ケンレン(みおさん)3

「びっくりした?」
目と口を大きく開きぽかんとする蓮の表情を見て、健悟は満足そうに笑顔を浮かべた。裏などまるでないような、心の底から喜んでいるような笑顔だった。
その笑顔にどうしようもない程の安堵感を覚えた蓮は胸を撫で下ろす。テレビ画面で見ていたあの恐ろしい狂気を秘めた笑顔とは全く異なる健悟のそれは、俳優の真嶋健悟ではなくただの真嶋健悟の、蓮のコイビトの、笑顔だ。
長い黒髪ではなく見慣れたシルバーアッシュに黒いメッシュ、平安時代の豪華な直衣などではなく、身体のラインがくっきりと見えるようなシンプルな白いTシャツに暗いブルーのジーンズ。
ああ。ほんものの健悟だ。

「……お、う」



(あれは演技、あれは演技だから)


「あー、見てたんだコレ」

寝転がる蓮の真横に腰を下ろすと、テレビ画面に映る己の姿を認識した健悟が軽い調子で呟いた。
「まあ、いちおう」
健悟につられてテレビを見ると既にCMは終わり、再びドラマが始まっていた。
一人で見ていたときの集中力はもはや完全に消え去っている。テレビと健悟へ視線を何度も往復させては、もはや畏怖の対象になりかけていた帝の存在を脳内で打ち消すことに必死になっていた。

ごろんごろんと、テレビを見ては目線を逸らす。健悟を見る。たまに床を見る、天井を見る。

「昔の話だもんねー。難しい?」

床を転がる蓮に、飽きたのだろうと感じた健悟はそう尋ねた。
別に飽きたわけでは無い。さりげなく見ているつもりだ。

「やー別につまんないわけじゃない、けど」
「けど?」

落ち着き無く身体を揺らしながら言葉を濁す蓮に、健悟は眉を潜める。

ちょっと怖かった、だなどと言えるわけがない蓮はただひたすらに身体を揺らしている。
真横にいる健悟は別物なのだから、ここにいる健悟はあんな目は絶対にしないのだから。
分かってはいてもどうしてもこみ上げる不安。


………無性に、健悟に触れたくなった。



「おまえの、演技に、…のまれたっつーか…」
うつ伏せになっていた身体のまま匍匐前進のような状態で健悟に近づく。
目の前には胡坐をかいている健悟の太股。
そこに顎を乗せて健悟の体温を感じるようにして、目を閉じた。
「れ、れん?!えっ、は?なに?」
「お前…やっぱすげーわ…」

「え、えええ?何、何事?!」
擦り寄るようにしてやってきて、その上称賛するような言葉まで与えられた健悟は太股の上に顔を乗せた蓮を凝視しながら上ずった声を上げてしまう。
柔らかい髪の毛にそっと触れる。金色の髪は相変わらず触り心地が良い。
嫌がる様子も無い。今日は触れても良いらしい。

「………のまれた?」
「んー」


今放送されているドラマは数か月前に撮影されたものだ。
脚本の内容と自分の役柄について、ページをめくるようにして記憶を辿って行く。
源氏物語のような古典は翻訳家の解釈次第で如何様な物語にでも化けるものだ。
桐壷帝は本来であれば桐壷更衣への想いはいきすぎであれど、息子への情もきちんと持ち合わせていたであろうと推測される。
けれど今回健悟が演じた桐壷帝は、狂気の見え隠れする男だ。気付く人ならば気付く。けれど、気付かない人であればただひたすらに桐壷の更衣を純粋に愛した男に見えるように演じて欲しいという監督の希望により健悟はその通りの人物像を作り上げて見事に演じ切ってみせた。
更衣を失ったときの絶叫だって、聞く人が聞けば悲しみに明け暮れるだけの悲鳴に聞こえるだろう。
でもこれが 崩壊 を示す悲鳴であると気付く人もいるように、と。

恐らく蓮は後者だ。


震えるような歓喜が健悟の全身を襲った。
蓮はわかった、見抜いた。ほんの微細な変化のつもりだったそれをいとも容易く。
何百人、何千人に見抜かれるよりもたったひとり、愛してやまないこの少年が自分の事を見てくれて、
分かるか分からないような微細な変化にまでも気付いてくれる事が何よりも嬉しい。

