上昇気流-3
「…ハァー…」
「…ウソップ、わざわざ人ん家まで来て、ネガティブオーラぶちまけるんじゃねェよ」
新芽が出る植木の庭を見ながら、縁側で溜息をつくおれに、狐はそう言いながらもお茶と羊羹を出してくれた。
「ホイ、新茶だ」
「…ありがとう」
サンジはどかりと隣に座って、煙草をもみ消し一緒に茶を啜った。
雲雀が二羽、声高らかに鳴いて飛んでいる。
それをぼう、と眺めていたら、隣の家主は茶を飲み干して、ふーっと息を吐いた。
「で、彼女とはどうなったんだ」
いきなり溜息の確信を突かれて、おれは湯のみを落としそうになる。
「い、いやーやっぱり、人間とは無理だな。なんつーの?価値観の違いってーの?おれ様みてェに誇り高い天狗一族には相応しくねェっつーか」
あえて明るくまくし立てるおれを、狐は横目で見て「馬鹿め」と言い放つ。
「おれの知る、誇り高い天狗一族に、臆病者は居やしねェよ」
「な、なんだと」
睨み返すが、狐の冴えた蒼い目に捕らわれる。
「結局怖くて逃げたんだろ?臆病者じゃねェか」
「うるせェ!黙れ!!お前に何がわかるんだ!」
拳を打ち付けると、置いた湯のみが倒れ、転がって地面に落ちる。
バリン!と割れる音が響いて我に返った。
「あ…す、すまねェ」
「いいよ、そのままで」
狐は煙草を懐から取り出し、咥えて小さく呟いた。
「解るよ、今のオレなら…」
「え…」
マッチを擦り、火をつけて振り消す。
「悪りィ。臆病者は言いすぎた。──でも…お前はそれでいいのかよ」
「……」
立て膝をついて煙草を吸う狐から、ゆっくりと上る紫煙。
おれは俯いたまま、唇を開いた。
「…おれの母親さ──実は、人間なんだ」
「え──」
狐の驚く気配。当然だ。今まで誰にも喋った事は無い。
「半妖なのは、ルフィと同じだ。だが天狗は修行によって、普通の人間ですら神通力を持てるからな。その事で仲間から後ろ指を差される事は無かったが…人間との恋がいかに悲劇か、目の当たりにしてきた」
「ウソップ…」
おれは俯いたまま、淡々と語る。
「天狗の父親はさ、人間界には馴染めず、おれと母さんを残して山に帰っちまったんだ。それから数年後──母ちゃん病気で死んじまってよ。親父が迎えに来た。
親父は号泣してたよ。何でそんなに早く逝っちまったんだって…」
「……」
「勝手だよな。人間と結ばれたからには、そんな覚悟が必要だったのにさ…」
膝に押し付けた両拳を、更に固める。
「おれは…あんなのはゴメンだ。好きな人を先に亡くしちまうなんて…耐えられねェよ。なのになんで…くそ…」
涙を堪え、肩を震わせるおれの鼓膜に、静かな声が滑り込んだ。
「ウソップ、お前の両親は…結ばれた事を後悔していたのか」
「…いや、母ちゃんは最後まで親父の事を敬愛してたし、親父も本当に母ちゃんを愛してた。だからおれは親父を許したんだ」
「そうか…。なァお前、そんな両親は、不幸だったと思うか?」
ハッと顔を上げる。
狐はやたら大人びた表情をしている。
「おれは好きな奴を忘れるぐれェなら、死んだ方がマシだ。それは、きっと彼女もそうだと思うぜ」
カヤも…同じ…?
