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紫煙に燻らす愛言葉



ゴミ箱の中がどうなっているか頭を突っ込んで見てみたことがあるだろうか。おれは、ない。宇宙でも広がっているのだろうか。上半身を飲み込ませながら、箱ごと横に倒れる男の足はぴくりとも動かない。暗い夜道の中、自宅の寮の前。舞台のスポットライトかのように街頭に照らされるそれは、なんとも間抜けな姿だった。足音を殺して屈み、そっとゴミ箱の中を覗き込めば、頭を突っ込んだ男からは、度を超えたアルコールのにおいがした。宇宙とは程遠い。

暗いゴミ箱の奥には、見覚えのないピンク色の頭髪と花柄のバンダナが見えた。最近、若くして海軍大佐になった青年の話を思い出す。真面目を絵に書いたようなやつと聞いていたが、この状況を見る限り、どうやら酒癖は悪いらしい。煙を胸いっぱいに吸い込みながら、仕事終わりのせいか働かない頭でゴミ箱から生えた足を見下ろす。どういった経緯で、そんな所に身を投じたのかはわからないが、こんな夜更けでは、もう、助けてくれる人も通らないだろう。下手したら明日の朝、収集車が来るまでここで倒れていることになる。ただ酔って倒れ込んでいるだけなら放っておいても構わない気がしたが、ゴミ箱に体を突っ込んでいるところが、どうにも不憫に思えてならない。こういう、間抜けを放っておけないのは、もはや自分の性だろう。仕方ない、と再び温い煙を胸へ吸い込んで、動かない片足を掴み、外界へひきずり出してやる。突然体に訪れた衝撃に、びくり、と全身を震わせ、言葉にならない妙な声を上げながら目を覚ました男は、焦点が定まらないのか、両目を細めながらこちらを凝視した。

きみ、大丈夫、と眼下の瞳を見つめ返せば、男ははっと、目を見開くと、片腕を地面についたままキョロキョロと辺りを見回した。それから、頭痛でもするのか、額を抑えながら、情けないほどゆっくりとした動きで全身の筋肉を慎重に動かすかのように立ち上がる。やはり、酒臭い。狼狽気味にこちらへ平謝りするその顔は、少年ともとれるような、幼い顔をしていた。余計なお世話とはわかっていながらも、今にも吐き出しそうな青白い顔を、目一杯申し訳なさそうに、困らせた彼の表情を見ると、やはり、放っておくことができなかった。


「……水でも飲んでく?」










落ち着いた静かな声に顔を上げる。声の主は、白銀の髪を月明かりで輝かせ、端正な顔立ちはどこかの国の王子のようだった。昇格祝いにと開いていただいた宴会で飲み過ぎたせいで、数時間前までの記憶を思い出すことができず、天地が揺れる頭で、そんな感想を持つ。こんな道端で力尽きてしまった自分に、どうにも情けない気持ちが押し寄せた。倒れていた道の向かいが、彼の部屋だったのか、白銀の男性は煙草を咥えたまま、なんてことないかのように背中の集合住宅を指差してから、おいで、と付け加えると、背を向けて歩き出した。音もなく階段を登っていく背中を、速くもないのに、絡まる足で追いかける。水欲しさというより、礼を言わなくてはならないと思ったからだ。しかし、引き止めて礼を言おうにも、言葉の前に胃の中のあらゆるものが先に出てきてしまいそうで、僕は正義のマントを揺らす背中についていくのが精一杯だった。

警戒心がないのか、それともこちらを無害と判断したのか、部屋の扉を開けると、彼は、見も知らぬ僕をリビングへ招き入れた。羽織っていたコートをソファへ放り出し、適当に座って、と、煙草の吸殻を窓際の灰皿へ押しつける。窓を開け放ち、夜風を室内へ呼び込むと、カーテンと同じように、また、あの白銀の髪が揺れた。いつもそうしているのだろう。彼は少しだけ、夜風を浴びながら静かに息を吐いた。ゆらゆらと揺れるカーテンを目で追いかけるのは、胃に悪い。先ほどコートが放り投げられたソファへ、あまり出しゃばらないよう、最小限の動作で慎重に腰を落とすと、余程、僕が悲惨な顔をしていたのか、こちらを振り返った彼は、同情するような笑みを浮かべ、足早にキッチンへと消えていった。

