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ampio schiena


酷く天気の良い日だった。青く晴れた空の下で程よい日差しを浴びながら思い思いのことをする船員たち。気持ちの良い午後。だからだろうか、日の光の下であまり見かけることのない男の後姿も、今日という平和な一日に溶け込んでいた。しかし、外に出ていてもすることはいつもと変わらない。船の縁に手をかけて、飽きもせず一点だけを見つめていた。雲一つない青空に、この海だ。きれいなのはわかる。けれども見飽きるほどのそれを毎日飽きずに、ただただ見つめる姿に、変なやつだと思ってしまうのも仕様がない。ふわふわと揺れる銀髪を遠くから眺めていると、にやにやと笑みを浮かべたサッチがおれの肩を叩いた。一体なんだ、鬱陶しい。



「おまえ、あの子に相当ご執心だな」




08.ampio schiena(大きな背中)




なにをどう見たらそうなるのか。呆れるおれに、サッチはなぜだか、あー、と頭を抑えた。それから、無自覚なのか、なんて一言を加えて。くだらない。そもそもこの男はおれの許可も取らずにナマエにあの禍々しい剣を返してしまった。結果、いまのところは何もないが、これから何を起こすかわからないと彼をおれが見張っているのだ。それもこれも、サッチが男に剣さえ渡さなければ、こんな面倒くさいこともしなくてよかったのに。溜め息を吐き、サッチを蹴り飛ばして、手元の書類に再び目を落とす。ナマエとは一日中一緒にいるわけではないが、部屋以外にいる時はせめて視界には入れておこうと、おれも外に出ていた。

それから数時間もし、突如として、船が大きく揺れた。何事か、と顔を上げればバタバタと走り込んできた航海士がサイクロンだ、と声を上げた。あっという間に近づいてきた大型の竜巻に、船員たちは九時の方向へと慌てて船を動かし始める。いくら大型船のモビーディックでも、この規模の竜巻に飲み込まれたら一発で木っ端みじんだ。バタバタと騒がしい船内。ふとナマエの姿を探そうと見回すと、そこにはさっきと変わらずサイクロンを見つめる彼の姿。そうだ。昼頃からずっと男が見つめていた方角、ぴったしのところからサイクロンはやってきた。もしかして予測不能と言われるサイクロンをずっと前から予測していたのか、とその背中を凝視する。おれの視線に気づいたか、振り向いたナマエは世界の終わりのような雲行きと、刻一刻と近づいてくるサイクロンから目を離し、おれを振り向いた。透き通った金色の瞳が、おれを捉える。まただ。また、あの瞳。数メートルも離れたこの距離で、おれは男の瞳に見つめられて動けなくなった。

しかし、それもあっという間で、すぐに視線を反らした男は、もう用はないとばかりに歩き出した。自室にでも向かったのだろう。おれは、気持ちの悪い汗をかいた手の平を握りしめてその背中を追いかけた。



「ナマエ」



自室の椅子に腰をかけている男の名前を呼ぶ。ここ数日でひとつわかったことがある。男はなにを話しかけても反応は示さないが、名前を呼ぶと必ずこちらを振り向く。だから、自身は彼に用事がある時はまず、その名前を呼ぶことにした。男は例のごとく、いつもの虚ろな瞳をこちらへとぼんやり向けた。カタカタとサイクロンの暴風で窓が鳴り、世界全体は禍々しい曇天に包まれる。そしてこの部屋もまた、よりいっそう冷たく暗くその存在を孤立させているような印象を受けた。剣を抱いたまま人形のようにピクリとも動かない男から、目を決して反らさないように距離をつめる。それは一種の意地でもあった。もう一度、男の名を呼ぶ。落ち着いたテノールが、はい、と静かに音を落とした。窓を挟み男の前に立つ。激しさを増す雨の打ちつける音。



「サイクロンを予測していたのかい」



いいえ、と静かに頭を振った男は、やはり目を反らさずおれを見つめ返した。今日一日の変な行動からして、男がサイクロンを、それも正確な方角まで予測していたのは明瞭だ。しかし男はいいえと言う。まったく得体の知れないやつだ、と舌を打ちたくなるのをこらえ、その瞳を見つめ返す。しばらくの沈黙のあと、独特な静けさを持った声が、ゆっくりと言葉少なく話し始めた。ぽつぽつ、と断片的な言葉の欠片は酷く理解しにくく、また稚拙で、つないものだが、それを繋ぎ合わせる事で大体の事は把握できる。つまり要約すると、男はサイクロンというのは初めてで知らないが、しかし、今日は、妙な風と低気圧、それから音がした、と。そう言った。サイクロンの移動速度は速い。それを、朝から何万メートルも先にいるサイクロンの音を聞き予測していたというのか。その恐ろしく研ぎ澄まされた聴覚に耳を疑った。うちの船のどの航海士も気づかなかったそれを、感覚器官で感じとっていたのだから、驚きもする。話し終わったとばかりに、目を伏せた男はどこか疲弊していた。おれも、男の前に椅子を置いて静かに腰をかける。窓の外は、さっきの暴風雨など嘘のように、また青々とした空に真っ白い雲が浮いていた。そしてこの部屋へと差し込む唯一の光となる。幾分明るくなった部屋を見渡せば来たときから何も変わらない風景がそこにはあった。



「また晴れたねい」



なんとなしにそう言えば、そうですか、と他人ごとのように静かに男は呟いた。あんなに、飽きずに空を見ていた癖に意外な反応。まあ、そんな態度にももう慣れてしまった。それから立ち上がりいまの今までこの男を自分らしくもなく気遣うあまり、すっかり忘れていたことを思い出した。まだ、一度もオヤジの所へ連れて行っていないということを。自分のあまりの失態に頭を抱えながら、男には悪いが今すぐ連れて行こう、と考えた。オヤジのことだ。別に怒りはしないだろう。しかし、これは白ひげ海賊団である自分のけじめだ。いつもの調子で男の肩を叩き、腕を引く。けれど、突然のおれの行動に男は震えた。そうだ、この男は触れられるのを苦手にしていた。思わずぱっと手を離す。立ち上がった男は、剣を背中にしまって静かに、マルコさん、とおれの名を呼び一体何事かと催促した。男はおれをマルコさん、と呼ぶ。それをおれはなんとなく気に入っていた。



「悪いが、今からオヤジに会ってもらうよい」








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あきゅろす。
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