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09 徒花


日曜日の午前中。長い夏休みが終わっても夏の暑さはまだ少し尾を引いていた。二組に別れて練習するチームを目の前に休憩しながら、なんでだ、とエースが不満そうに呟いた。おれは、またか、と舌打ちしそうになるのを咄嗟に堪える。エースのそれは、ナマエが部に顔を出さなくなった日から比例して増えていく。つまり、なんでナマエは来ないんだ、と言っていることは連日エースを見ていたチームメイトはみんなわかっていたし、同じように疑問を持っていた。エースがこれを言い出したら次は必ずおれに向かって、なんでナマエ来ねえんだよ、なんて聞いてくる。それを聞かれる前におれがエースを蹴り飛ばすのが、ここ最近に出来上がった一連のやりとりだ。夏休みは終わっても、連日部活に明け暮れる日々の中にナマエの姿はもういない。今年は別れも言えないままだった。原因は間違いなくおれだが、それを踏まえたところで自分から顔を出さないナマエを無理矢理連れてきたりすることはおれにはできなかった。





〔徒花〕





日に日に早くなる日暮れ。涼しい蟋蟀の鳴き音。この道を真っ直ぐ進むとコンビニがあって、その先の道沿いにナマエの家があるが、おれはそこの角を曲がる。よく一緒に帰っていた。そんな昔のことを思い出すと、蘇るのはくだらない話をして笑ったり喧嘩したり、そんな事ばかり。思わず一人なのに、にんまりと上がる自身の口角。見計らったかのように制服のポケットの中で携帯が震動して、おれは誰に見られてる訳でもないのに、さっと普通の顔を取り繕った。思い出し笑いとはいえ、一人で笑っていたら怪しいだろう。立ち止まり、震動し続ける携帯をポケットから取り出して、着信画面を確認した瞬間、思わず息が止まった。全身が緊張のせいで力むのを、深呼吸で落ち着かせて慎重に通話ボタンを押す。携帯の向こう側には待ち焦がれていたナマエの声。彼はいつものようにおれの名を呼んだ。



「…ナマエ」

「一人で笑ってると怪しいぞ」



は、と息を飲む。おれは携帯を片手に慌て辺りを見回した。すると、コンビニのガラス越しに見知った顔。ナマエは携帯を耳に押し付けたままコンビニから出てきて、ひらひらとおれに向けて片手を振った。心の準備もないままナマエと再会したこと、会えて嬉しい気持ち、ひとりで笑っているのを見られた恥ずかしさ、色んな感情が頭の中で無秩序に乱れて思わず携帯を片手に立ち尽くし柄にもなく内心あたふたしているおれを見抜いたナマエは、ぶっと吹き出し、肩を震わせて笑った。笑いすぎだと文句を言っても止まらないナマエは腹を押さえて屈みながら、ごめんごめんと目尻の涙を拭う。それから、おれの手の中の携帯を見て、あ、と小さく声を上げると、何度もまばたきをした。

しまった、とナマエの目の前からそれを隠そうと携帯をポケットに仕舞おうとするも既に遅く、素早く伸びてきた彼の手に携帯を奪われ、おれは居心地の悪さを感じた。携帯についたおもちゃみたいなロケットを模したストラップをまじまじと眺めるナマエ。それから、あーははは、と意味深に声を上げると、おれに向けて満足げににんまりと笑う。



「これ、覚えてる」



すげえレアなんだからな、とくれた時と同じことを言って、おれに携帯を突き返したナマエは、いつもみたいに拳でおれの胸を軽く叩いた。軽いはずのそれが、どうしようもなく胸の中にどすんと落ちる。顔をしかめたおれに何を思ったのか、ナマエは困ったように頬を掻くと、少しの示唆を経てから、おれんち来るか、どことなく照れくさそうにはにかんだ。ただし、この間のような事をしたら速攻で追い出す、という条件付きで。


潜在意識の中でナマエの部屋は物凄く散らかってるだろうと失礼なことを思い込んでいたおれは、存外きれいに整頓されている部屋を見回してから、やわらかなナマエの匂いで充満する部屋に嫌に緊張を覚えている自身の眉間の皺をほぐした。たんたんたんと階段を登る音。マグカップを二つ手にしたナマエが扉を開けて部屋に入ってくるなり、おれに片方を差し出して床に腰を落とす。いれたてのコーヒーの香りが部屋中に広がっておれはほっとした。ナマエは一緒に持ってきた砂糖とミルクをテーブルへ広げると自身のコーヒーの中へ次から次へとドボドボ投入していく。マルコもいる?と首を傾げるナマエに、おれはいらないと断れば、彼は知ってましたとばかりに最後の砂糖の封を切ると、相当糖度が増しているであろうコーヒーの中へ躊躇いもせずに全て入れた。最早コーヒーなのか何なのかわからないほど甘くなったであろう液体をマドラーでかき回すナマエに、思わず自身の頬の筋肉が強張った。



「それで、なんで一人でにやにや笑ってたんだ?」



唐突に話を切り出したナマエに、またその話を蒸し返すのか、と少し恥ずかしい気もしたが、ナマエと一緒に帰っていた頃の、というのは伏せて、おれは思い出し笑いだと答えた。ふーん、と砂糖液をすすりながら相槌を打つナマエは、今度は、あー、と言いよどむと、耳を澄ましてやっと聞こえる程度の小さな声で、おれとの?と呟いた。上手いことも言えずに黙るおれとナマエの間に気まずい空気が流れ、時が止まる。最初に沈黙を破ったのはナマエで、彼はふーと長い長いため息を吐くと、持っていたマグカップをテーブルに置き、静かにマルコ、とおれを呼んだ。



「おれに何か言いたいことないの?」









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あきゅろす。
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