──15
◇ ◇ ◇

8月12日朝5時──
起きて雨戸を開け、縁側で一服するのが習慣だ。
お山は薄い霧が立ち込めていて、少し肌寒い。
ふーっと吹き出す煙が霧と混じって消える。

昨日──美女二人が帰った後にシーザーの監禁部屋に行くと、床に伸びているシーザーと、片手に心臓を持つローが立っていた。
「お前まさか」
ローは闇深く嗤う。
「尋問はハートに聞いた方が早い」
苦悶の表情から、心臓を握りながら聞いたのだろう。
オレも経験があるだけに毛が逆立つ。
「クソ悪趣味な男だぜ」
「私、心臓無くて良かったです。ヨホホ」
後ろから付いてきた骨が言う。確かに。

「それで、毒ガスの場所は吐いたのですか?」
骨の問いに、ローは心臓を懐にしまいながら答える。
「携帯可能なサイズに圧縮して、ドフラミンゴに送ったそうだ」
「なんだって…!?」
一番最悪なカードが揃ってしまった事になる。

ローの暗い目がオレを一瞥する。
「山の結界は万全か?」
「…今から行って、お前の壊した箇所を修復する。そうすれば万全だ」
「もし、天夜叉がこの山に侵入してきて、毒ガスを使ったら…すべてアウトですね」
人質のシーザーはガス妖なので、毒ガスが効かない。死屍累々のお山を想像して身震いした。

オレはすぐにお山の入り口の一つ、石碑の結界を組み直しに行った。
指を少し噛み切り、血を石碑に付け、ある印を描く。
狐族当主にだけ伝えられる結界の呪を唱えると石碑が青い光を放ち、四方に四散した。

「よし…」
額の汗を拭うと、ひんやりした風が撫でる。
ふと石碑(ひぶん)の文字を見上げた。

『争いの心ある者入山を許さず』

無意識に、胸に手を当てる。
この碑文を刻むように言ったのは、前世のオレだという。
血で血を洗う争いの果てに愛しい者──前世のゾロを失ったオレは、何を想って…

鳥が飛び立つ羽音で我に返る。
煙草を口に咥えて、火をつけた。
──碑文にムカついた。
ふいにあの男の言葉が耳朶に返る。

戦場から這いつくばり、逃げてきた少年。
大好きな恩人を殺され、殺した男の部下になり復讐のチャンスを狙ってきた。
奴の心は、まだ戦場に捕らわれている。
ドフラミンゴを殺さない限り、抜け出せないのだ。

そんな奴が、平和の庭とも言えるお山に居るのは…なんという皮肉だろう。

屋敷へは戻らず、その足でコウシロウさんの所へ向かった。
隠居して狸族の縄張りから離れた所に住んでいるので、まだ気楽だ。
このお山でも、まだ狐をやっかむ狸は多い。もちろん逆も然りだ。

先代は暑い中畑仕事に精を出していた。野良着姿がやけに似合う。
これでゾロも敵わない剣士というのは信じがたい。
「ああ、サンジ君。こんにちは」
「こんにちは。あの、これ差し入れです」
冷やした紫蘇ジュースを魔法瓶に入れてきた。
「ああ、嬉しいね。一緒に飲みましょう」

木陰のベンチに隣合って座る。
「何か動きがありましたか?」
「はい。ドフラミンゴが毒ガスを持っているそうです。もしもの時は、作戦Bをお願いします」
「解りました。こちらも報告が一つ…」
グラスでも湯のみの持ち方をして、一口啜る。

「ゾロ君が襲撃した工場の従業員に、糺の森の狸が複数居たそうです」
「狸が…?」
襲撃の件は聞いたが、それは初耳だ。

「身内から裏切りがあるとは…ゾロ君も反省しておりましたが、私からもお詫び申し上げます」
ふかぶかと頭を下げられ、オレは手を振った。
「そんな、個々の心はどうしようもないですよ。ゾロはよくやっていたと思います」
本来人の上に立つのは苦手な一匹狼タイプなのに、糺の森まで行って指導していたのはオレも知っていた。

