ケンレン(名無しさん)
※ケンレン恋人設定
途方もなく不安になる時がある。 自身の中に渦巻く醜い感情を知られたらどうしようかと恐ろしくて仕方がない。
長い時間をかけて、ようやく手に入れた彼の隣は自身からしてみれば何時だって危うくて、本当の自分自身が何処に居るのかを見失いそうになるのだ。
長期間に渡った地方での映画撮影が一段落したのが丁度一昨日のことで、そこから都内へと撮影クルー引き上げ、当然の流れのように打ち上げと称した呑み会へと、出演陣共々、撮影関係者達は雪崩れ込んだ。
健悟も勿論のこと例外でなくこの打ち上げに参加していたが、彼にしてみたらこのような集まりに参加するよりも一刻も早く帰りたい場所があったが、流石に主演である自分を抜きにして勝手に遣ってくれと言えるほどこの世界は甘くないということも承知していた。
仕方なく一次会二次会と参加し、皆がいい感じに出来上がったのを見計らい帰宅のためにタクシーを呼んだ。
椅子から立ち上がり静かに退席する筈が、最後まで自分の隣に張り付いていた共演した女優の腕が絡まる。
正直、不愉快もいいところだったが、これから映画の完成発表や試写会などを考えると素気なく振り払うにはリスクが大きい。
小さく吐いた溜め息には気付かないでくれよ、と思いながらゆっくりとした動作で女の手を解く。頭を一撫でして、耳元でおやすみと囁いた。周囲に目撃者が居ないことを祈ろう。微かに朱くなった女の頬に家で待つ恋人を強く思い出し、健悟は一層早く準備を整え店を出た。
静かに夜の街を移動するタクシーの中、ぼんやりと家に居るであろう恋人を思う。既に深夜一時を過ぎた腕時計に、今夜はもう無理かなあ、とぼやいた。
普段からそうそう会える距離には居ないから、いわゆる遠距離恋愛というものに対する耐性はあるつもりだ。しかしそれでも、日々会いたいという思いは強く、特にこのような長期間の撮影の後はそれが顕著に現れる。
蓮は今日の昼頃には健悟のマンションに着いているということだったし、時間も時間だからもう寝ているかもしれない。
諦め半分の気持ちで帰宅すると案の定、一応は自分の帰宅を待ちわびていてくれたのだろう、ソファーですやすやと眠る蓮の姿があった。
「ベッドで寝ないと風邪引くよ」
起こさないように小さな声で注意することには何の意味もない。 健悟は蓮をソファーからベッドへと移動させようと脇の下から手を差し込み背中へとまわす。よいしょ、とオヤジくさい掛け声はご愛嬌だ。寝ている人間は地味に重いが、健悟はゆっくりとした動作で寝室へと運んだ。
めんどくさくて着替えもろくにしないで一緒のベッドに潜り込み、寝ている久しぶりの恋人を見つめる。蓮は移動したというのに気付くこともしないで、規則正しい寝息を立てている。
こうしてゆっくりと蓮を眺めるのは本当に久しぶりだった。付けっぱなしのエアコンのせいか、少しだけ乾燥してかさついている唇に指先でそうっと触れた。そうすると今度は直接触れたくなる。健悟は我慢出来ずに直接唇を重ねた。
「ン…」
「…起こした?」
うう、と低く呻きながら、蓮は瞼を擦った。健悟といえば、やはり我慢出来ずに起こしてしまったと反省しつつも、くすくすと小さく笑っていた。起こしたことは申し訳ないが、やはり限られた時間しか共に居られないのだからちょっとだけ許してほしい。
ようやく目を覚ました連が「久しぶり」と呟き寝ぼけながら健悟にぎゅうっと抱き付いた。「あと、おかえり」とついでのように言いながら、久しぶりの健悟を堪能する。胸のあたりに顔を押し付けて懐かしい健悟の香りを嗅ごうとすんすんと鼻をならす。
しかしながら、直ぐに顔を離して首を傾げた。
「なあ、なんかいつものと違うにおいがするんだけど…」
「…え?ホントに?」
「する。タバコと酒の臭いと」
「あとなあんか、ヘンに甘ったるい感じ…?」
蓮は眉を寄せて苦々しく呟いた。
健悟はというと、打ち上げの帰り際に腕を絡ませてきた共演者を思い出し、あの女かと思ったが直ぐに取り繕うように頭を掻いた。
「たぶん打ち上げの時、酔っ払った人をタクシーに乗せるときに付いたかなあ」
「ふーん…あっそう」
怪しさを微塵も含まないような言い回しに蓮は素っ気ないように応えながら、そんなもんかと納得している様子だった。まさか映画の主演男優に介抱されるだなんていう猛者は本当はいないのだけれども、ゲイノウジンも付き合いが大変そうだと、見当違いなことを考える蓮にホッとする反面、健悟は本当のことを言わなかった自分に軽い嫌悪感を抱いた。
こういう時、自分が本当に蓮に愛されるべき人間じゃないと思ったりしてしまう。打算的な思考や駆け引きは芸能界で生きる上で必要不可欠だ。しかし、そういう自分を彼には知ってほしくない。知られたら最後離れていってしまうのではないかと恐ろしく思えた。
芸能人の真嶋健悟ではなく、一人の人間として彼を愛したいと思う一方で、彼に愛されたいが故に誰よりも蓮の前でいい人を演じているのではないかと思えてならない時がある。
蓮に余計な心配を掛けたくないという理由で、こんなにもするすると口から出任せが出るのが其の証拠だろう。もちろん心配をかけたくないことも本当ではあるが、結局は蓮に女との関係を疑われたりして信用を失うのが怖いのだ。
その不安感を隠すようにして、健悟は蓮を抱きしめる。蓮は蓮で、健悟が疲れているのだろうと思いそっとその背中に腕をまわした。トントンとリズムよく背中を叩く蓮に少しだけ健悟の心が軽くなった気がした。
「仕事で疲れたんだろ、はやく寝れば」
「レンが癒してくれないの?」
卑怯かとは思ったが、耳元で囁くように尋ねれば蓮の耳が朱くなったのがわかる。
「ばっかじゃねぇの」と言いながら、離れてしまっては顔が赤いのがバレると思ったのか、ぎゅうと力を込めて抱きついてくる。健悟からしてみれば、こういうところが本当にかわいくてかわいくて仕方がないのだ。
「そういうの、逆効果だと思うけど?」
「うるせぇな、はやく寝ろって」
健悟は身じろいだ蓮にハイハイと応えながら、やっぱり多少卑怯者でも嘘つきでも蓮の隣に居られることを考えればそんなことはもうどうでもよくなってしまっていた。
おしまい。
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