──20
***

シーザーは焦っていた。
地上を這う風は凄まじく、毒ガスはどんどん流れていく。
「させるかぁ!」
自身を化学物質に変容させ、"シノクニ"の質量を増していく。
粘性も加えて地面に貼り付くようにした。

「どうだ!これで飛ばせねェだろ!」
再び上空へ上がりシュロロ…と笑おうとした時、眼下が一気に明るくなった。
ガスが引火し、大爆発が起きる。
「なんだァ!!どうなってる!?」
炎はほぼ一瞬で消えた。
焼け焦げた地上に降り立ち、血眼で周囲を探る。
隠す身もない湿地の奥に、人影が一つ。

防毒マスクを被り、火炎放射器を持つ男──
服は複数の銃創が空き、止まらぬ血が流れている。
「…この毒ガスは可燃性だったよな。よく知ってるぜ」
くぐもる声は、シーザーも聞き慣れたものだった。

「…てめェ、まさかベラミーか?」
狸族でありながら仲間と一緒に雇って欲しいと言った男だ。
一度会ったきりのドフラミンゴにやたら心酔していた。
工場に乗り込まれた失態により始末されたと聞いたが…

シーザーは大きく舌打ちをし、男を指差した。
「おれ様の自信作が、それっぽっちの炎で消せるわけねェだろ!この死に損ないのマヌケがァ!!」

…マヌケ、という三文字にベラミーは息苦しいマスクの下で笑う。
あの人にもそう言われた。
ロロノアに敗れた謝罪をし、もう一度チャンスを貰う為に会いに行ったおれに、
『お前はもう用済みだ。あばよ、マヌケ』
躊躇なく銃弾を打ち込んだ。
焼け付く痛みよりも絶望の意識に飲まれぬよう、必至で抗う。
倒れた後に、電話をしているのが耳に入った。

工場に戻り応急処置をして、マスクと火炎放射機を手に取った。
ドフラミンゴの行き先は解っていた。

お山の入り口──
こじ開けられた結界の後を、もがきながら通った。
弱い妖力で入山すらも敵わなかった、妖にとっての安住の地。
そこは昔の原風景が広がる、懐かしくも美しい場所だった。

ずっと憧れていた。
あの強い当主と共に。
おれも、選ばれし者…特別な存在になりたかった。

傷は今でも血を流している。
こんな事をして、許されるわけはないと思っている。
だが、最期くらい…マヌケなりの筋を通してもいいんじゃねェのか?

「あばよ、ロロノア」

飛び掛るシーザーに向け、火力最大の炎を放つ。
──誰の記憶にも残らないなら、後悔の無いように消えるのみ。

熱と炎に包まれた男は、マスクの下で清清しく笑った。

***

遠くで炎が上がった。
上空で仲間と風を吹かせていた天狗のウソップは、不安な気持ちになる。
急にガスの動きが鈍ったと思ったら、爆発が起きた。
あの辺りは湿地で、炎が燃え広がる事は無いと思うが…。

第一陣、第二陣と交互に風を吹かせている天狗たちも、神通力の限界が見える。
明らかに天狗風が弱まってきた。

──サンジとゾロ達は無事だろうな。

どこかにその姿が無いかと下界を見渡したウソップの眼に、赤いものが映った。
青ざめ、思わず扇を落しかけた。
「──ウソだろ…。なんでこんなタイミングで」

***

「…なんだ、あれも小賢しい妖どもの足掻きか?」
「いや、聞いてねェな」
遠くで炎が上がった。
風は次第に弱まってきている。

ここは東の山の上にある、五輪の塔だ。
ローはわざとその頂上に上り、ドフラミンゴを待ち受けた。

間も置かず空を飛んできた天夜叉は、変わらず張り付いたような笑みを浮かべている。
「おれの獲物をどこへやった?ロー」
「…狐狩りのシーズンは、11月の第1月曜日からだ。まだ早い」
その頬に一筋傷がつき、ワンテンポ遅れて血が浮き出た。

