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優しいふりして残忍なひと



暗い海の中は、遥か頭上の太陽の光を遮り屈折させ、やわらかな光線をこの潜水艇へ届ける。陸上とは違い、海の中はどこまでもどこまでも続く光と水の景色のみが拡がっていた。それは、美しくもあり、恐ろしくもある。いつも無意識に耳にしている無音の中にも存在する音は、冷たい海水の温度に吸い取られていく。ローは船内のこの雪の日のような静寂が好きだった。潜水艇を利用して、少人数のクルーで、ログとは違う島を辿ることもある。静かな時間を過ごすにはおあつらえ向きなのだ。

旅の途中で出会った自分には数少ない友人と呼んで良いのかもわからないが、届いた便りを拡げ、ペンをとる。人に手紙を宛てるのが得意ではないローは、自分が、書きたいと思うことをわざわざ考えるため、頬杖をつき、潜水艇の小窓へ視線を向けた。目の前に拡がる穏やかな海の景色。陸上ほどは、明るくない。届く太陽の光は柔らかく、消え入りそうで危うい。どこか遠くで楽しくやっている奴らのことを追懐するにはちょうど良い景色だ。そんな、らしくないことを考えていると、窓を陰りが覆った。それは、ゆっくりとした速度で。海王類か、と息を飲む。窓の向こうから降ってくるその姿は、海王類の出現よりも少なからず、常識外れな現象だった。ゆっくりと落ちてくるのは、人のかたちをしていたからだ。咄嗟に自分の能力を拡げ、降ってきた人間を船内へ呼び込む。窓の向こうで代わりに犠牲になったペンが、海中の重力に任せてゆらゆらと落ちていった。どさっ、と室内の床に人が落ちる音。室内に海水の湿度がむっと拡がり、能力者の自分には少々不快に感じる。

ローはぐったりと気を失い横たわる男を観察した。年は同じか少し下位。血管の見えそうな白い肌に、白銀の濡れた髪。唇は青ざめているが、石膏のように美しい男だった。



優しいふりして残忍なひと



「キャプテン、白いやつ、意識戻ったみたいだよ」


白いやつ、と呼ぶのはこの船の航海士の白熊。
ローはベポの呼びかけに小さく返事をし、刀を片手に取ると、白いやつが眠る船医室へ歩みを進めた。落ちてきた男の体から海水を抜き、冷え切った体を温めておけと指示を出してから、1時間程度経った。海に落ちてから、大して時間も経たぬうちにこの潜水艇に拾われたのだろう。溺れ死ぬはずだったところを運のいいやつだ、と思いながら船医室の戸を開ける。室内には、まだ少し海水のにおいが残っていた。

入口の戸が開くのと同時に、例の白い男れはこちらへ視線を寄越した。ベッドの上で、足を抱えるようにして毛布にくるまる体。多少、体温は戻ったとはいえ、まだ寒いのだろう。男の纏う空気に敵意はない。溺れて体温を奪われたせいだと思っていたが、その男は元からなのか、とても同じ生き物とは思えないほどに肌が白かった。肌と同じように頭髪も白銀。下ろした前髪の間から鈍く輝く金色の瞳は、とても美しく、かなり珍しい色合いをしている。ヒューマンショップのバイヤーなら生唾ものであろうその瞳や、銀髪は、ローがこれまで見たことのない種族だった。男は長い銀色の睫毛でパタパタと数回瞬きをし、ふわりとあどけない笑顔を寄越した。その風貌によらず、人懐っこく。


「キャプテン……さん?助けてくれてありがとう」

「あぁ……大事無ぇか」


問題ない、と頷く無害そうな表情に息を吐く。得体も知れない人間を船に招き入れることは、それなりのリスクが伴う。危険な行動を起こしかねないならば、それなりの対処をしようと考えていたが杞憂だったかと、自分よりも圧倒的弱者を前に、持参した剣を壁に立てかけ、男の座るベッドへ腰を落とす。体をあたためるために着せたペポの冬服に包まれた男は、それでも足りないのか毛布で外気に当たる面積をなるべく減らそうと、両腕でしっかり自分の体へ布をまきつけていた。意識が戻ったなら、シャワーでも浴びてきたらいい、と伝えれば、男は助かるよ、と顔を綻ばせた。挙動は人間のそれだが、やはり近くで見るほど同じ動物とは思えない程に神秘的な部品を持った人間だった。まじまじと形の良い造形を観察しながら、ローは頭の片隅になぜか、昔、本で読んだ伝説の動物、ユニコーンの幻想的な姿を思い浮かべていた。そんなローを見つめ返す深い金色は、訝しげに自分を観察してくる仏頂面をじっと見つめ返し、記憶を辿るように顎に手をやり、首をかしげる。


