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冷たいものは怖いよ、君を思い出す



オイルライターの火を灯し、ベッド脇の机へ置く。揺れる炎。やはりと言うべきか、男の視線は橙の光に奪われた。曇天のために、いつもよりも暗い室内で、柔らかな光を放つそれから微かに漂うオイルの香りが、部屋を満たす。おれの気分を鎮めるには十分だった。目の前の虚ろな瞳を見つめ、できるだけ穏やかに相手に届くように、声を出す。今日は、何が何でも、情報を聞き出さなくてはならない。


「あんたは、この光を見たことがあるね」


ゆらゆらと揺れるライターの炎を見つめながら、ゆっくり上下に動く男の頭。この光を見せたのは誰だ、と質問を続ければ、炎を見つめる双眸は、とろんと呆けたまま、空中を見つめた。それは蓋が閉じられた記憶の在り処を探すかのように。なまえ、何だったかな、と小さく呟く男は、微かに眉間に皺を寄せ、顔を顰める。頼むから思い出してくれ、と、おれは胸中で祈りながらその横顔を見つめた。

正直、自分でも信じ難かったが、明らかに人格の変わった男の様子に、催眠暗示が施されたなんて馬鹿げた仮説が、色濃くなっていく。最早、おれの中で、それは確信にも近かった。隣で興味深そうに、男を見つめる先生を振り返ると、彼は、コーヒーを啜りながら、なるほど、と頷いた。こちらの憶説を聞く前に、彼も同じ仮説に辿り着いたのだろう。先生は、誰に言うでもなく、ぼそりと呟いた。催眠暗示ですか、と。


「…ナマエ君、よく気づきましたね」


顎に手を置き、なるほど、と先程から繰り返しながら患者の様子をまじまじと観察する先生に、自分が馬鹿げた空論を導き出した訳ではないのだと安心する。彼は、コーヒーを静かにテーブルに戻し、患者の目の前でひらひらと手を動かした。炎に見惚れ、その手の平の動きには無反応な男に、再び顎に手を戻す。調べてみる価値がありそうですね、とこちらを振り返る笑顔。よかった、これで少しはマシな真実に近づけそうだ、と、数日ぶりに得られた展開に、胸をおろした瞬間、部屋に備え付けられているでんでん虫が、静かな室内に、呼び鈴を鳴らした。受話器を手に取る。おれの名を呼ぶ電話口の焦った兵士の声に、じわりと背中を伝う嫌な汗が伝った。

四人目の被害者の報告。ああ、良いことばかりではない。ついでに、行方不明になった新兵は見つかったのか確認をすれば、少しの無言の後、電話口の兵士は、いいえ、と短く否定の言葉を寄越した。ここのところ海兵たちも憔悴しきっている。そんな折に、新兵の行方不明。気がかりだった。これが、彼らや、おれ自身の心を折ってしまう事件に繋がらないことを願いながら、電話口の兵士に、直ぐに現場へ向かうと告げ、受話器を戻す。気分を落ち着かせるため、深く深く息を吐いた。こちらを心配そうに見つめる先生は、いつものあの表情。コートを羽織り、テーブルに置いていたライターを、胸ポケットへ仕舞う。今日中に戻ってくることができたら、続きをしよう、と男の肩を叩けば、彼は意識を取り戻したのか、は、と息を飲むと、不思議そうにこちらへ視線を寄越した。


「先生、先に行ってます」


なにやら、ナースに指示を伝えてる先生を横目に、一足先に病院を出る。足を踏み出せば、跳ねる水飛沫。鬱陶しい雨が、視界を不鮮明にさせた。

駆けつけた現場は既に、辺り一面、血臭が充満していた。嫌なにおいだ。先に調査していた兵士に声をかける。彼は律儀に敬礼を寄越すと、声を潜めるように、おれの耳元へ顔を近づけた。近辺に犯人らしき人物が見つからない、という報告に、自分の眉間に皺が寄るのがわかった。雨の降る通りを見渡す。前の三件では、隠れる様子もなかった実行犯たちを捕らえるのは、至極簡単なことだった。兵士たちの探し方が甘いとも思えない。これまでの事件と何かが違うのかもしれない。天候のせいで、どこか屋根のある場所にでも移動した可能性もある。よく探すように兵士に告げれば、彼らは短く返事を寄越すと、散り散りに町の中へと消えていった。

残された兵士に、案内された路地裏には、例に違わず傷跡を残した手足だけが転がっていた。腐敗臭はせず、どうやら、殺されてからそこまで時間は経っていない。紫煙を深く吸い込み、吐き出す。転がる手足、何度見てもこの嫌な気分をやり過ごすことができなかった。本体はいつも一体どこに消えてしまうのか、身元不明のそれを見つめながら、行方知れずの兵士の特徴と一致しないか、記憶を辿る。ふと、視線を感じ、振り返れば、いつもの白衣に黒い鞄を携えた先生が、急ぎ足でこちらに向かってきた。走ってきたのか、ズボンの裾は雨に濡れ、色を変えている。いつもの様子でナマエ君、とこちらを呼ぶ先生に、ひらひらと手を振り返せば、同じことを考えていたのか、彼もじっと、転がる手足を見つめ、目を細めた。

