸殻を吸殻入れに押し込みながら目の前までやってきた彼の髪は、最後に見た時はブロンドに染められていたが、元の美しい色を取り戻していた。確か、煙草屋の前で小銭を貸してやったんだった。その時もこの広い海で偶然にも会えたことに、心臓が跳ね上がるくらい、嬉しかったことを覚えている。


「ナマエ、久しぶりだな。今日は小銭、足りてるのか?」

「はは、問題ないよ。ペンギンは元気だった?」

「ああ、おれは元気だ。そうだ、ナマエ、あんたに謝らなきゃならないことが……」


あの町でのこと。しかし、おれの言葉を遮るように、船内へ続く扉が開き、ナマエの視線は素早くそちらへ向けられた。お目当ての登場だ。







「お前ら騒がしいぞ……、ナマエ?」








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