「あんた、どこかで見たことあるなぁ」

「……お尋ね者だからな」


あ、とわかりやすく引き攣る人間味ある白男の表情に、にや、と口角を持ち上げるロー。怖ェか、と意地悪く尋ねれば、男はなおも表情を引き攣らせながら、首を横に振った。視線はしっかりと、こちらの腕の刺青を凝視しながら。たった今の一言と、この刺青で、ナマエは自身の記憶から、目の前の男の写真が載った手配書を思い出していた。死の外科医、という別名と共に。だから自分は海に溺れながらも助けられたのかと、彼の新聞を賑わす能力を振り返り、合点する。ナマエは、目の前で口角だけを上げ、不気味に笑みを浮かべる男、悪名高きトラファルガー・ローを見つめ返した。礼をするための金は生憎、海の中で落としてしまい持っていない。金どころか持ち物は皆無だ。絶体絶命の状況。さて、どうするかと思案巡らす男に、ローはふ、と鼻で笑い、男の肩を叩いた。殺しやしねぇ、と。叩かれた肩に、金の双眸は少し見開かれ、すぐに安心したように綻び、紡ごうとしていた命乞いの言葉を飲み込むように、喉は上下に動いた。

潜水艇は、相変わらず宇宙のような水の中をゆっくりと進む。円窓から差す柔らかな光に照らされる銀色の男は、非現実的で、ローにはとても曖昧な生き物のように感じさせた。男は、ナマエです、と名乗ったあと、律儀にもう一度助けられた礼をローへ伝える。海上を移動中に、いざこざに巻き込まれ、敢え無く落下したのだと話す。海上を移動中、ということは、海賊か海軍か、と考えたが、落ちてきた時の服装は、どちらとも言い難かった。


「おれ、泳げないから死を覚悟したところだった」


そう、しみじみと話したナマエは、自身の両腕をしんどそうに持ち上げ、ローの目の前でゆっくりと、両手のひらを合わせた。何事かと目を顰めたのも束の間、ナマエは右手を下にし、重ねた左手をなにかを持ち上げるように、ゆっくりと上へ引きあげる。おかしな行動に身構えるローに、ナマエは心配しないで、と付け加えた。ゆっくりと持ち上げる左手に合わせ、右手の平から、見たことのないターコイズの炎を纏った青い植物がむくりと芽を出し、するするとその弱々しい茎で支えるように体を起こす。持ち上がる左手に向かって伸び、驚くべき速さで同じターコイズの炎の葉を生やし、成長をはじめた。植物はやがて、ガーベラのような形をした艶やかで美しい花弁をつけ、ナマエの左手が太陽であるかのように、凛と上を向く。男はどこから取り出したのか、一輪挿しの花瓶に、ターコイズに燃える花を生け、ローの手へそれを握らせた。炎のように熱そうに見えるその花に温度はなく、ただ美しく海の中のように穏やかに、そして暖炉の火のようにゆったりと燃えていた。

驚きの光景に息を飲むロー。銀色の双眸は花を愛おしそうに見つめたあと、にこりと微笑み、安眠効果をもたらします、と付け加える。安眠、と不意におかしなことを口にする男に、訝しげに思い、ああ、恐らく自前の目の隈のことでも言っているのだろう、と理解したローだったが、存外、その美しい花が気に入った。確かに、その花はどこか安心するように感じさせた。ナマエは、唐突に自分から渡した花を片手に黙りこくるローに悪戯に笑みを浮かべながら、簡潔に自己紹介。海を旅する、花屋のナマエと申します。と。その一言で、ふと、遠い記憶の中で聞いたことのある噂をローは思い出していた。この広い世界中の海を相手に花屋を営み、航路の途中の旅人であろうと、花を届けてくれる存在がいるという話を。おとぎ話かと思っていた。海賊にも海軍にも見えないその容姿に合点する。こんな美しいものを創造できてしまう花屋のナマエに、たちどころに惹かれたローは、じっと金色の双眸を眺める。よく見たらその瞳の中の金色は向日葵のようだった。


「珍しい人間を拾ったな」


あと、この隈は元からだ、とローは付け加えた。







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