サンジは頷き、額にかかる髪を払う。
「愛し愛される時間に、長いも短いも種族も関係ねェよ。一時でも一生の恋が出来たなら──幸せだったと、言い切れるんじゃねェのか」
見返した瞳は、初めて見る色をしていた。まるで別人のような…
「サンジ…お前──」
「行けよ、ウソップ」
微笑んだ顔は、とても優しい。
「お前に出来る事をやれ。彼女も、きっと待ってる」
鳩尾から湧き上がる感情のままに、おれは立ち上がる。
「サンジ──ありがとう!」
「おう、がんばれ」
狐は煙草を咥えた口角を上げ、ひらりと手を振った。
初夏の日差しが町への進路をまっすぐ照らす。
早く、一秒でも早く彼女の元へ──
おれは決意を羽に込めて、強く羽ばたいた。
彼女のマンションの手前で、降り立つと同時に人間に化ける。
エントエランスに踏み込むと、争う声が聞こえた。
自動ドアの前で、オールバックの男に手を引かれているのは──
「カヤ!!」
「…え?」
彼女がこちらを見て、目を丸くする。
おれは駆け寄り、振り向いた男を殴り飛ばした。
「この野郎!カヤに何すんだ!!」
「ウソップさん…!」
「カヤ、大丈夫か?怪我ねェか!?」
「貴様…何を…」
男が起き上がり、眼鏡を直す。
おれは彼女を背に庇い、声を荒げた。
「この誘拐犯め!大人しくしやがれ!」
「ち、違うのウソップさん」
「何がだ。こいつお前を無理やり…」
「この人、うちの執事なの!」
「え──」
動きの止まるおれ。
眼鏡の男は、頬を押さえておれ達を見据える。
「ほら、お嬢様。一人暮らしなんかするから、こんな野蛮な男に引っかかるんですよ」
「クラハドール!彼は私を心配して…」
「言い訳は結構です。さァ、屋敷に帰りましょう。荷物は後で届けさせて…」
「嫌よ!!」
初めて聞く強い声で、彼女はおれの前に立った。
「私は一人で暮らすって決めて家を出たの。絶対戻らないわ!」
「ほう…。それもこの男と会う為ですかな」
男は嫌な笑みを浮かべて、眼鏡を手の平でかけなおす。
「君、いくら欲しい?」
「クラハドール!!」
「手切れ金だよ。いくらでも出そう。付きまとっているからには解っているだろうが、君とお嬢様とでは、住む世界が違うんだ」
住む世界が──意味合いは違っても、その言葉はズキリとおれの胸を貫く。
固まったおれの前に、白いワンピース姿が立ちはだかった。
「だから何?そんなの関係ないわ。帰ってクラハドール」
「お嬢様…お戯れを。さァ早く私と行きま…」
「帰りなさい!!」
燐とした声に、男は驚愕に目を丸くし──すぐに細めた。
「…解りました。だが、私は絶対に諦めませんよ。──失礼します」
男は凍るような目でおれを一瞥して、皮靴の音を響かせエントランスから出て行った。
「あ…」
「カヤ!」
ふっと膝が折れた彼女を咄嗟に支える。
「大丈夫か!?」
「ごめんなさい…ちょっと興奮しちゃったから…」
おれは彼女をそのまま抱き締めた。
「う、ウソップさん?」
「カヤ──今から見る事も、言う事もすべて本当だからな」
力を解放し、羽をばさりと出す。そして垂直に一気に飛び上がった。
「ウソップさん…!」
彼女は驚き、おれの首にしがみつく。
上昇気流に乗って高空まで飛び、止まった。
風の音と羽ばたく音のみが耳を打つ。
「…おれはこの通り、天狗だ。──怖いか?」
「いいえ」
薄い金色の髪が、さらさら鳴る。
「私…実は、駅で助けられた時…うっすらと貴方の姿を見ていたの」
「え──」
気が付かなかった。
カヤは小首を傾げ、ニッコリ笑う。
「それに…ウソップさんは、ウソップさんだもの」
「──ありがとう」
何だか泣きそうになった。
彼女を大切に抱えたまま、おれはすぐそこの京都駅へと飛んだ。
屋根へと降り立ちカヤを下ろすと、彼女はふらりとよろめき、慌てて支える。
「大丈夫か?」
「は、はい。…凄い…高いですね」
カヤは下に広がる京の町に、目を丸くしていた。
「これが…ウソップさんの見ている世界なんですね…」
「…まぁな」
「私、嬉しいです。同じ景色が見れて…」
風で靡く髪を押さえる彼女を見詰め、おれは意を決して口を開く。
「カヤ…この前はすまなかった。逃げたりして…」
「いいんです。ウソップさんが悩んでいたの、解っていたから」
彼女はまるで聖母のように優しく微笑む。
「…おれは臆病者だった。妖と人間の寿命が違うのに囚われて──自分の気持ちから逃げ出す所だった」
細い肩をしっかり掴み、薄茶色の瞳をまっすぐ見詰めた。
「カヤ…お前が好きだ。大好きだ」
白い頬が赤く色付く。
「私も…です。嬉しい…」
彼女はいきなり、おれの首にしがみついた。
あわあわと焦るおれの耳元で、彼女は言った。
「ウソップさん、私これでも、100歳まで生きる予定なんです」
「え…?ひゃ、100?」
「ええ」と頷く彼女。
「だからずっと…それまで一緒に居てくださいね」
「…もちろんだ!」
抱き締めた身体は温かい。
今はこれが確かなもので──大切に離さないでいればいい。
あとは選んだ未来に乗っかって、飛ぶのみだ。
他愛のない会話に彼女が微笑む。
おれも笑う。
どこまでも広がる青い空に、発車のベルが鳴り響いていた。
おわり
(10.5.16)
ヨシあとがき
ノリジあとがき
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