神社にお参りに行った女狐のロクサーヌちゃんから、
「噂には聞いてたけど、狸族当主って雄雄しくて素敵ね」
キャッキャウフフと言われて、あんな筋肉ゴリラがタイプだったかと落ち込んだものだ。

「…あいつ、結構モテるのに何故オレを…」
呟いてしまって慌てる。何を言ってるんだオレは。
先代の眼鏡の奥が光った。気がした。
「おや、サンジ君。もしかして愛されている事に不安があるのかい?」
ズバリ聞いてくる。

「あ、当たり前でしょう。オレはどこからどうみても野郎で、女の子大好きだから、ホモ狸の思考回路がまったく理解出来ません」
しかもあいつ、女の身体に入ったオレまで襲おうとしやがった。
何が「魂はお前だ」だ。いい口実だってーの。
…結局あいつだって、女が良いに決まってんだ。

無意識に頬を膨らませたオレに、先代はフフっと笑いかける。
「昔…ゾロ君が子狸の頃ね、お山の入り口付近によく行ってた事があるんだ」
「え?お山を出ていたんですか?それって…」
「もちろん、子どもが出るのは狸族もタブーだよ。なのに、大岩の下にある祠に行くと聞かなかった」

大岩…祠…?
そんな所、あったか?

「そこで、綺麗な女狐に会ったそうだ。金色の髪に青い目の…」
じっと、先代がオレを見る。
「サンジ君によく似ていたらしい」

ドフラミンゴに聞かされた過去…
お山の入り口で殺されたと──

「彼女に頼まれたそうだ。自分の子どもを守って欲しいと…」
「…あいつ、まさか」
グラスの氷がカランと音を立てた。
「操り師事件の後に、その事を思い出したらしい。記憶にないのに君を守っていたなんて、凄いよね」

風がそよいできて、前髪が鼻筋にかかる。
それを指でどけ、オレは眉尻を下げた。
「あの約束バカらしいや」

何故あそこまでオレを守るのか、一つ解けた。
前世の件もあるけど、オレが思う以上に、あいつはオレで一杯らしい。
それを受け止める覚悟が──オレにあるだろうか。

「大丈夫ですよ。君達の絆は強い」
心を読んだかのように、先代が励ましてくれる。
「…ジジイ説得してくれます?」
「何だかんだで、ゼフ殿もゾロ君気に入ってるんですよ?」
…そうとは思えないが…。

オレは立ち上がり、先代に一礼した。
「ありがとうございました。オレ、精一杯やってみます」
「ああ。みんなでこの危機を乗り切ったら、宴会しましょうね」

それから、各種族の所へ避難所や脱出のルートなど綿密に指導して周った。

日が暮れた頃帰宅すると、ブルックのスマホが鳴りオレは耳をそばだてた。
いつもと違い、甲高いゾロの声はよく通る。
なんとジジイが帰ってきていて、ゾロとウソップと一緒に幹部達を一掃したらしい。

「あんのクソジジイ!病気あんのに…!」
地団駄を踏んで床を壊しかけていたらローが現れ、ブルックが状況を説明した。
「…よくやれたな。信じられん」
珍しく目を丸くしている。
まぁジジイはサポートに回ったとは思うが、ゾロのやつ、あの身体でよくやったな。
…怪我とかしてねェかな…。
ふいに心配してしまって、ぶんぶんと頭を振った。

邪魔な幹部達を片付けたのは、ローにとっても好都合だったらしい。
これでいよいよ、一対一の敵討ちになるわけだ。

人質交換場所は、宝ヶ池公園に決めた。
広大な敷地で、結界を張っておけば一般人の犠牲が出ないからだ。

ローがスマホで、ファミリーのボスに電話をする。
スピーカーにしてあり、オレとブルックは息を潜めた。

『フッフッフッ…よくやってくれたな、小僧』
「よく聞け。13日の12時。京の宝ヶ池公園球技場でシーザーを引き渡す。1人で来い」
『おいおい、1人も何も、こっちはヴィオラの裏切りで幹部が数人やられた。そっちに送った連中も連絡がつかねェ。お前の仕業だな?ロー』
「余計な質問はするな。さっさと飛行機を手配して訪日しろ。時間に遅れてもシーザーを殺す」
『フッフッ…!ガキが一丁前に…。聞いているぞ。狐族当主に取り入ったようだな』
オレの名が出てギクリとする。
前に感じた恐怖はなかなか消えない。

