「……ま、いーけど」
 けれども、恨みがましく、ヤラレタとでも言う様な蓮からの目線が可笑しくて、ついふっと笑みを浮かべてしまった。
 右手では金の細い毛を撫でながら、左手でミネラルウォーターの冷えたペットボトルを蓮の頬に押し付けて、わざとらしく口角を上げている。
「もっかいイっとく?」
 しかし、蓮に至っては冷たいペットボトルを気持ち良いとは言わず、怪訝な表情をしながら外方を向いてしまった。
 拗ねているような蓮からの無言の抵抗に、健悟は、あっそ、と一言漏らしてペットボトルをホルダーに戻す。
 そのまま健悟は車を出発させるわけでもなく、蓮を突き放すわけでもなく、ただ、蓮の髪を愛でているのみだった。
 声を掛けるわけでもなく、どいてと急かされるわけでもない。どこか一線引いているかのような健悟の素っ気無い態度に疑心を抱いた蓮が上を見上げると、何か考え事をしているらしい健悟と眼が合った。
 それでも声を掛けてこない健悟を訝しみ、健悟の腹元で、蓮は小さく口を動かした。
「……なんか、いじわるじゃね?」
 ぼそっと告げれば、健悟の眉がぴくりと動く。そして、蓮の頭を撫でていた手が移動して、耳たぶをぎゅーっと引っ張られてしまった。
「ってぇ! ったい、たい!」
「……へぇー、そんなこと言うんだ?」
 不自然ににっこりと笑う健悟の表情からは何も読み取れず、それでも思い切り引っ張られた耳たぶには条件反射で涙が流れてしまいそうなほどだった。
「ってぇー……なにすんだよ……」
 上下にゴシゴシと耳を擦っても、一向に逃げない痛みに蓮が耐えていると、ふいに健悟が蓮の腰を引っ張る。
「うわっ、」
「せめーなこの車……」
「ちょ、おいっ!」
 眉間に皺を寄せたままの健悟が、蓮の身体自体を引っ張っていく。
 先程までは助手席から横になり、健悟の太腿に頭を預けていた蓮、それが無理矢理引っ張られたことで、狭い車内で健悟の太腿にお尻を乗せて座り込み、全体重を預ける体勢に変えられてしまった。
「、ちょっ、おま、これ外から丸見え、おい、離せって」
 透明なガラスでしかない窓を見て、きょろきょろと外を見渡しながら蓮が言う。
 健悟からの有無を言わせぬ手付きによって狭い車内で所々をぶつけつつ、痛めた膝を擦りながら拒否の意を示していた。
 男同士でこんな体勢なんて洒落にもならない、誤魔化しようもない。キャップもしていない健悟に焦り、慌てて再びキャップを乗せようとするも、それすら拒否をされてしまった。
「やーだ」
 顔を隠せ、今すぐ離れろ、家へ行け。健悟がそれらの意志を受け止めるはずも無く、聴く耳も持たずに蓮の手を自らの肩に廻していた。
 おい、と肩甲骨を殴る蓮も気にせず、健悟が蓮の肩に頭を埋める。己の届く位置に座らせたからといって、身長差故に余り変わる事の無い背丈に安心しながら、ぽんぽんとその背を叩いているようだった。
「やだってなんだよ、……おいっ!」
「うっさい」
「っ、」
 ぎゅう、っと腕に力を込めると、蓮からは至極不貞腐れた表情が返ってくる。
 ちらとそれを見た健悟は、ごめんごめんと付け加え、ぽんぽんと背を叩きながら溜息を吐く。
「……あのねぇ。じゃあ蓮がすっごい時間掛けて東京来たときでも俺は家に居ないで友達ん家で酔っ払ってて良いんだ。女友達ん家行ってイチャついてていーのね、そういうことなのね。ん?」
「はぁ? やだよ。……つか、ゆるさねーぞテメェ」
 健悟の問いに対し、蓮は睨みを交えながらも素直に答える。
 酒が入っている御蔭であっさりと答えられたのか、ありもしない仮定に少しの嫉妬を交えた蓮の表情に、不謹慎ながらも頬が緩みそうになってしまった。はぐらかす訳でもなく届けられたメッセージは、先程まで健悟の胸中に芽生えていた黒い靄を確実に消滅させており、用意していた幾つもの厭味が少しずつ散っていってしまう。
「…………」
「どういう意味だよ」
 形勢は一気に逆転し、存在もしない誰かに警戒した蓮が、寧ろ此方の浮気すら疑っているように思える。だからこそ健悟は、これはこれで美味しいかもしれない、と許しそうになる脆い心を抑えて、甘やかしそうになる言葉をぐっと飲み込んだ。
 全く自分事と捉えていない彼は、今言ったことの真意を、全く自覚をしていないに違いない。
 いやだ、という言葉のままに、健悟の背に廻る手の感触が強くなる。
 酔っているからなのだろうか、どこにも逃げはしないというのに、まるで逃がさないとでも言うように蓮からぎゅうっと抱き着いてきているようだった。
「……なぁにこの手は。良いからしてたんでしょ。分かってんの? 蓮がしてたんだよ、いま。おんなじこと」
「ちげえ、やだ」
「…………」
 あまりにも素直に縋って来る様子は新鮮でしか無く、今すぐにでも掻き抱いてしまいたい衝動を必死に堪えて、健悟はわざと意地悪く言葉を続けた。
「そういうことでしょ、だから」
 そして、これ以上触れると下半身の危険を感じる故に、遠慮無しに引っ付いてくる蓮を軽く突き放した。
しかし、健悟が押した力以上に、蓮の意志でバッと離れた、その瞬間。
「ちげえっ!」
「、!」
 健悟が驚くほどの大声をあげられ、蓮は健悟の頬を両手で掴んだ。
 ぐい、っと無遠慮にその頬を引っ張ったかと思えば、何も隠されていない車内にも関わらず唇をがりっと噛み付かれた。
「、ぃって……」
 キスをするわけでもなく、がり、と噛まれた唇は歯型がついていないか心配になる程の衝撃があり、健悟は眉を動かしながらその動向を追っていた。
「……いやだ。それは、やだ」
 しかし、下を向いて、ふるふると横に首を振った蓮からは、今にも消えそうなか細い声が聞こえる。
 有り得ないものを見ている、この可愛い生物はなんだ、泣いているように見えるのは願望か。現実が信じられないもののように思えた健悟が目を丸くしていると、ぱっと顔を上げた蓮から、再び探るような目線を投げかけられた。
「おまえ、さ、東京でそういうことしてんの……?」
 眉間に皺を寄せ、至極傷ついたというような視線を感じて、下腹部に重い衝撃が走った。哀しそうに下唇を噛むその姿を誰だと思いながらも、段々と状況に流されそうになって来る心も否めない。
 ガツンと言って、あの生意気な坊主達への牽制をしたかったというのに、目の前の据膳に段々とどうでも良くなってきたことも事実だった。
「…………」
 有りもしない事実に対して、訝しむような目線を一直線に感じる。酒の所為だと分かりつつも、余りにも可愛すぎる現実に、これはこれで、と溜息を吐いた瞬間、隠していた靄の塊は一気に空気中に溶けてしまってたようだった。
 ……そうですよねー酔っ払い相手に何やってんのってねー、俺ねー……。



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