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Paean di una persona




マルコさんに腕を引かれ船へと戻ったのは、とっくにみんなが寝静まってしまったあとだった。彼とシャンクスの攻防に、すっかり酔いも覚めて頬を掠めていく冷たい海風を妙にはっきりと感じることができる。また迷惑をかけてしまった。きっとマルコさんは呆れているのだろう、と自身の中に渦巻く後悔と、なんとも居ずらい空気に、さっきから無言で進むだけのマルコさんの冷たい手を握り返せば、突然彼は歩みを止めた。それから、ゆっくりと手を引かれて逞しい腕の中へ抱き寄せられる。けれど、やっぱり彼は無言のまま。海風に冷えた体をマルコさんの体温が侵蝕していき心臓が息苦しいほどに強く脈打つが、マルコさんはおれの肩口へと頭を埋めて、そのまま動かなくなってしまった。

やわらかな海の匂いに瞼を下ろし、甘えるように肩へと押し付けられる頭を、子供をあやすみたいに丁寧に優しく撫でる。こんな風に弱っているマルコさんを見るのはなんだか不思議で、同時にきゅっと胸が苦しくなった。いたたまれず彼の名前を呼ぼうと口を開いた時、それよりも早く、穏やかなマルコさんの声がおれの名を呼んだ。そして、言葉を遮られたおれは闇の中で彼の温度を感じながら、根気よく次の言葉を待つ。ふう、と深呼吸をする気配。背中に回された腕に力がこもり、ぎゅう、と抱きしめられた。



「行くなよい、どこにも…っ」



心臓が、跳ねる。おれと彼のそれが重なり合い、静かな夜にそぐわない速度で鼓動を繰り返した。それは、初めてマルコさんがおれに言った“願い”だ。なのに、なのに返事をしようとすると頭の中にリョウの顔が浮かび上がり、言葉はのどを詰まらせて出てこない。変わりに、涙が溢れた。それに気づいたのか、慌てたようにマルコさんの体が離れていき、おれの頬を彼の指が拭う。困らせたいわけではないのに次から次へと溢れ出す生温い涙。

おれは今ほど自分がいやになったことはなかった。今ほど自身の情けない性格を恨めしく思ったことはなかった。戸惑うマルコさんの気配に胸が苦しくて、これ以上彼を困らせることはできない、と彼の両手を自身から離して後ろへと後退しその場に半ば崩れ落ちるように膝を付く。そして、たくさんたくさん今までのこと全ての感謝を述べて、それから謝った。マルコさんの息を飲む音。おれはリョウが大切だった。それが生きるためのすべてだった。けれど、マルコさんの言葉が嬉しくて、温かくて、やっぱりおれはどうしようもなく彼を好きだった。そばにいてもいい、と許されたことが、選ぶ道ができたことが、なによりも嬉しかった。涙腺が壊れたかと思うほどあっと言う間に自身の膝の間に水たまりができていく。言葉にしようにも声が出てこなくて、おれは嗚咽を漏らしながら何度も何度も頷いた。



「泣くことねえだろい、ナマエ」



おれの目の前へとしゃがみ込んだマルコさんの、少しおろおろとした声に、顔をあげる。おれの何も映らない闇のすぐ向こうには彼がいるのだと思うと、やっぱりその愛しい存在を確認せずにはいられなくて腕を伸ばせば、おれの腕の中へと入ってきてくれた彼にきつく抱きしめられた。そして同時に熱い吐息がかかるほどに近い唇が優しくおれの名を呼ぶ。それに答えようと口を開けば容易にそれは彼の口付けによって遮られ、自身の涙で少ししょっぱいそれや、マルコさんの腕の中に掻き抱かれるのは、海に溺れているみたいだと思った。マルコさんのシャツを掴めば呼応するように唇の角度が深く合わさり、夜の静けさの中で、おれはきつく彼を抱きしめた。






30.Paean di una persona(一人の賛歌)





「目、覚めたかい」



騒がしい音に、ぼんやりと瞼を持ち上げると、隣からはマルコさんの声がした。彼の匂いがするシーツにくるまり働かない頭でゆっくりと昨夜の記憶を辿ると、ありありと蘇りだした昨日の行為に一気に体中の血液が沸騰するかと思うほど熱くなった。隣からは面白そうにくつくつと笑う声。マルコさんの体温、声や息遣い、それから思い出したくないことその他イロイロ、昨夜の事すべてが鮮明に蘇り、思わずシーツを頭まで引き上げマルコさんに背を向ける。恥ずかしくてどうにかなりそうだ。

後ろではマルコさんがさっきから楽しそうに笑っていた。それにすら体が熱くなる。おれの羞恥をまったく汲む気がないのか、それとも単なる意地悪か、背中から彼に抱きしめられて、初めておれと彼がまだ昨夜のまま一糸纏わぬ姿なのだと気づかされた。わざとらしく耳へ息を吹き込むように甘く名前を呼ばれ、体が飛び跳ねる。昨夜のことでよーく解ったが、マルコさんはおれが思っているよりもずっとずっと意地悪な人だった。それでも、その声や腕に体どころか脳の芯まで溶けそうなほど熱くなる。あんまり邪険にもできず、おれは身を捩って心無し程度の抵抗を試してみたが、やっぱりというべきか、強く引き寄せられただけだった。背中に密着する体温にやはり昨日の行為が蘇り、忘れよう、忘れよう、と目を固く閉じシーツを握る。



「ナマエ」



もう一度名前を呼ばれ、体をくるんと反転させられると結局は再び向き合う形となった。おれは諦めてマルコさんの腕の中で、胸の鼓動に耳を澄ませたが、すぐに柔らかな唇が自身の唇へと押し当てられ、昨日散々繰り返したはずの口付けでも、やっぱり嬉しくて彼の首へと腕をまわす。

長い長いキスのあと、マルコさんはおれの耳に愛の言葉を囁いた。優しく甘いそれに、おれはふと自分の耳が聞こえなくなった時のことを思い出した。あの時も彼はこんな風に何かを囁いたのだ。もしかしたら、あの時も同じように、こんな風に愛の言葉を囁いたのだとしたら、やっと繋がることのできた心に、おれはどうしようもなく嬉しいと思った。おれはマルコさんの体をぎゅうぎゅうと抱きしめて彼と同じように耳へと唇を寄せ、息を吹き込む。



「おれも、」



あなたが好きです。








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