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オメガ計画



「もういいだろ、その話」



持っていたジョッキを少し強めに、テーブル代わりの樽の上に置く。それは懐かしくもあるが気恥ずかしくもある幼き日の自分の話を遮るための行為。話を終えたマルコが、おれの頭をやんわりと撫でつけながら口角を上げ、随分と大人になっちまったよい、なんて親戚のおじさんのようなことを言って寄越した。おれには何が面白いのか理解しがたいが、サッチも終始にやにやと締まりのない笑顔で、昔のがもう少しかわいげがあったのに、とおちょくっては、嘆いている。そんな大人二人に良いように言われ、自分の感情に正直なおれは、頬が細かく痙攣を始めたのを感じていた。むきになって怒ればまた、この意地の悪い二人にからかわれてしまう。ひとまず息を深く吸い、長く吐く。居心地の悪いこの空気の中で、もういい加減に自分の昔話を聞くのもうんざりだ。早々に切り上げてくれ、という意味も込めて。

こちらの 様子を見て、酒の肴がなくなったとばかりに、残念がるサッチ。人の黒歴史という名の恥部を酒のつまみにして楽しもうなんて悪趣味なことだ。仕返しに、サッチがとある街でうっかり本気になってしまった遊女にフられ、何日も船の上で憔悴しきっていた話でも蒸し返してやろうか、と大袈裟に口惜しがっている恋多きリーゼントを無言で見つめる。サッチの隣で今の今までの話を聞いていたエースは、そばかす顔に笑みを浮かべながら、なんだよ、もうお終いか、とサッチを小突いた。これ以上やり過ぎれば自分が不利になることをわかっているサッチはとても賢く、危機管理能力が長けている。曖昧に、また今度ナマエのいないところで、なんて受け流しながら、彼はおれの機嫌を推し量るかのようにこちらへ視線を寄越す。そんな情けない様子のサッチに、エースは対して干渉する気もないらしく、すぐに諦めると、手元のライスを口いっぱいに詰め込んだ。むしろそんな話など興味がないと暗に物語っているかのような、そんな潔さで。





〔オメガ計画〕





宵も深くなり、すっかり酔い潰れてしまった仲間たちを放ったらかし、ひとり設計室でコーヒーでも飲もうと考えながら、部屋に向かってのろのろと足を進めた。円窓から、差し込む月明かりだけを頼りに、昼間の喧騒など幻だったかのような静かな船内を、酒のせいで朧げになった視界のまま、ゆったりと。無意識にポケットの煙草へと手を伸ばし火をつける。窓から差す光は、存外広い廊下の床を滲むような境界線で淡く等間隔に輝きを放ち、夢心地な世界へと陥ってしまいそうになる。煙草がいつにも増してウマい。こんなに遅くまで、飲んだのは久しぶりだった。やっと廊下を抜け、部屋の前へ辿り着き、いたるところで眠りに落ちている誰ともつかない仲間たちを起こさないよう静かに戸を開ける。船員用の割り当てられた相部屋は一応あるが、使ったことはない。いつからか、この部屋の狭いソファが一番落ち着く場所となっていた。

戸を閉め、決して広いとは言えない部屋を見渡す。この部屋の窓は小さいから夜になれば、照明をつけない限りほぼ闇に等しい。しかし、入った瞬間、照明のやわらかな光がおれを迎えた。部屋の中央のソファには、少し前まで一緒に酒を飲んでいたエースの姿。思わず煙草の煙と共にため息をつく。いつの間に宴会を抜けてきたのか、ソファの上で器用にも足を組み、仰向けに寝転がるその姿も、なんだかもう見慣れてしまった。毎度のことながら人の寝場所を堂々と陣取る半裸には、やはり苛つきを覚えるが。しかし、どうやって追い返すかは、ひとまずコーヒーを飲んでから考えることにしよう、とエースのことは無視して、端の机でドリップしておいたコーヒーを温め直す。エースを追い出そうにも、いつもより疲れているせいか、それとも、酒のせいか、こんな静かな夜に、苛つきに任せて銃を発砲したりしては、せっかくのこの美しく透き通った時間が台無しになってしまうような気がした。



「エース、そこ退け………って、何でてめえが不機嫌なんだよ」



吸っていた煙草を灰皿へ押し付け、マグカップ片手にソファを見下ろす。狭いその場所を陣取るエースのテンガロンハットを取り払えば、自分も人のことは言えないが、あまり良いとは言えない目つきをした、黒の瞳がこちらを冷ややかに見上げていた。なぜいきなりおれは睨まれる状況に陥ったのか、見当もつかずに言葉を失う。意味がわからない。明らかに何らかの不満をおれに向けて訴えているそばかす顔に、苛立ちとも違う煩わしさを覚え、思わず無防備に晒されている鳩尾へ、かかとを落とす。下からはぐえ、と情けない声が絞り出された。

しかし、タダでは終わらないのがエースだった。自分自身の腹の上に乗るおれの足首を素早く掴むと、手を離さないまま、のそりとソファから立ち上がったのだ。しまったと、エースから離れようにも、片足を強く掴まれたままでは、距離を取るどころか、体勢の立て直しようもない。無言を貫くエースに、更に、捕らわれたままの足をぐっと上へ持ち上げられ、自身の体はとうとうバランスを失い、少々強めの重力と共にソファへと腰を叩きつけられる。180度入れ替わった視界。受け身を取る隙も無いどころか、淹れたばかりのコーヒーはマグカップごと床へ全てこぼれ落ちてしまった。ゴロゴロと木の床を転がる陶器の音が静かな部屋に響く。あとでこいつに拭かせよう、と頭の片隅で考えながら、上を見上げれば、未だにおれの足首を掴んだままこちらを見下ろすエースの瞳。強く握られているせいなのか、この男の体温のせいなのか、触れられている部分がじんじんと熱く、感覚が鈍ってくる。おれは素早く自分の背へ腕を回した。夜の静寂を気にかけるより、自分の貞操のが大事だ。

