ケンレン(みおさん)2


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夕食を終え、シャワーを浴び終えた蓮は居間をちらりと横目で見やった。
当たり前のようにそこには利佳がいる。テレビは点けられているが利佳はそちらに目を向ける事無く携帯を弄っている。
居間のテレビで見るつもりは元より無かったが、こんな所で見たら利佳に何を言われるのやらと想像して少しゾッとした。そのまま居間を通過して階段を昇り自室の扉を開くと、ゲーム専用となりつつあったテレビのスイッチを入れた。
時刻は20時45分。21時にはまだまだ早いが、滅多に見ない上に番組をわざわざチェックして見ることなどほぼ初めてに等しいものだからどうにも早く点けずにはいられなかった。
「えーーーっと、何チャンだったっけか…」
手元にはリモコンが見当たらず、テレビに付属しているボタンを連打してチャンネルを回す。
番組はどこも20時代のもので、ドラマが始まる気配は一向にないが、ひとまずドラマが放映されるチャンネルに合わせると蓮は床に腰を下ろした。
それと同時に部屋の隅に置かれたスクールバッグから着信を知らせる音が鳴り響いた。
特別に設定されたこの音楽は言うまでもなく健悟のものだ。
タイミングを図ったかのように鳴り出した携帯に、監視でもされているのではないかと一瞬寒気がした。


「あい」
『蓮?まだ起きてた?』
「今何時だと思ってんだよ」
『あはは、それもそうだった。今、何してるの?家?』
受話器越しに聞こえる健悟の声は少し雑音まじりだ。どうやら外にいるらしい。
「んー、部屋にいるけど…。お前は、外?仕事終わり?」
『ん、まあ…そんなとこ。蓮まだ起きてるの?』
「だからまだ9時前だっつーの。まだ寝ねえよ。」
これからお前のドラマを見る所だとはとてもではないが言えなかった。
『そか、そんならいいんだ』
「?なんだよ」
『んーん、なんでもない。これからどっか遊びに行ったりしないでね』
「しねえよ。」
『絶対だからね、あっごめん、ちょっと急ぐから切るね』
「は??………ってもう切れてるし」
意図が読み切れない言葉を残して健悟との会話は強制的に終わった。いつもはもっと他愛のない会話があるはずなのに、今日の電話は不自然なほどに短い。まるで蓮が家にいることだけを確認するような電話だった。


「……なんだったんだ…?」
不審感を抱きつつ携帯を放り投げ、蓮はテレビに視線をやりながら寝転がった。
いつの間にか20時代を飾っていた番組は終わっていて、CMばかりが流れるようになっていた。
あと5分とせずに始まるであろうドラマのCMがしつこいほどに繰り返し流れるのをぼんやりと眺めていた。


「お」

CMばかりが流れていた画面が切り替わる。21時だ。
蓮は軽く身体を起こし、少し乗り出すようにしてテレビ画面を見遣った。
二夜連続で放送される源氏物語の第一夜は、主人公である光源氏の出生から元服までを主として描かれている。健悟は光源氏の父である桐壷帝としてキャスティングされていた。ちなみに健悟の出番はこの第一夜のみという事らしい。
こんな若い父親がいてたまるかと思いつつもそこはあくまでドラマだ。蓮は画面を見遣った。
絢爛な平安朝を思わせるセットがとても美しい。オープニングと思われるシーンは主演の光源氏と思われる青年が映っていたが、場面はすぐに過去へと切り替わる。ここから物語が始まるのだろう。
画面上には息を呑むほどに美しい男が映し出された。――健悟だ。
いきなりの登場に思わず寝転んでいた筈の蓮は起き上がり、正座の体制を取ってしまった。

(うわ、やばい。なんだこれ、なにこいつ、すげえ)

帝である健悟の姿は恐ろしいほどに妖艶だった。艶めいた長い黒髪を緩く結び、鮮やかな朱色の直衣を身に纏っている。真嶋健悟という男を彩るために誂えられたのであろう朱色の直衣は細部にまで美しい刺繍が施されている。豪華絢爛、その一言に尽きる。それを難なく着こなす真嶋健悟という男は、直衣の美しさに霞むことなく、むしろそれを身に纏う事でより一層己の魅力を引き出していた。腰にまで届く黒い髪も違和感無く似合っている。
どんな格好でも当然のように似合ってしまうのは流石と言った所だ。非の打ち所が無い。


その男は一人の女を見据え、微笑んでいる。
その微笑みを見た蓮は画面に映る健悟に対して限りなく畏怖に近い感情を抱いた。
「………っ、」


この男は何かが変だ、おかしい。
蓮は帝が微笑むその表情を一瞬見ただけで鳥肌が立った。女を見つめる瞳が常軌を逸しているのだと、気付いてしまった。目線一つでこうも人に何かを伝えてしまう、俳優・真嶋健悟という男の実力を思い切り見せ付けられた気がして、蓮は鳥肌の立った腕を思わずさすっていた。

