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cielo



あれから一日ベッドで過ごしたナマエのきれいな銀髪や服にまでべったりとついた血は赤と言うよりも赤黒く変色し、ほぼ固まってしまっていた。いつもはサラサラでせっかくきれい髪も固まって、悲惨な事になっている。傷の処置も済んだことだし、風呂は無理でもせめてその髪の血くらいは洗い流してやろうと言えば、本人が気づいているかどうかは知らないが、ナマエは、眉をハの字にさせていた。まだ昨日のことを気にしているらしい。しかし、あんな風に可愛らしく泣かれては、怒ることなんてできなくなる。これから徐々に彼の心を開いていけば良いか、と呑気に考えながら、血のこびりついた髪を撫でれば、ナマエはわずかに肩を跳ねさせた。どうやらまだおれに触れられるのは苦手らしい。構わず、気を紛らわすように、真っ赤になっちまったなあと独り言を呟けば、おれに大人しく髪を弄ばれていたナマエが小さく、言葉を繰り返した。赤、と。そこで、そういえばそうか、と理解する。ナマエは色を知らないのだ。

おれは、ナマエを洞窟の近くに流れる川へ連れて行き、彼の真っ赤に染まった髪を丁寧に汲んだ水で洗い流していった。シャツを脱いだ彼の包帯から覗く露呈した乳白色の肌に、昼間から変な気分に煽られるが、欲望のままに行動を起こすと十中八九ナマエに嫌われるだけでなく船員たちからも痛い目に遭う。そんなリスクを介してまで、どうこうしようとも思えず、向かい合わせに座るナマエの血を、水とタオルで流していく。髪に付く乾いた赤を擦れば、鈍い銀色が日の光を浴びて、輝きを放った。



「ナマエ、赤色がどんなか、興味あるか」



存外気持ち良さそうに瞳を閉じていたナマエは、ゆっくり瞼を持ち上げると静かに頷いた。金色の両目がおれをじっと見つめる。それに言い知れぬ満足感を覚えながら、おれは髪を拭く手を止め、放り出されていたナマエの手を握り、自身の胸へと押し当てる。おれの心臓の鼓動を手のひらに感じながら、ナマエは、ぼんやりとした瞳で次の言葉を待っていた。



「心臓は赤い、血もだ。だから赤は生命力の象徴でもある」

「生命力…?」



すっと瞳を細めたナマエが、なにか考えるように黙り込むその姿は、彼のほんの少しだけ存在した視覚的記憶を呼び覚ますようだと思った。色も何も見えない世界で、色を知ると言うことが一体どんな気持ちなのか、おれには見当もつかない。おれの心臓へと当てがっていた手を下ろし、ナマエは自分の胸へ同じように手を当てる。おれの心臓も赤いの?と首を傾げた彼が思いのほか色というものに興味を示したことが嬉しくて、おれはもちろんだ、と言葉を続けた。ナマエの髪を拭く手を再開させながら、まず初めに赤のことをおれは教えた。炎や、太陽、熱は赤を表すということ。それに由来し、赤はおれ達人間の間でしばしば“情熱的”と称されることもある、ということ。そしておれの髪、それから瞳も真っ赤だとそう言えば、ナマエはそのことに一番関心を寄せたのか、酷くゆっくりとした動作で、おれへと手を伸ばすと、髪に細い指を絡めた。目に映らない色を確かめるように。それはあまりに無防備な姿だった。無意識なのかは知らないが、慈しむようにおれの髪を見つめる瞳に心臓がわずかに早鐘を打つ。ナマエの赤い唇がぽつりと呟いた。



「熱くは、ないんだね」



そんなナマエの言葉に思わず吹き出す。確かに赤は熱も表すと言ったのはおれだが、髪を撫でながら少し残念そうにしたナマエがおかしかった。おれの髪が物理的に熱いわけもなく、どちらかと言えば“情熱”の方の“熱”だと言えば、ナマエは、おれの言葉をまた繰り返した。じょうねつ、と。色はわからなくても、情熱はわかるだろう。いつまでもおれの髪を弄んでいたナマエの細い指先がおれの目へと移動し、今度は目の縁を指先でなぞり始める。じっと金色の瞳がおれを見つめた。目下では銀色の長い睫毛がぱたぱたとまばたきを繰り返す。おれは念のため、目も熱くはないぞ、と告げればナマエはおれの目尻を指でなぞりながら、頷いた。そして、ぽつりぽつりと持ち前の少し下手くそで、これ以上ないくらい丁寧に考え抜かれた言葉を落とす。シャンクスの瞳は情熱だから、見つめられると熱いのかな、と。情熱的だと言われることは少なくはないが、ナマエの言う“熱”というものがよくわからなかった。



「赤は、好きか?」



ナマエはわからない、と頭を振り、ただ、と続けた。





cielo(空)





「シャンクスは好きだよ」



だから、たぶん赤も好きだ。ナマエはそう言った。何の意識もせずにさらりと殺し文句を告げてくれやがるナマエに、どういうわけだかこっちが酷く恥ずかしくなった。いつまでもおれの目尻をなぞっているナマエの指先。それにどんな意味があるのかはわからないが、冷たい手のひらにおれの熱が伝わったのか彼は、熱い、と呟いた。おれはそれを誤魔化すために彼の洗いかけの髪をぐしゃぐしゃに撫で回してから、血を拭き取るのを再開した。おれから潔く手を離したナマエは再び気持ち良さそうに瞳を細める。

ナマエは色によく興味を示した。見えない世界の話を聞くことを彼は苦痛だとは思わないらしい。普段は無口な彼が、あれは何色か、と饒舌によく質問を投げかけてきた。おれはなるべくナマエが赤色を好きになるように仕向けるつもりだったが、どうやらナマエにもお気に入りができたらしい。まず一つは、言わずもがな金色だ。ナマエが唯一覚えている色だと言っていた。生まれたての弟の、金色の瞳の美しさは彼の記憶に焼き付いているのだろう。今まで見てきた中でナマエの瞳は世界一美しい金色をしている、とおれが言った時、ナマエは珍しく嬉しそうで、おれもそう思っている、と素直に笑った。弟のことになるといつもそうだ。そしてもう一つナマエは青色を気にしていた。海や、晴れた日の空も青だとおれが説明したばかりに、ナマエは青色を気に入ったようで、よりにもよって赤との対比によく引き合いに出される青を気に入った彼に内心寂しくなる。まさか、この数年後に、赤を一番好きになるよう刷り込み教育でも何でもやっておくべきだったと後悔するなんておれはこの時思いもしていなかった。







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あきゅろす。
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