蓮が自分の事を見てくれるというだけで奇跡にも等しい出来事だったというのに。

「こわかった?」
「……んー、お前は別に怖いとは思わないけど……アイツは何か……だめだった」
アイツ、というのは恐らくは健悟が演じていた役の事だろう。
顎だけを乗せていた蓮は今度は少し身体を持ち上げて健悟の太股を枕にするようにして頬を付けた。
甘えるようにして擦り寄る蓮を嬉しく思わないわけがない。髪に触れていた指先を今度は頬へと移動させる。
「それは役者冥利に尽きる、とだけ言っておくね。ありがと」
「ん。」
蓮から自分の仕事についての感想を貰う事は何も初めての事では無い。
メールや電話で、何かの折につけて蓮はきちんとそういう言葉をくれる。
けれど蓮のいる前で自分の仕事の成果を見てもらい、言葉を貰うことはそう言えば無かった。
ああ、きちんと見てくれて何かを感じてくれている。
それが健悟には嬉しかった。


頬に乗せた指先に頬を自ら擦り寄せてくる、この可愛い生き物を好きでいられてよかったと改めて感じさせられる。
何度思ったかなんてもう数えるのも面倒なほどに思っている。それこそ毎日、いや、毎秒かもしれない。


「……お前なんで今日は来たの?」
「え?そりゃ仕事早く終わったからに決まってるじゃん。一日でも早く蓮に会いたかった。当然でしょ?」
「恥ずかしーヤツだなほんとに…」
太股に顔を埋めても、耳まで真っ赤だとまるで意味を為さない。
「でも良かった今日来といて」
「……え?」
「蓮、このままアレ見てたら明日俺の事怖くて直視してくんなかったんじゃない?」
「っ、」
びくんと肩が揺れる。どうやら図星だったようだ。
役者冥利に尽きるとはいえ、役に本物が負けるなんて冗談じゃない。
思っていたより感受性の強かった蓮に、あの狂気は少し刺激が強かったようだから。
良かった。
これ以上は一人でなんて見せられない。


「あれはあくまで演技だからね?」
「わーってるよ、そんなん。」

太股の上で落ち着かない様子の蓮が可愛い。
心細いなら、もっと深いところまで来てくれても構わないのに。

「れん、」
「なんだよ」
「…寒くね?」

「……………ちょっとだけ」


今日の蓮は、健悟にとっては物凄く希少価値の蓮かもしれない。
顔を上げると自ら健悟の首に腕を回し健悟にそのまま飛びついた。





***





二段ベッドに二人で寝転がり、天井を眺めながら会話をする。
腕の上に乗せられた蓮の頭が時折動くたびに柔らかい髪が健悟の腕を擽るのが心地よい。


「誤解を招いちゃうとアレだから言っておくけどね?」
「なに」


「古典っていろんな解釈が出来ちゃう作品だから、あれはあくまで作家さんの考え。フィクションだからね。……まあ現役だし、わかってるとは思うけど。」
「へー…俺、古典とかずっと寝てたから源氏物語ってあのままだと昼ドラだったわ。マジ怖い」
「え?!源氏物語、まったくの初めて?所見だったの」
「だったら悪いかよ」

仮にも高校生。
仮にも受験生とは思えない発言に健悟は空いた手を額に当てて溜め息を吐いた。

「……れんちゃん」
「なんだよ」
「キミ、今年受験生だよね?」
「それが何だよ」
「そろそろそれじゃあヤバいんじゃない?」
「………うるせぇよ…」


この界隈には予備校らしきものも無く、受験勉強となると各自の努力が何よりも求められる。
蓮には東京の大学に来てもらわないと困るのだから。
明日は土曜日。
ならば丁度いい。


「れんちゃん、明日はお勉強ね。」
「は?!やだよ!めんどくせえ!」
「受・験・生」
受験生、と強く言えば蓮はぐっと言葉を飲み込む。
蓮にも自覚はある筈だ。
東京に来るためには、どうしなければならないのか。

「よしよし。明日は俺と勉強会です。俺が分かんないとこ全部教えてあげるから、いいですね?」
「お前、勉強もできんの…?」
「まあ、一応。人並みには。わかったら返事」
「どこまで完璧なんだよ!むかつく!つーか教師ぶんな!」





おわり



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