しかし、思っていたよりも学習能力の高かったらしいエースは、おれが拳銃を構えるよりも早く、それを取り上げると部屋の隅へと放り投げた。虚しくなった手のひらと、重い金属が床へと追突する音を耳にして、数秒で丸腰にさせらたことを認識し、再び、しまったと息を飲む。打つ手なしだ。狭いソファの上で男二人という状況に、聞こえるように舌を打つ。そんなに高くもない肘掛に背を預けながら唖然とせざるおえないおれの、足の間で、エースは未だ人の足首をがっちりと掴み、持ち上げたまま、艶っぽい情欲的な瞳をこちらに向けた。この男を侮っていた数秒前の自分を殴ってしまいたい。片ひじを背後につけて体を支えたまま、この男に打撃は効かないとわかっていながら、もう一方の腕を勢いよく振り上げる。しかし、腕もまた、いとも容易く捕らえられ、ついに、すっかり人の太股の間に収まった黒髪に下敷きにされてしまった。



「なんなんだよ、おまえ」



黒く長い前髪の向こうで、爛々と燃える獣のような瞳が無言でおれを射抜く。やはり、どこか不機嫌そうに。この男が何を理由に不貞腐れていようが、いまいが全く興味ないけれど、そうも言ってられない状況となってしまった。不貞腐れたいのはこっちだというのに。両足に力を込めて暴れようとしても、無駄に屈強な目の前の男は、ピクリとも動かず、蹴り上げることすらできない。捕らえられてからずっと骨が折れそうな程強く握られている、おれの軟弱な手首を、エースはゆっくりとした動作で自分の方へと引き寄せた。もちろんおれが腕に込める力など無いかのように。

なんか喋れ、と諌めるように、なるべく冷静に声をかけても、おれを射抜く瞳は沈黙を守り続ける。またあの、獲物を狙う時の目で。おれに覇王色の覇気を使える才能でもあれば、と、お手上げなこの状況に空論を当てにするくらいには焦っている自分に、我ながら呆れてしまう。世の中には思うようにいかないことが多々あるものだと自分に言い聞かせ、もう好きにしてくれと何もかも面倒くさくなり、匙を投げかけた時だ。握られている手首に突然、くすぐったいような生温かいような感触がしたのだ。恐る恐る、眼下を見下ろせば、しっかりと掴まれた自身の手首に、黒髪は熱い舌をぬるりと這わせていた。ざらざら、ぬるぬるとした舌の気色悪い感触に肌が粟立つ。エースの口元から、ぐ、と自分の方へ腕を引き寄せようと、全身全霊の力を込めて引っ張るも、おれの手を舐めるのを止めない獣は、こちらを挑発するように一瞬目を細めると、あろうことか、唇の下できれいに並ぶ無機質の塊をおれの皮膚に突き立てたのだ。それも、手加減を知らない力で噛み千切るかのように。またたく間に、生温い舌の感触なんて吹っ飛び、抉るように手首の皮膚を噛み潰され、激痛が走る。腕を引き、黒髪を押さえつけ、獣を剥がそうとすれば、白い歯はより一層皮膚へと食い込んでいき、更に強くなる焼けるような痛みに、自然と強張る体。おれの手首を咥えたまま、こちらを伺うエースは唐突に手首を解放すると、おれの血で汚れた唇を舌で濡らし、にやりと口角をあげた。



「痛ぇなクソ…ぶっ殺すぞ」



慌てて自分の方へ腕を引き寄せたが、エースの唾液で薄くなった血が生温かい感触と共に腕を伝う。どこか恍惚とした表情でこちらを見下ろす癖毛から思わず目を反らした時、おれはさっき床に落ちたばかりのマグカップがソファのすぐ下にあることに気づき、即座にカップを掴み取り、顔に向けてぶん投げた。不意をつかれ、それを咄嗟に避けたエースの一瞬の隙をついてソファから転がるように脱け出し、部屋の隅にある海楼石の仕込まれた特別なブーツを手に取り上げる。忌々しくも手首についた歯型は鬱血し、血が流れているせいか、ドクドクと皮膚の下で血管が脈打つのを感じた。ソファの上で強気に笑みを浮かべているエースに、ひくりと頬が引きつる。跡形もなく消し去ってやろうと、手近にあるさっきエースによって放り投げられた拳銃を拾い上げ、照準を決める。しかし、時間は深夜。自分でも不思議なほど、脳が研ぎ澄まされ、静けさのせいだろうか、仲間たちが寝静まっているであろう姿が脳裏に浮かび、思わず重たい手を降ろした。どうせ撃っても効かないのだ。意外そうにエースが目を見開いたのを横目に見ながら、代わりに胸ポケットから煙草を取り出し、ひとまず自分を落ち着けるために一服。数度深呼吸を繰り返せば、腕の痛みにも徐々に慣れることができた。

間接照明に照らされ、いつもは思うこともないが、どことなく妖艶な雰囲気を纏うエースへ、煙を吸ったまま近づき、鉄板入りの特性ブーツを半裸に向かって、とびきりの力を込め、振り落とす。海楼石入りのブーツとは知らなかったらしく油断したエースは、呆気なく力を奪われ、ソファに沈んだ。




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(てめー覚悟できてんだろうなぁ)






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