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真っ赤な唇には毒がお似合い



およそ数ヶ月ぶりに会って、まず最初に頼まれたことは小銭の両替だった。煙草屋の前で、なんとかニコチンにありつけた男は煙草を咥えたまま、久しぶりだなペンギン、と花が咲くように唇を綻ばせる。

町の道端で思いもよらず呼ばれた自分の名前。自身の海賊船は食糧調達と、薬品の調達のため、この町に数日停泊していたが、名前を呼ばれるほど親しくなった覚えのある人間はいない。警戒をしながら、その声の主を視界に捉えて驚いた。まさか、この男に会うことがあるなんて、誰が想像できただろう。煙草屋の前で財布を片手にひらひらとこちらへ手を振る見覚えのある顔。あの町で別れたのはもう半年以上前のことだ。胸の奥底で密かに気にしていた彼に会えたのはとても嬉しいが、声をかけられて、その人が、ナマエと同一人物であると理解するには、少し時間を要した。

あの、強烈なほど印象に残っていた美しい銀糸の髪は、元からそうだったかと錯覚するほど、丁寧な金色に染められ、代わりに、元々金色だった瞳の虹彩は海のように透き通るブルーに覆われている。白銀の特徴は消され、小綺麗な装いは、ある意味、別人と言えた。おれは、元々のナマエの方が好きだったが、何か理由があってこんな格好をしているのだろう。自身の容姿を凝視されてか、ナマエは、ああ、とひとり視線の意味を納得したように、金の髪をかき上げた。この上なく色っぽい仕草に、少しだけ肋骨の内側が疼く。容姿は変われど、さらりとやってのける艶めかしい態度は相変わらずだ。本人が無自覚なのだからタチが悪い。金髪から覗く耳には、以前はなかったピジョンブラッドの宝石が鎮座していた。明らかに男から贈られたであろう品に、一瞬我らの船長の顔が思い浮かび、なぜだか、胸の奥で黒い炎がざわめき立つような感覚がした。


「ちょっと変装が必要なのよ」


おれの気も知らずにナマエは呑気にそう言うと、いつものままだと目立つでしょ、とため息とともに煙を吐き出す。確かに彼の銀髪は嫌でも視線を集めてしまうだろう。



この国は裏の世界ではその名がよく知られていた。一般家庭以上に生まれつけば何不自由なく暮らせるこの裕福な国の、生活を潤わせているのは、裏世界での麻薬取引に他ならない。この国は何年か前に、医療用としてケシの栽培が世界政府から認可されている。当然、医療用のためというのは表向きの理由で、生成される純度の高いアヘンは、ほとんどが気持ちよくなるため、もしくは大金を手に入れるために取引されているのだろう。一見平和そうな暮らしをしている人々も、ここ数年で、足下の歯車が狂いはじめていることくらい察しているはずだ。この国で任務があるとしたら、きっと麻薬戦争にでも用があるのだろう。危険な目に遭うかもしれないし、キャプテンの耳に入れておくべきか。そんな風に考えていたのを、鋭く見抜くようにナマエは、おれに会ったことは秘密にしてね、と告げた。


「極力、目立ちそうなことは控えたい」


煙草屋の前に備え付けられている灰皿へ吸い殻を押しつけながら彼は慈しむような微笑みを浮かべると、潜入捜査中だからさ、と付け加えた。



真っ赤な唇には毒がお似合い



レストルームの鏡に映る自分自身の気味の悪い姿に、おれはため息を禁じ得なかった。女性は大変だと思う。長い髪は鬱陶しいし、服は動き辛いし、ヒールは足が痛いし。こんなことを常日頃からやっているのかと思うと頭が下がる思いだ。肩口できれいに切り揃えられた自身の金髪に見慣れるどころか、違和感しかないが、自身の色の白い顔や髪には自毛かと錯覚する程、よく馴染んでいる。なるべく男の筋肉を露出しないようにと選んだ、地味目な濃紺色のチャイナドレスだったが、露出してようがしていまいが、自分自身の女装姿は気持ちが悪い。さっさと鏡から離れようと、貧相な胸をそれらしく盛り上げるため、適当に詰め物を突っ込んでいく。

この町で麻薬の裏取引を捕まえることは、あまり意味がなかった。いくらでも資源がある限り、取引は人を変え場所を変え行われる。イタチごっこだ。この国では毎日、認可されている量とは明らかに異なる規格外のケシが栽培され、アヘンとなり、他国へ輸出されている。今回の単独任務はその証拠を掴むため、大量のケシを栽培する畑の場所を突き止め、軍へ情報を持ち帰ることだった。しかし、何週間も国中を隅から隅まで探し回ったが、どうしても証拠となる畑が、見つからないのだ。とんでもなくデカい畑なのだから、すぐに見つかるだろうと高を括っていたが、甘かった。周到に隠されているとわかってから、おれは地道に畑を探す作戦から、麻薬王の幹部に近づき情報を聞き出す作戦に方向転換した。