「フッフッフ…冗談を言える余裕があるようだな。言っておくが、お前が裏切るなんて計算の上だ。その上で乗ってやったんだよ」
「13年間…忠実に尽くしてきたつもりだが、心外だな」
天夜叉は元部下を指差した。
「お前のお気に入りのそのコート。背の文字、"コラソン"──おれの弟のコードネームだ。何の当て付けだ?バレバレなんだよ」
「…隠す気も無かった。お前に弟殺しの罪を忘れさせない為にな」
怒りの気が一瞬膨れ上がり、収められた。

「お前は最初、あの狐の話を聞いて嫌悪していたよなァ。復讐も忘れて平和に暮らす、お山の大将だと」
「……」
「それがえらいご執心だな。淫乱狐の色仕掛けでも食らったか?ライバル当主すら骨抜きにする魔性だからな」
「…胃袋は掴まれたがな。誰もがお前みたいなゲス嗜好じゃねェんだよ」
宙に浮く男は吹き出した。
「毛皮マニアのお前に言われたくねェな。──なぁロー。今なら許してやる。おれに歯向かうなんて、不毛な事は止めろ」
ローは緩慢に首を振った。
「おれは、命の恩人であるコラさんを殺したお前を、絶対に許さない。コラさんの敵(かたき)を、死んでも討つ──!」
瞬時にROOMを張り、抜刀した。

鎌鼬の能力──空間を裂く刃は鋼鉄の如き糸に止められた。
耳をつんざく音が響く。
「…フッフッフ…飼い犬に手を噛まれ、処分しないといけねェのは何度やっても哀しいなァ…」
「哀しい?そんな感情はねェだろ。このサイコパス野郎が!」

断続的に響く空間を裂く音。
地上には血の小雨が降り続いた──

***

時間は一時間ほど遡る。

「…おれに頼み事とは、どの口が言えるのだ。狐族前当主──ゼフ」
広大な敷地内に立つ洋館の中は、蝋燭の明かりのみ
瀟洒な造りの客室には二つの影。

屋敷の主、陰陽師バジル・ホーキンスと耳と尾を隠さず出した先代のゼフだ。

「無理は承知でお願いに上がっている。この妖縛の帯を強化して欲しい」
青いくたびれた帯は、神秘的な光沢を放っている。
一瞥し、ホーキンスは鼻を鳴らした。
「充分強力な念が込められているようだが?更に強化すれば下手な妖は封じるどころか、消滅するぞ」
「それくらいじゃないと、あの愚孫は止められません」
「孫…あの忌々しい淫乱狐か。お前、これをあいつに使う気か?」
ゼフは重く頷く。
「平安の合戦の終焉、ご存知のはずだ。あれの力が暴走すればお山だけでなく、人界にも影響するのは必至」
「…それは、聞き捨てならんな」
ホーキンスの態度が変わり、細長い指を帯を触れるか触れないかの位置で止めた。

「我が呪縛の術の最大をかけるぞ。お前の孫が消滅する確率は──98%だ」
「──構いません」
ゼフは拳を固く握る。
こうするしかないのだ。
あの力が暴発すれば、失うのは幾万の命…
祖父の覚悟に呼応するように、青い帯は光を増していった──

◇ ◇ ◇

「サンジさん!いけません!」
「離せブルック!!」
アホ狸を追いかけようとしたが、意外と力のある骨に腕を引かれ歩みが進まない。

風の勢いが止んできた。
天狗族の風も無限ではない。毒は風穴にすべて吸い込まれただろうか──

逃げ遅れた虫や小動物がいくつも死んでいるのを見て、心が痛む。

妖と人間以外は結界の影響を受けず、普通に住めるのがこのお山の不思議なところだ。
環境保護というと臭いが、過去滅びた種もこの山では生存している。
最近、平安の大妖──前世のオレがこの山を作った理由が解ってきた。

変わり行く人の世の行く末に、失う物が多くなる事を予測していたのではないか。
ここは最後の楽園であり、ノアの箱舟なのだ。

「オレは狐族当主。このお山の守護者。ゾロだけに任せられるか…!!」
「──仕方ありません」
急に手を離され、前につんのめった。
踏みとどまり抗議の視線を骨へ向けると、見覚えのある小さな笛を構えていた。