以前、噂に聞いたことがあった。海軍大佐の中に、白銀の頭髪を持ったナマエという海兵の話を。彼はその人物に間違い無いだろう。直属の部下は持たず、モモンガ中将の下で自由に動き回るその海兵は、表の世界ではあまり知られていない軍の裏仕事、いわゆる汚れ仕事を引き受ける事が多い、と。そのせいか、冷酷な噂を耳にすることが多かった。


「大丈夫?これ飲みな?」

「あ、ありがとうございます!…ナマエ、さん」


手渡されたグラスを受け取り、コビーです、そう名乗れば、金色の瞳を少しだけ見開いた彼は、口元に優しげな笑みをのせて、よろしく、と微笑んだ。その笑みは柔和な雰囲気を纏っている。煙草を咥えながら、穏やかにこちらを見つめる彼には、聞き及んでいた、恐ろしい異名の面影はなかった。

受け取った水に口をつける。喉を通り、食道を抜ける液体は狭くなった自身の器官を押し拡げるようにして、胃へと落ちていき、むかむかしていた胸は、いくらか楽になった。ナマエさんは、相変わらず煙草を吸ったまま、自分のために湯を沸かしていた。静かな部屋の中に、コポコポと泡の弾ける音。一人分の量しか入らないであろう、年季の入ったポットを傾けて、手際良くフィルターへ湯を注ぎいれる。心の奥を解くような安心するコーヒーの香りが部屋中に広がって、体から力が抜けた。物静かな佇まいで、湿るペーパーを見つめる伏せられた彼の瞼に、ぎくりと、胸が握られる。その白い瞼を持ち上げて、美しい瞳に僕を映してほしい。そんな不思議な思いに駆られた。










「あの、ナマエさん、本当にありがとうございました…だいぶ、楽になりました」

「ああ、もう飲みすぎるなよ」


まだいくらか酒は体に残っていたが、家まで歩いて帰るにはもう支障はないだろう。胃の中は口にした水とコーヒーで膨れ上がっていたが、取り入れ過ぎたアルコールの毒素を薄めてくれるような気がした。わざわざ外まで見送りに来てくれた彼に頭を下げ礼を伝えると、ナマエさんは組んでいた腕を解き、形の良い唇に笑みを含ませた。人の囁き声も聞こえない静かな暗い世界で、白色の彼は月明かりを吸収して、ぼんやりと浮かび上がる。この人の闘っているところも、いつか見てみたい。冷酷と呼ばれる所以を、いつかこの目で。そんなことを考えながら、じろじろと眺めるのも不躾かと、僕はもう一度頭を下げて、その場から離れた。

数十メートル、真っ直ぐ進む。夜の冷たい空気が、ほろ酔いの頭の奥をすっきりと冷やして、意識が、闇の中を鮮明に捉えるように、研ぎ澄まされていた。曲がり角で、彼はもう自室に戻っただろうかと振り返ってみると、先ほどと変わらずそこに佇む彼は、こちらに背を向け月を眺めながら白煙を燻らせていた。その時、僕の横に一人の男が並んだ。正確には、ゆっくりと通り過ぎていったのだが。こんな深夜に一体誰かと、職業柄、反射的にその顔を見ようと横顔を目だけで追いかける。コートに包まれた背の高い無表情の男。その姿を知っていた。トラファルガー・ローだ。彼も、僕に気付いたのか、こちらを伺うように、刺すような視線を一瞬だけ寄越した。なぜ七武海がこんな夜更けに、この場所にいるのかなんて、知る由もない。

ほんの一瞬、僕とトラファルガーの視線は交わい、確かに互いの存在を認識しただろう。なぜ、真夜中にこんな場所に僕らはいるのか。きっと互いに同じことを思ったに違いない。しかし、トラファルガーは、僕から数十メートル離れた人の存在をその目に確認すると、足を止めることなく、真っ直ぐとそちらへ歩いていった。未だ、月を眺めている無防備な背中に近づいたトラファルガーは、ナマエさんの横まで辿り着くと立ち止まる。違和感を感じるほど、近い距離感で彼らは一言二言、何か言葉を交わした後、ナマエさんの部屋がある建物へ入っていった。いや、正確に言えば、ナマエさんは、トラファルガーに腕を取られ、引かれるようにして、消えていった。




