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甘いのは香りだけ




「最近、軍の文書館から機密文書が何冊か盗まれたんだけど」


カーテンを開け放ち、朝の光を部屋に呼び込みながら、人の部屋のベッドの上で我が物顔でくつろぐローへ話しかける。集中しているのか返事はない。しかし、そんなことより、広げている見慣れない分厚い本に嫌な予感がした。それらの背表紙が見えたときに、一瞬だけ、"持ち出し禁止"という赤文字が見えたような気がして、念のため確認を入れる。それじゃないよね、と。相変わらず、眉間にシワを刻みながら熱心に本の文字を追いかけるローは、いや、それだ。と短く否定の言葉をよこした。あまりにも悪びれる様子がなかったので、自身の聞き間違いかもしれないと、思わず脳内で聞こえた言葉を復唱して、なぜか、おれは無意識に一度ベッドから目を逸らした。今思えば、状況の受け入れ難さが、自身をそうさせたのだろう。本来、そこにあってはならい数冊の本と、それを盗んだ張本人が、自身のベッドの上にいるという事実に、頭痛を覚えるのは仕方のないことだった。

文書館の記録は、七武海が閲覧することは許されていない。警備の厳しいあの部屋から本を持ち出すのは、当然のことながら至難なはずだが、この男の空間を支配する便利な能力を使えば、確かに容易いだろう。突然、七武海に入った時は驚いたが、海賊として外界にいては知り得ない情報を欲していたのだとしたら、その振る舞いは、納得がいった。たいした計画力と実行力である。


煙草を灰皿に置いて、占領された自身のベッドへ歩み寄る。劣化のせいか、全体的に薄く飴色に色付いた紙が破けないよう、ゆっくりとページをめくる手元を覗く。紙の上できれいに整列した几帳面な文章や、丁寧に記録されたスケッチ。それらに見覚えがあった。以前、自身の仕事の調査で読んだことがある。それは、海軍本部化学班の研究日誌だ。ベガパンクの発見した血統因子について、多くの記録が残されている貴重な日誌である。ベガパンクのかつての弟子であり、元研究員のシーザー・クラウンが記録したものだ。日々の研究の内容については申し分ないほど丁寧に詳しく記録が残っているが、それ以上に、その日誌にはシーザーの主観的な内容についてもよく書かれていた。彼本人に会ったことはないが、自己評価が高く、自己中心的なベガパンクへの不満や愚痴が多く連なっており、危険な思想を持った奴だと思ったから、よく覚えている。

ローが、どうしてベガパンクの研究記録を読んでいるのかなんて、おれには想像もつかなかったが、進みすぎた科学技術は、何かと、世界政府や国家権力の絡んだ、重大な事件を呼び込む。だからこそ、普通の人間には知り得ないような情報機関に放り込まれ、隠蔽されるのだ。首を突っ込んで良いことなんてあまりない。


「なーにを、嗅ぎ回ってるの」


何冊かの本を避け、ベッドへ腰を落とすと、自身の体重を受け、寝転んだローの体も一緒にベッドへ沈み込んだ。眼下の黒髪は、余程集中しているのか、相槌を寄越す代わりに、本を手にしたまま仰向けに寝返りを打った。返事はしないし、視線をこちらに向けることもないが、なぜか、一人分の隙間を空けるように少しだけ体を端へ寄せる、あまりに自然な動作がおかしくて喉の奥に笑いが込み上げた。寝転べと言わんばかりの一人分の隙間に、自身の体を滑り込ませる。器用に片手で支えられた上空の本を見上げると、丁度、あと数ページで読み終えるところだった。





甘いのは香りだけ





機密文書とはいえ、自身があっさりと手に入れることができるような物では、求めている情報の収集は難しかった。恐らく最高機密に当たる文献や記録は、限られた人間のみが知り得る場所に保管されているのだろう。探しているのは、ベガパンクから破門とされた後、消息を絶った、科学者シーザー・クラウンの居場所だ。この男が、インペルダウンから脱獄し、世間からも姿を消したのとほぼ同時期に、SMILEという人造悪魔の実が、裏世界で取引されるようになった。日誌を読む限り、頭の悪そうな男だったが、科学者としての腕は間違いない。現在は、十中八九、闇のブローカーであるジョーカーと繋がっているだろう。軍の情報機関にあるシーザーに関しての記録は概ね読み終わった。間違いなく自身が次に起こすべき行動は、奴の根城を見つけることだ。読み終えた本を適当に放り出すと、横から咎めるような声色がした。


