[通常モード] [URL送信]
内なる狂気を飼いならす君



肩へかかる重力に、毒気が抜かれる。
能力の無駄遣い、そう思ってしまうのは仕方のないことだ。さっきまで自分の背中にいたはずの白熊は目の前のソファで、場所が入れ替わったことも気づかず、気持ちよさそうに眠り続けている。代わり背後に現れた男の、落ち着いた鼓動や、控えめな温もり、かすかな消毒液のにおいに背中から包み込まれていた。肩口に頭を押し付けてくる男の黒髪が、自身の首筋や耳をくすぐる。なぜだか、すっかり自分を気に入ってしまった男の髪へ指を絡め、子どもにするかのように撫でた。すっかり覚めてしまった意識の中で、冬島の海の下はこんなにも寒いのか、と霜で外が見えなくなってしまった潜水艇の窓を眺める。後ろの男のわずかな体温を拾い、背中が少しずつその温度に順応していくのを感じながら。静かな船内には寝息だけが響く。

肩へかかる重力が振動し、ふ、とかかる鼻息。見えなくても、あの薄い唇を持った彼の口角が上がっていることは容易に想像ができた。逃げねぇのか、と囁くような声で問われ、生温く湿度を持った息が首の付け根の皮膚に触れる。逃げるもなにも、背中からのびる長い手足に自分の体は抱えられて簡単には逃げられないようになっている。首元にぴったりと密着し、熱気を帯びはじめる息を感じつつ、はねる黒髪を指で遊ばせながら、こんなに気に入られる要素あったかなあ、とひとり、ここ数日間の記憶を辿っていた。ナマエは温度があがり続ける肩口で、じゃれる男を制し、腰を浮かせた。絡まる長い手足の中で体を捻り、ソファから下りようと試みる。案外すぐに離れていったその両手足。よろけながらもソファから下りることに成功したナマエは背後を振り返る。ローはあの良いとは言えない目つきに口角をあげた意地悪な表情でこっちを見ていた。

うわぁ、とナマエはその黒い瞳を見つめ返し、息を飲んだ。ローに、穴が開くかもと思うほどこちら側をじっと見つめられる。自分で言うのもなんだが、おれを見るその瞳は物欲しそうに野性味を帯びていた。そんな熱心な視線を受けながらナマエは、呑気に、ああ、獲物を狙っている、という表現が正しいかもしれない。なんて考えていた。


「だめだめ、そんな目で見ても」


おれの純潔はあげませんよ、と茶化すような口調で告げれば、目の前の男はふ、と余裕の笑みを浮かべた。からかわれたのかな、とナマエは自分の頬をかき、苦笑いを浮かべた。先程まで触れていた背中が外気に晒されて、急激に温度を失っていくのを感じながら。なんだか食えない人だなあ、と考えながら足元に転がる薬学本を拾い上げ、埃を払う。仕方ない、気晴らしにでも歩いてくるか、とその場から立ち去ろうと背を向けた瞬間、強引に腕を引かれ、軽くソファに腰を打ちつける。


「手はかけないでいてやるから、ここにいろ」


おれに従え、と高慢な物言い。やっぱり気に入られてしまったと理解したナマエは、大人しくソファへ腰を沈めた。こちらへ遠慮なく体を寄りかけ、その深い隈が刻まれた瞳を閉じてしまった男に軽くため息をつきながら、少しの間だけなら貸してやろうと、読みかけの本を再び開く。面白そうな効果が見込める薬草があれば、それらの生息地をチェックしておくことはナマエの日課だった。

体格の良い体を遠慮なく預けてくるロー。初めて会った時も今もなお、その何を考えているのかよくわからない、感情の読めない靄がかった心をナマエは灰色のようだと思っていた。再び、わずかな温もりを取り戻す肩。こんな安易な表現が正しいのかはわからないが、ローはどこか寂し気な気配を纏う瞬間があるような気がした。そしてその気配の理由を探ろうとすれば、磨りガラスのように向こうを見透かそうとはさせてくれない。長い呼吸で、深い眠りへと落ちていった男のどこか切ないあの瞳を思い浮かべながら、ナマエは本へ視線を落とした。




内なる狂気を飼いならす君




ナマエは花屋として世界中を飛び回り商品を届けることはもちろん、物珍しい種を採取しては育て、繁殖させていた。それが、商売道具だからだ。パラパラと分厚い本の最後のページを開く。そこには本当に存在するのかもわからない、いくつかの、伝説の薬草が記されていた。医者なら一度はこんな便利なものがあればと考えただろう。どんな病にも効く万能薬や、不老不死の薬を作るための薬草、飲めば必ず願いの叶うもの、死人を生き返らせるもの、どれも命限りある人間からしてみれば、生唾ものである。それらはいずれも、葉の絵はなく、文字のみで説明が記載されている。もちろん生息地も書いてあるわけはなく、その存在さえ、不確かだ。

しかし、ナマエもこれらの伝説のような、薬草を探していた。種さえ手に入れば、あとは自分でどうとでもすることができた。しかし、世界を飛び回りひとつ、わかったことがあった。これらの伝説が息吹く土地には必ずと言っていいほどに、悲しい話が根を下ろしていた。それもそうだ。人間は欲深い生き物だから。実は、これらの伝説に近い薬草の種をナマエはいくつか保有していた。それは遥か昔から、この花屋を営む種族で守り抜いてきたものだった。これまでずっと守られてきた秘密が、どこで表立ってしまったのか、かなり情報通な一部の闇のブローカーたちから、すっかり命を狙われるようになってしまった。そりゃそうだ、どんなものであろうと、この伝説的な薬草の種があれば欲しいと考えるだろう。

命を狙われたところを数日前に拾ってくれたのが、この灰色の男だった。オペオペの実の能力者。この能力にも、一部の人間にとってみれば、生唾ものの伝説があると聞いたことがあった。もし、その能力を使うとしたら誰に使うのだろう、と寄りかかる体重の寝息を聞きながら、不老不死の薬草の欄へ目を落とす。この男も、命を狙われることがあるのだろうか、と。




[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!