『おれの欲しい駒を二つも持つとは欲張りすぎじゃねェか?そんな躾をした覚えはねェぞ』
「躾?笑わせる。あくどい事はお前から全部学んだよ。──おれの中ではコラさんの正しさが生きている」
ギリッと歯軋りの音が響く。
『コラソン…お前が復讐の為にうちに入ったのは承知の上で、可愛がってやったものを…この恩知らずが』
「身内殺しの悪魔に言われたくねェ。じゃあな。寝坊すんなよ」


唇を尖らせ、ぷっぷっと煙の輪を作る。
明日、天夜叉がローと会う。
その戦いにオレは行かない。
オレだって敵討ちすべきなのに…

記憶にはまったくない母を想う。
ゾロの前に現れるくらなら、どうしてオレの所に…

「ガルチュー」
「うひぃっ!!」
狐耳を食むられて、危うく指の煙草を落しかけた。
「てめっクソロー!!それヤメロって!」
あろう事か、後ろからガッシリ抱きつかれている。
「…煙草」
「あ?」
首筋をくんくん嗅がれている。
「この匂いは好きだ。懐かしい。…コラさんもヘビースモーカーだった」
でた!コラさんネタ!
「…お前、そうやってしんみりさせたら何やってもいい訳じゃ…」
座っているオレを抱え込むように、密着してくる。
「ひえっ…!ヤメロ変態!!」
「…コラさんは日本が大好きだった。いつか二人で行こうって言ってたのに…」
首筋に埋まるくぐもった声に、オレは暴れるのを止めた。
「…なんで、死んだんだ。おれを生かして…1人にさせて…コラさん…」
コラさんの夢でも見たのだろうか。
掠れた声は寝起きだからか、それとも…

野郎を慰めるのは不本意だが、背を貸すくらいならしてやってもいい。
新しい煙草を咥え火をつけ、ゆっくりと吸った。

霧が薄れて日が差してきた頃、ローは音も無く立ち上がる。
人肌に温まった背と首筋が急に冷える。
「…すまない」
辛うじて聞こえる声でそう言い、スッと消えた。



昼飯を用意して蝿帳を被せた後、納戸でスーツに着替える。
そーっと隠れながら玄関まで行こうとしたら、
「狐屋、どこへ行く」
「うわっ!?」
見つかった!あれから姿を見せなかったローが後ろに立っていた。
「な、何でもねェよ。ちょっと散歩に…」
「サンジさん、この女優さんのグラビア他にも…あら?出かけるんですか?」
秘蔵コレクション部屋に押し込んでいたブルックまで来てしまった。
見透かすようなローの視線に、ぐぬぬとオレは白状する。

オレは人間界にあるフレンチ・レストランのオーナーだ。
常に店に居るわけではないが、もう何日も行ってない。
オレの料理を楽しみにほぼ毎日来る常連客も居る。

「もう幹部達はゾロ達が倒したし、ドフラの奴はまだ移動中だし、行ってもいいだろ?」
「…また新たに来た幹部が居るかもしれねェ」
「そうですよ、サンジさん。ここに居るのが一番です」
そんなのは解っているが…
情けなく狐耳を下げていると、ローがため息をついた。

「おれが護衛に付く。骨屋、お前はシーザーを見張っていてくれるか?」
「それなら安心ですね。承知いたしました」
…お前らはオレの何なんだ。
深層の姫君が煩い家来に囲まれているのにちょっと似ている。
誰が姫君だ。


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