先生に検死をお願いし、通りに面した道へ足を運ぶ。路地を抜けると同時に、血臭のしない空気を肺いっぱいになるまで、紫煙と一緒に吸い込んだ。雨の降る町中を、目を凝らしながら、辺りに怪しい人物がいないか見回す。いつもと変わらない平和な町に、猟奇的な邪心が這いずり回り、ゆっくりとこちらへ忍び寄る緊張感。腰の拳銃をいつでも構えられるように手をかけながら、おれは通りを進んだ。先程からどうもおかしいと思っていた。誰かに見られている。どこに隠れているのか、こちらを伺う視線の在り処を探るように神経を集中させる。おそらく、手練れだ。

路地のある場所から2ブロック程、歩みを進めた先で、ようやく、古美術商の二階の窓に怪しげな人影を認め、その店へと足を踏み入れる。店主が不在なのか店内は薄暗かったが、並ぶ珍品たちは埃一つなくきれいに扱われていた。二階に上がる階段を確認し、ゆっくり足を進める。自分のブーツが床を踏むたびに、木の軋む音が妙に耳についた。拳銃を抜き、階段へ足をかける。出てこい、と階上にいるであろう奴に声をかければ、こちらの緊張とは裏腹に、二階から両手を上げながらひょっこりと顔を出したのは見覚えのある男だった。PENGUINと書かれた間抜けな帽子。白いつなぎの上からは、ハートの海賊団のマークを隠すように上着を羽織っていた。見つかったか、と頬をかく男に、こいつがおれのことをこそこそ見ていたのだと確信する。



冷たいものは怖いよ、君を思い出す



「何故ここに居るのか、聞かせてもらおうか」


こちらに、敵意がないと認めたのか、銀髪頭の海兵は、拳銃を傍らに仕舞った。ペンギンは、その様子を視界に捉えながら、階段の手すりに寄りかかり、何から話すべきかと、思案。こちらを監視するようにじっと見上げる海兵の名前は、ナマエ。深い経緯は知らないが、この海軍大佐が、我らが船長の"お気に入り"であることは、クルー内ではちょっとした話題だ。確かに、海兵にしては線が細く、整った顔立ちは、美人である。ただ、容姿云々が理由じゃないことは船長の態度を見ていれば明白。このナマエという男と船長の過去に何があったのか、単純に少し興味を引かれていた。おれの答えを待つかのように、こちらをじっと見つめる金の双眸を見つめ返す。特に、この場所にいる理由を、隠す必要はない。


「…この店の、店主を見張っていた」


キャプテンの命令で、と付け加えれば、僅かに細められる金色。古美術商の店主の一日は、見ているのも退屈な、つまらないものだった。日がな一日、商品の掃除をして、ただただ、客を待つだけ。酷い日には一人だって、訪問者がない日もある。それでも、店主はその生活に満足しているのか、商品を掃除しながら時々、うっとりと珍品を眺め、ゆるやかな時間を過ごす、そんな男だった。自分とは違う時間の中で生きているかのような彼は、それでいて、十分幸せそうだった。きっと明日もいつもと、変わらない毎日を過ごすのだろう、そう思って油断していたのが、まずかったのかもしれない。店主は今朝、突然姿を消した。船長に見張っておくよう言われたのに、消えたとなると、まずい状況である。早く報告しないとなあ、なんて考えながら、店にお邪魔したのがついさっき。店の中で、店主が居なくなった場所の手がかりでもないかと探している最中に、例の騒ぎが起きていた。窓から様子を伺っていると、現れたのがこの海軍大佐である。しかし、困ったものだ。


「近所で騒ぎになっている死体は、ここの店主だろうな」

「…なぜそう言える」


ナマエは、腕を組みながら眉間に皺を寄せ金色を眇める。当然の反応だ。おれが、この古美術商に船長と立ち寄ったのは三日前。それを見つけたのは、偶然のような奇跡だった。船長が収集している記念硬貨が置いてそうな店だったから、中の見物でもしておこうというのが理由だ。その時、店主と交わした不思議な会話をおれは今でも覚えている。


「おっさん、あんたそれ怪我したの?」

「あぁ…これかい?」


店主の腕には十字の傷があった。その時、既に猟奇殺人の件については噂を聞いていたから、意識の中で、引っかかったのだと思う。彼は、わからない、と答えた。いつ怪我をしたのかも覚えていない、と。しかし、覚えてないと言えるほど、昔の傷には見えなかったし、うっかりぶつけて付けられるほど浅い傷でもなかった。偶然と言うには不自然なそれを、おれと同じくキャプテンも不可解に思ったのだろう。それから、ここの店主の身に何か起きるような予感がして、見張るようになった。そして結果が、この消息不明の状況と、近所でのあの騒ぎである。


「な、不自然だろ?」


階段を下り、ナマエの横に並ぶ。眉間に深く深く皺を刻み、腕を組んだまま動かなくなってしまった銀髪頭。記憶のパズルを組み立てるかのように、思案を巡らしているのだろう。ゆっくりとおれを見つめる、鈍く光る金の双眸。検死の結果を見なければなんとも言えないだろうが、おれの話にどこか納得がいった様子の彼は、なぜ、と独り言を呟く。それは、おれにもわからない。つまり、死体に十字の跡が残されるわけではなく、十字の跡をつけられた奴が狙われているのだ。動機はわからない。少なくとも、おれにはここの人畜無害な店主が、殺される理由があるとは、考えられなかった。



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(おいペンギン、なんでこいつと居やがる)
(キャプテン…!いいでしょう、一緒に居るくらい)
(よくねェ、離れろナマエ)
(と、…引っ張るなよロー)
(ナマエ、キャプテンって扱いぞんざいだよな)
(あ?気安く名前呼んでんじゃねぇよ)
(あのねえ…君ら本当に仲間なの?)





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