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veloce palpito




賑やかな船内は酒の匂いと誰かしらの笑い声や叫び声、それからいくつかの並べられた食べ物で溢れていた。むさ苦しいと言えば、否定の仕様もないが、今や日常茶飯事的に繰り返されるこの大騒ぎには慣れている。何よりオヤジが喜んでいればおれにとっては何でもよかった。いつもの笑い声を轟かせながら酒を煽るオヤジにあまり呑みすぎないようにと注意をして、人の大勢いるところを通り過ぎる。宴の主役である当の本人を置き去りにして、騒ぐのだから、まったくうちの海賊っていうのは何がしたいんだか。いや、宴会をしたいだけなのだが。しかし、そんな現金な様子も本人にとっては好都合なのだろう。今にも帰りそうな男を人だかりから遠く離れた場所に見つけた。自分が無理に連れ出したのだ。仲間たちから遠くに離れていても無理はない。しかし、あの時男を抱え上げた瞬間、男は怒らず、酷く怯えていた。腕にいまだ残る彼の小刻みに震えた体を思い出し、なにに怯えていたのかはわからないが、どうにも罪悪感のようなものを覚えた。





10.veloce palpito(速い心拍)





床に一人座っている男は片手に酒を持っていて、優に誰かに突然握らされたであろうと想像がつく。そんな風景を思うとなんだかおかしかった。近寄って何か話そうか、そんな事を考えた時。ぼうっとしている男の体目掛けて酔っ払ったエースが飛びついた。正確に言えば抱きついただけだろうが、強く甲板へと押し倒された男の体に、あー、と災難に思う。続いてサッチがエースを引き剥がす為に苦笑を浮かべながら、近づいていくのを見て、おれもそちらへ向かった。おいエース、とサッチが男からエースを引き剥がす。男は眉間に深く皺を刻みつけ、驚いているのか、または怒っているのかよくわからないが、エースをじっと見ていた。自分が突然男を連れ出したからだが、いつも肌身はなさず持っている剣が男の手元になくて良かった。いや、エースは能力者だから斬られても効かないのだが。



「エース、あんま絡んでやるなよい」



しかし、エースはへらりと嬉しそうに笑った。完全にできあがっている。手には何度となく見せつけられた事のある手配書を握り締めていて、ああ、とおれはこれから起きる出来事を全て把握した。サッチも同じようなことを思ったのか、どこからか掻払ってきたつまみを片手に、おれと顔を見合わせ、それから、弟の話を延々と聞かされるであろう男に同情の視線を向ける。男は、再び床に座り直して酒に口をつけるだけだったが、纏う雰囲気は明らかに無言の拒絶。しかし、まったくそんな空気を読まない酔っ払ったエースは、楽しそうにこれを見てくれ、とどこから取り出したのか手配書の束(しかも全部同じ人物の手配書)から一枚を抜き取り、男へ押し付けた。始まった。エースの弟自慢。呆れながらもおれとサッチは二人の隣に腰を下ろした。男は握らされた手配書へまったく視線を落としもせず、エースの弟になど興味が無いのは明白だが構わずエースは、おれの弟だ、と酒を煽りにこにこと楽しそうに手配書を男の目の前に持っていき話し出す。どうせ返事はないのだろう。おれも、それからサッチもそう思っていた。が、しかし。男の綺麗な眉がぴくり、と動き、その透き通った金色の瞳がじっとエースを見つめて、初めてその瞳に、意志のようなものを感じ取ることができた。ただ話せればいい、と思っているであろうエースも、そんな目に見つめられて固まる。男はなおも目を反らすことはない。



「弟が、いるのか」



驚いた。初めて男が興味を示したからだ。エースも酔いが吹っ飛んだのか目を瞬かせて男を凝視していたが、すぐに、とてつもなく嬉しそうに笑い、ああ、と元気よく返事をする。それから、いつものように弟の話を延々と話し続けた。弟の名前、出身、出会い、性格、夢。それらを飽きもせずエースは話した。男は時たま酒に口をつけ、本当にたまに、短く相槌を打つ。それだけで、彼がこの話に興味を示している事はよくわかる。自分の話を聞いてくれるのが嬉しいのかエースの話はどんどん広がっていった。いつも聞かされているおれたちも聞いたことがないような話にまで。エースの弟は大分むちゃくちゃな性格をしているが、十分エースにも似通うところがある。やっぱり似るものだ。そんな事を考えている内に、とうとう話が尽きたのか、今度は自分と弟が出会う前の、弟の話をし始めた。なんでも、弟と出会った海賊たちは弟の命の恩人なんだという話だ。



「それでさ、ルフィが自分の頬にぶすーっと…」



突然話を止めたエースは目を見開いて固まり、それからみるみるうちに顔を真っ赤にさせた。一体なんだ、とエースが凝視している男へと視線を移す。おれもサッチもエースと同じように男から目が反らせなくなった。男は金色の瞳を柔らかく細め、唇はふんわりとわずかに笑みを浮かべていたからだ。男のくせに、きれいで、とてつもなく無垢な笑顔。この世の何よりも純粋なそれに、思わず息を飲む。ナマエ、という人物がわずかに伺い知れたような人間味のある表情。絶対に誰にも汚せない、慈愛に満ちた微笑み。こんな風に笑うことができるだなんて知りもしなかった。しかしそれは一瞬で、男は瞼を下ろし、途端にいつもの無表情が戻ってくる。残念だ。男は、それから?と小さく先を促した。そこでやっと我に返ったエースは、弟の話を続けようとはせず、男の肩を突然がっちりと掴む。びくん、と飛び跳ねる細い体にも気づいていないのか、エースはそのまま詰め寄り不躾な程に男の顔をまじまじと至近距離で見つめた。もちろん、触られることが苦手な男はエースを押し返そうとその胸を片手で押したが、瞳だけはじっとエースの方へと向けられている。エースは、ナマエって、と小さく呟いた。



「笑うと、すげーかわいいんだな」



ぴくりと男の片方の眉が上がり、それから言ってる意味がわからないとでも言うように眉間へ皺を寄せた。自分が笑っていたという意識がなかったのか、それともかわいいと言われた事が気になったのか。しかし、エースの言っていることは十二分にここにいるおれ達の驚きを代弁していた。いつまでも肩を掴んでいるエースを男が今度は両手で押し返す。そこで初めて自分が男に至近距離で迫っていることに気づいたエースは慌て、体を離し、顔を赤くしてごめん、と謝った。サッチが、にやつきながらエースと男を見比べている。ぽりぽりと首元を掻くエースは居心地が悪そうに男をちらりと伺っていたが、男は気にした様子もなくいつもの無表情のまま、静かに酒を口に含みジョッキを床に置いた。それから、また透き通った瞳はエースの瞳を射抜く。







「おれも弟がいるんだ」







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あきゅろす。
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