「その本、読んだら返してきなさいね」

「…あぁ」


機密文書だから、そう、念を押すナマエは、眠たそうに、落ちかけのまぶたを薄く開きながら、こちらを見つめる。瞼の縁に隙間なく並ぶ長い睫毛がきれいだった。シーツに沈む、少し伸びた銀糸を耳にかけてやると、いつか、おれがこの男に与えたルビーが、朝の光を反射して輝く。ほぼ毎日、宿のようにこの部屋に居候をしてからというものの、日の昇ったこの時間帯にこうやって、一緒にいるのは初めてだ。そこでやっと、今日は珍しく非番だったのだと気付く。うつらうつらと今にも落ちそうな瞼へ唇を寄せるとナマエは、抵抗もなく瞳を閉じた。丸い眼球の弾力が、唇に当たる。ひとりだけ、自分にはまだ、海軍の情報に精通した頼れる人間がいた。心拍数の低い、穏やかな呼吸を繰り返す体温の低い体を腕の中に呼び込めば、わずかに身動いだナマエは、暖を取るように頬をシーツへ擦り付け、おれの胸の中で、猫のように背を丸めた。自身の腕の中で、警戒心もクソも無く、たまの休みを満喫するこの男は、海軍大佐の階級を与えられている。しかし、この人に頼る事は、どうにも自身の中で、はばかられるものがあった。そういうつもりで、恋人になったわけではないからだ。

これ以上、研究日誌から得られる情報は出てこないだろうが、投獄する直前、シーザーが居た島の名前はわかった。元々研究所を構えていた、パンクハザードを目指せばシーザーの行く手を知る手掛かりが何かあるかもしれない。問題は、ログを取ることができないパンクハザードへの行き方をどうやって調べるか、だ。そんなことを考えながら、本格的に寝息を立て始めたナマエの薄い頬の皮膚を撫でると、なんの夢を見ているのか、気持ち良さそうに目の前の男は、手の平へ頬を擦り寄せた。この人に、可愛いなんて感情を持つ日が来るとは、ガキの頃の自分では考えられなかっただろう。思わず、形の良い半開きの唇に吸い付く。柔らかくて、少し湿ったそれに、どうにも暖かな気分が込み上げてくる。溢れる甘ったるい吐息が、自身の鼻腔を埋めて、体中に安心を呼び込んだ。いつか、すべてを成し遂げて、生きていることができたら、この人を拐って、もうどこにも逃さないように、おれのものにしてしまおうなんて、思いが強まっていく。


「…ん、……ロー?どした?」

「…ナマエ、好きだ」


ぼんやりと寝ぼけた様子でこちらを見つめる瞳へ、気持ちを伝える。自身の違和感を確かめるためだった。この人は、恐らくまだ、おれを好きではない。それを確信に変えるため。しかし、ナマエの表情を見て、自分が、わずかに別の何かを期待していたことに気付いた。この人が、おれと同じ感情であることを。しかし、ナマエは、目を見開いた後、またいつもみたいに悲しげに笑みを浮かべるだけだった。












「パンクハザード?なんでまたあんな所に」

「…行ったことあるのか?」


昼食の魚を数度咀嚼したあと、飲み込んだナマエは、まあ、と言葉を濁した。話しても良いものかと思案しているのだろう。確かに、軍の最高科学機関の情報だ。おれだからと言う理由でペラペラと話すわけにもいかないだろう。味噌汁を啜りながら、あまり目にしたことのない無感情な表情のまま、以前の記憶が脳裏に拡がっているかのような口調で、呟いた。囚人を護送していた、と。

シーザーの記録に記載があったが、パンクハザードでは後期に入ると、研究のすべてをほぼ、人体実験に費やしていたことがわかった。ナマエが、囚人を送っていたのもそのためだろう。単独移動を可能にするあの大型フクロウのことを考えると納得がいった。倫理観の乏しいシーザーの記録には、実験用の囚人たちはモノのように数字で呼ばれていたが、実際に囚人を人体実験用として用意し、送り届けるという行為は人の道理に外れている。その当時の緊張感はナマエにきっと、ストレスを与えていただろう。そんなことを考えながら、ナマエの表情を伺ったが、自身の予想に反し、彼の瞳には後ろめたさも、恐怖も映してはいなかった。ただ、無感情なガラス玉のような瞳で、おれは何故かそれを見た瞬間、悪寒が背中を駆け抜けていく気がした。それは、遠い昔の記憶を入れても、一度も見たことのない表情。動揺を悟られないよう、無言で口の中のものを咀嚼しながら、さっきまで読んでいた研究日誌の内容を、少しずつ記憶の中で呼び起こす。囚人を度々運んでくる軍人のことは書き込まれていた。つまりナマエのことだろう。その軍人は、日誌の中で、"白い死神"と記されていた。






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