女の名は桐壺。光源氏の母となる女性だ。


光源氏誕生までの物語は桐壺更衣を中心として描かれていた。
父を亡くし、後ろ盾を失い心細い気持ちのまま後宮入りした彼女を待ち受けるのは後宮にいる多くの妃達による陰湿な嫌がらせ。その理由は帝の寵愛を受けているからだ、と。
けれども身内のいない桐壺の更衣には頼れる人間が帝以外にはいない。帝の異常なまでの愛に気付きながらもそれを撥ね付ける事も出来ない。彼女も彼女なりに帝を想っているからだ。それ故に身動きの取れない状態にもがき苦しむこととなる。
蓮は瞬きをするのも忘れて画面に見入っていた。
帝は確かに、この女性を愛している。彼女と接する時は他のものには目もくれない程に盲目的で情熱的な愛を捧げている。けれど彼は、彼女が陰湿な嫌がらせを受けている事を知りながらも何もしないのだ。それどころか、その現場を遠目で見ると笑うのだ。 にやりと、恐ろしい程までに妖艶に。彼の桐壺の更衣を見る目には、愛情それからもっとおどろおどろしい何かが込められている。
テレビ越しだというのに、俳優・真嶋健悟の見せる迫力に思わず息が詰まりそうになっていた。
蓮の記憶の中にはこんな瞳を向けてくる健悟は存在しない。だが、もしもこんな瞳を直接向けられてしまったとしたら。

きっと、自分も身動きが取れなくなるのではないだろうか。

CMに切り替わると同時に蓮は大きな息を吐いて全身の力を抜く。ドラマの中で帝を演じる健悟を見ていると無意識のうちに身体が強張ってしまうのだ。自分には絶対に向けられないようなあの瞳が、蓮を凍りつかせる。

「なんか…すっげえな、これ」

主役でもないのに、健悟の惹きつける力は尋常では無かった。
台詞も一言二言程度しかまだ喋っていない。画面上に映り込む時間だって分数に計算してみればほんの僅かなものだろう。なのに、気付くと自分の目が追っているのは真嶋健悟扮する桐壷帝だった。
欲目では決してない。惹き寄せられてしまうのだ。

俳優・真嶋健悟の演技に。

両頬をぺしぺしと叩き、再びテレビ画面に目を向ける。このドラマを見ていると、妙に体に力が入ってしまう。ハラハラするというか、胸のあたりがモヤモヤするというか。あまり好ましい感情では無い。
そう分かったからには気合いを入れた方が良いだろうと判断したのだ。

場面はようやく光源氏誕生に至る。
桐壺の更衣はようやく手に入れた本物の家族を心から嬉しそうに迎え入れた。
同じように、帝も喜んでみせる。けれどもその目は笑っていない。
また、新しい表情だ。愛する人の子が産まれたというのに、寒気がする程に冷たい目だ。

やはり、怖い。
こう感じてしまうのは自分だけなのだろうか、と蓮は思った。
一見してみれば、本当に優しい、更衣を愛し支える夫のようなのだ。でも、見れば見るほどに感じる違和感。

このひとはおかしいと、全身全霊で訴えてくる。

光源氏が生まれて漸く、焦点は主人公である幼き光源氏と桐壷の更衣に当てられるようになり、穏やかな雰囲気となる。
それでも時折姿を見せる帝は美しくも恐ろしい。

(親が、子に向ける目線かよ…)

画面上の真嶋健悟に悪態を吐きつつ、小さな子役が可愛らしく動き回る姿を見ていれば胸の中で燻るように存在していたざわつきも、落ち着きを見せるようになった。


けれど、それもまたすぐに覆されてしまう。まただ。
健悟が、桐壷帝という男が、蓮をぐいぐいと仄暗い場所へと引き寄せるかのように、見せつけるのだ。



桐壷の更衣の死を以って、彼女の亡骸を前にして、帝は失意の底に突き落とされることになる。

唖然とした。
部屋に響き渡るのは健悟扮する帝の絶叫。

たかがテレビの中の出来事なのに、
悲痛な叫びが蓮の耳にがんがんと響き、ざわつかせた。

(うわ、なんだこれ…)

部屋着のTシャツの胸元辺りをぎゅっと握り締めて、震えた。
全身に鳥肌が立ち、ちっとも収まる気配を見せない。

(こわ…、っつーかナニコレ頭痛くなる…)

Tシャツを握り締める手には力が入り、体を守るようにして蹲ってしまっていた。


「はーーーー…なんか、すげえ。怖くねえのに、めっちゃ怖い」

視界を遮断した世界に陽気な音楽が流れ込んだところで再びCMに突入した事を悟る。
丸めた身体をそのまま床に倒しごろごろと転げ回りながら一人ごちた。
言葉を発して息を吐き出さなければ息苦しいほどになっていたらしい。

凄く怖かった。
あんな風に叫んだり、するんだ。

混乱する頭で思うのは黒い髪をした健悟ではなく、銀色の髪をした健悟だった。
明日になったら健悟は来る。
なのに今、会いたい。
テレビ越しの声じゃない、俺の、健悟の声が良い。
健悟の顔が見たい。

「あーーーーーはやくーーー…」


「何が?」


「何がって言われてもよくわかんないけど、なんつーか明日がはやく……



………??はぁあ?!」



聞き慣れた声と視界の隅にちらつく銀色に、瞠目した。

それもその筈――。
明日来ると聞いていたはずの男、たった今までテレビ越しに見ていた男が寝転がる蓮を覗き込むようにして蓮の視界に現れのだから。
「健、悟…?」

確かに今求めていた姿ではあったけれど、何故。どうして。






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