安直な考えだったかもしれないが、鼻の下を伸ばして近づいてくる男たちが多く、何かと女の姿は都合が良い。この姿を借りて名を売っていくうちに、すぐにこの国で麻薬取引が最も盛んに行われる集会への招待状を馬鹿な男から手に入れることができた。パーティーと呼ばれる集会には、この国の裏の顔、麻薬王も顔を出す。どうせ馬鹿どもが、麻薬をキメて飛びまくる阿鼻叫喚の図にでもなるのだろう。今日は、畑の場所を聞き出す、絶好の機会だ。


「よし、行くか」


最後に身なりを整えて、おれは趣味の悪いシャンデリアの照明で輝くホールへ足を向けた。どこから湧いて出たのか、かなりの人数が会場には集まっている。空気中には、なんとも言えない独特な匂いと霧が立ち込めていて、視界が悪い。上質なカーペットの上で、高い服が汚れるのも気に留めずに横たわり、恍惚とした表情で気持ちよさそうに煙を吸い込んでいる貴族たちが、そこら中にいた。どいつもこいつも、この国で財力を誇る、見たことのある顔ばかりだ。この人の数と立ち込める煙の中では、お目当ての幹部級の男たちを探し出すのは苦労しそうだな、と考えながら少し歩いていると、小綺麗な男のウェイターが、シャンパンの入ったグラスをトレーに乗せ近づいてくる。トレーには、ご丁寧にも小分けされた白い粉も積まれていた。貴族たちが吸ってるのはこの粉の煙だろう。良い趣味である。怪しまれないように、グラスと粉を一つ手に取り微笑み返せば、ウェイターは僅かに頬を赤らめると、一礼して去っていった。どうやら、おれが男であることは一切気づかれていないらしい。もらった酒に口をつけながら、会場を一周して、端へと移動する。麻薬王の姿も、幹部の姿もどうも見当たらなかった。

どうしたものか、と、辺りを観察していると、先ほど自分に酒を持ってきたウェイターが、若い女に耳打ちをしているのが視界に入った。何やら声を潜めていくつか言葉を交わした後、女はバーの裏手へと消えていく。なるほど、隠し部屋か。あそこに行けば、幹部クラスの奴らがいるかもしれない、と足を一歩踏み出した瞬間だった。油断していた。背後から、後ろ手に腕を取られ、強引に壁に体を押し付けられる。体に走る衝撃に、胸が詰まった。男の手だ。ここに来て、潜入がバレてしまったのだろうか。強い力に体がめり込みそうなほど、壁に押さえつけられる。冷や汗が背中を伝い、背後の見えない男の存在に、緊張で足がすくんだ。逃げなくては、どうやって。そう考えている矢先、男の生温い息がおれの耳に吹き込まれた。もしや、婦女暴行か、と嫌な予感が頭を過ぎったが、おれの杞憂に反し、背後の男は聞き覚えのある呪文を唱えた。シャンブルズ、と。


「…っおまえ、もっと普通に声かけられないの」

「うるせえ、なんだてめえのその格好は」

「仕事だよ、どっからどう見ても」


大分ご機嫌斜めの様子で、ローはおれの格好を上から下まで無遠慮にじろじろと見つめた後、舌打ちを一つ寄越した。普通の女性ならば、横っ面をひっ叩かれてもおかしくないその態度に、溜息を吐く。さっきまでの空間が、幻だったかのように静かな路地裏で、部屋の窓の明るい光がほんの少しだけ届いた。彼の能力で強制的にパーティーを離脱させられたのだろう。眉を顰め、酷くご立腹な様子のローの機嫌を取るため、それから、おれは薬中でも、女装趣味でもないと誤解を解くために、仕方なく任務のことを説明してやる。まさか、ハートの海賊団がパーティーに参加していたなんて誰が想像しただろう。最もこの格好が知られたくない人物に生き恥を晒すことになるとは。それでも、一体何が気に食わないのか、額に青筋を立てたまま、ローはおれの腕を取ると、冷たい石の壁へ縫い付けた。背中には固い感触。服の構造上、半分外気に晒された自身の足の間に割り入るローの太股に、完全に逃げ場は失われた。

眉を顰めたまま、おれを睨みつける瞳との距離がゼロになる。深い角度で重なる唇から、差し入れられるざらついた舌の感触に腰のあたりにぞわぞわと微弱な電気が駆け抜けていく。口内を好きに味わうローの舌に翻弄され、ヒールのせいもあってか上手く踏ん張ることもできない。芯が抜かれたみたいに力が入らなくなった体を支えるため、後ろの壁に体重を預け、片腕をローの首へ回す。ゆっくりと離れていったおれと彼の唇の間には透明の糸が引いた。優しくおれの名を呼ぶ声。ああ、こんな表情するやつだったっけ、と、苦しそうにこちらを見つめる瞳に、ぎゅっと胸の奥が苦しくなった。


「…帰るぞ、ナマエ」

「ま、待て待て待て待て、おれは任務が…」

「うるせえ、畑の場所ならおれが知ってる」

「…え!」




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あきゅろす。
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