紫煙に燻らす愛言葉





部屋はわずかなアルコールの香りがした。テーブルに置かれた二人分のマグカップには、冷めたコーヒーが少しだけ残っている。さっき道ですれ違った、ピンク頭の、顔色の悪い海兵の事が脳裏に過ぎる。どういう理由かはわからないが、恐らくあいつを部屋へ招き入れていたのだろう。咥えていた煙草を窓際の灰皿へ押し付ける当の本人からは、酒の匂いはしなかった。さすがに、あの子どものような男に気を揉むような気分にはなれない。現にやましい事など何一つないのだろう。ナマエは、隠す様子もなく二人分のマグカップを手に取り、キッチンの流しへ静かにそれらを置くと、水道をひねった。スポンジに洗剤をつけ、せっせとカップを擦る背中を腕の中に閉じ込める。頭ひとつ分低い位置にある、白いうなじへ唇を近づけると、腕の中の体はぴたりと手の動きを止め、ぶるりと身震いした。煙草特有の、乾いた葉の香ばしい匂いを胸の中に取り込む。コラさんのものだったこの香りは、もうすっかりナマエを象徴していた。風呂沸いてるから入ってこい、そう、優しく諭すような声色で、呼びかける彼に、空返事だけを返す。ナマエは、動かないおれに、やれやれ、と言わんばかりに肩の力を抜いて笑った。

食器を洗い終わり、手を拭ったナマエは、おれの腕の中で器用に身を捩り、シンクに腰を預け、こちらを見上げた。こそばゆかったのか自身の首裏をひと撫でしながら、こちらを見上げる優しい瞳。もう、以前のように、腕をやんわりと解かれることもなくなった。冷えた指がおれの頬に触れ、髪を一房さらい、首の後ろへ回される。存外、強い力に引き寄せられて、押し付けられる唇に、肋骨の内側がむず痒くなる。きつく抱擁し返せば、ナマエの体は湾曲しながら、ぴったりと全身でおれを受け止めた。互いの体が溶け合って、一つになるみたいに。白い瞼を下ろして、遠慮がちな艶っぽい吐息と共に舌を差し出す、可愛すぎるなんとも甘い表情に、無意識のうちに自身の喉が嚥下するのがわかった。


「ナマエ、一緒に風呂入ろうぜ」

「ん、…あは、おまえ一緒に風呂入るの好きね」

「あぁ、好きだ。…あんたも期待してるよな?」


ナマエはキスに弱い。甘いそれを与えると、こちらが心配になる程、すぐに懐柔されてしまう。その証拠に、わずかに布を押し上げる股間へ太股を押し付ければ、擦れる布の刺激が気持ち良いのか、腕の中の体はびくりと震え、逃げるようにわずかに腰を引いた。太股に当たる感触がまた少しだけ硬度を増す。羞恥心から白い頬を紅く染め、拒んでいるつもりなのか、おれの腕を掴んだ。募るようなその行為が、逆効果とも知らずに。









ぐったりとベッドへ押しつけた、まだ少し湿っている銀髪を撫でると、ナマエは、重苦しく憂鬱な唸り声をあげ、瞳だけでこちらをじとりと睨み上げた。しかし、その双眸に覇気はない。シーツに沈み込む身体は、熱を逃しきれずに火照ったまま。ナマエは、呼吸を整えるように深く深く息を吐き出すと、ぶつぶつと文句を寄越した。身体中のあちこちに付けた跡に、自身の所有欲が満たされるのを感じながら、不貞腐れる唇を塞ぐ。おれの口付けを拒むことなく享受するナマエの、言動との不一致さが可笑しくて笑えば、金色の瞳は再び不機嫌そうに眇められた。案外、こういう子供っぽい表情も見せるのだ。


「無茶しすぎ…おれの体壊す気かよ…」

「あぁ…快感で壊れろと思いながら抱いたからな」


おい、と低い声で凄んでみせるナマエに、口角を上げて見せれば、一瞬、ひくり、と顔を歪ませたナマエは、逃げるようにシーツへうずくまった。精魂尽き果てて、戦意も喪失したらしい。こんな、馬鹿げたやりとりに、らしくもなく優しい感情が広がっていく。たったこれだけのことで、おれは幸福感を得ることができた。例え、ナマエが幸せとは言い難い状態にあるということを知っていてもだ。ポーラータングから海軍基地に向かったあの日から、ある意味、おれを受け入れると覚悟を決めた日からだ。おれを見つめるナマエの瞳は以前よりもずっと、悲しみと憂いを、色濃く映していた。




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