「お前っ…!」
察して飛び掛かるが、軽くかわされた。
「"眠り歌・フラン"」
骨の指が笛の穴を塞ぐ。波打つ響きは脳に心地よく侵食する。
「やめ…」
止めようとした手は次第に下がる。
膝が崩れ落ち、倒れる寸前、細い腕に支えられた。

「…私はこの山の出ではないけど…京の街を守る元治安部隊として貴方の気持ちは解ります。でも──」
落ちる意識の中で、強い口調が届く。

「あなたが要なら、絶対に行ってはいけません。ゾロさんとローさんを信じましょう」

◆ ◆ ◆

俺の感覚は狐ほどではないが、天夜叉ほどの妖気だと下手なGPSより確かな方針になる。
五輪の塔がある山を俺はひたすら駆け上がる。

この辺は高さもあり毒の影響を受けなかったようだ。
蛇行する山道ではなく、直線の道なき道を駆け上がり、ようやく山頂が見えた。
空には月をバックに天夜叉が浮いている。

「…よし!!」
覇気を漲らせ、開けた場に踏み込もうとした時──影が迫り、目の前に重い音で落ちたのは──

「お前…!?」
ズタズタに切り裂かれた、トラファルガー・ローだった。
「グッ…」
呻いてうつ伏せの身体を震わす。
まだ生きているようだ。
「…なんだ、情けねェ姿だな。もうやられたのか」
何か言いたそうに首を上げようとしたが、すぐ脱力した。
「今のうち俺の心臓を返せ。そうすれば助けてやらんこともない」
荒い息を吐きながらようやく首を回した男は、ギラつく眼で俺を見た。
「…心臓は、ドフラが持ってる」

額に青筋が沸く。
この男の計算高さには反吐が出る。
俺の心臓が人質ならば、あの狐も絶対に戦いに来るだろう。
その前に片を付けなければ──

「てめェはそこでくたばってろ」
吐き捨て、上空を睨むとサングラス越しの視線と眼が合う。

「おや、口ほどにもない奴がまた来たのか。いい加減退屈であくびが出そうだ」
「そのままおネンネに帰ってもいいんだぜ。あったかい布団で眠れよ」
「残念ながら──慰み者が居なければ寝屋に入る気がしねェな」
「…ふざけるなよ」
俺は二刀を抜き、気を丹田に込める。
「また戦う気か?力の差は畜生ふぜいにも感じただろう」
「そうだな。あの時は油断があった」

ローの裏切り、突然のドフラミンゴの登場。
戦いにおいて気を乱せば負けて当然。

丹田からの気が全身を巡り、腕へ、そして刀へ。
色は黒く、鋼のような光を放つ。
「──お前、それは…」
余裕面がわずかに乱れたのに、口の端を上げる。
「武術を極めた者が習得する"武装色"。確か、お仲間のミホークが使えるんだよな」

俺だって常に狐の尻を追いかけていたわけではない。
合間合間に修行を欠かさなかった。
「鉄を斬り…次は、斬れないものをも斬る」
込めた力を一気に解き放つ。

「"千八十煩悩鳳"!!」
空間を震わす斬撃は巨大な竜のように空中の男を狙う。
「クッ…"“羽撃糸(フラップスレッド)"!!」
無数の糸の矢と斬撃がぶつかり合い、火花が散る。
「おい!寝てないで俺を飛ばせ!」
「…人使い、荒いぜ…」
地面のローが手を伸ばし、俺の足に触れた途端、天夜叉の背後にワープした。

「うおおおお!!!」
二刀で頭上から斬り付ける。
高い音で刃が見えない何かで止まる。
構わず体重をかけ押し続ける。

「……フッフッフ…この程度か。ベラミーも随分お前を過大評価していたものだ」
「ベラミー…だと?」
微かに動揺する。
「狸のしつこさにはウンザリだ。お前も退治されろ」
サングラスの眼が俺を射抜くと同時に、身体が弾かれる。

糸の殺気が襲う。
刀でなぎ払う。
一本──かわし切れなかった糸は、左目に焼け付く痛みを走らせた。


(18.11.1)



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