「……チッ、」
 人っ子一人居ない道路の端で、まずは挨拶代わりの舌打ちを一回。
 利佳がこの場に居れば殴りかかってきそうなほどの音を立てて、車のドアは閉められた。そんな耳を塞ぎたくなるような音すらも緑に吸収されてしまう此処は、橋の手前、道路に面した駐車場も無い酒屋の前だった。
 古びた看板には薄ぼんやりと「宗像酒店」との表記があり、ガラスで隔たれた店内には色取り取りの瓶やおつまみ用のお菓子が犇めき合っている。
 しかしながら店内には客はおろか店番の主人すら見当たらず、健悟は眉を潜めながら昔懐かしいビールやコンドームの自販機の前を通り過ぎて行った。
「玄関捨てとけっつったじゃねえかよ……」
 家に繋がっているらしい勝手口を覗き込むも、人間が転がっている様子はない。
 捨てられていればどろっどろに優しく解放して、そのまま持って帰ることができたのに。
 いい加減彼の充電が足りない身体を引き連れて、顔も知らぬ暫定友人に心の中で赤い炎を灯しながら、ガラガラと店のガラス戸をスライドさせる。
「……すんませーん」
 低い声で牽制するも、返って来るのは点けっぱなしのテレビの音だけでしかなく、バラエティ番組の煩さが妙に脳を刺激した。
 眉間に皺を寄せながら店内に足を進めるも、一向に店主が顔を見せる気配すらない。
 客側と雖も万引きの心配をしてしまうのは、都会の商店との違いをまざまざと感じているからなのかもしれない。
 どうでもいいから蓮はどこだと溜息を吐いた途端、今度は偶々先週オンエアされたばかりのCMがテレビから流れてきたようだった。
 馴染み深い営業用の己の声を聞き、こんなところで不法侵入で捕まるなんて冗談にもならない、明日の一面記事をジャックするつもりは微塵も無いと、唇を尖らせながら深く帽子を被りなおした、そのとき。
「? お客さ〜ん?」
「、」
 突然、気怠げな声が降って来た。
「…………」
 帽子の下から覗き込むように確認すれば、ビールを片手に赤い顔で佇むスウェット姿の男がいる。
 緩いパーマのかかった髪はどこかで見覚えのあるような気がして、首を傾げてしまうのは何故なのだろうか。
「宗像ぁー、おきゃくさーん」
 それでも、彼は此方に近付いてくることはなく、どうやら奥に続く部屋が民家と繋がっているらしい、其処の店主を呼んでくれているようだった。大声で呼びつけてくれていることが分かるがどうやら返答が無いらしく、「ちょっとまっててくださいねぇ〜」と陽気な声を残して店の奥に消えて行ってしまった。
「……待てたら苦労しねえっつーの」
 帽子を深く被り直しながら、はあ、と再び溜息。
 完全に不法侵入だ、と舌打ちをしながらも、一応電話はしたと無理矢理考えを改めてみる。
 失礼します、と律儀に頭を下げながら無駄に高価そうな靴を躊躇なく脱ぎ捨てる。
 揃えることなく足を進める様はまさに余裕が無い行為そのもので、情けなくなりながらも目的に向けて怯むことはしなかった。
 だって、微かに聞こえるこの声は。

「うあーっ、ぁっちい! 焼けるっ!!」

「…………って、色気ねぇーなオイ」
 ハッ、と鼻を鳴らしながら、とある部屋の扉を開く。
「、は? なにアンタ……」
 傷んだ扉をスライドさせれば、情けなくも愛しい声の主よりも早く、坊主の若者と目が合った。
「…………はぁ、」
 二週間ぶりの再会に何かしらのアクションを求めていたのは自分だけで、目下に広がる光景といえば残量が様々な酒瓶の中心に座っている彼、どうやら飲んだ酒の度数が高いらしく舌を出しながら悶えている姿だった。
 スウェットを着ているというよりも、着られているという表現の方が正しいということは、きっとそういうことなのだろう。
 あああー、うぜえ。糞うぜえ。
 部屋に居るのは二人、焦がれた人物と、彼と対峙する坊主の子供は電話元の暫定友人なのだろう。彼のグラスから氷が溶けた音すら聞こえるほどに、静かな空間だった。
 テーブルの上には梅やソーダも置いてあり、置いてある銘柄に生意気だと睨むことしかできない。
 でも、そんなことはどうでもいい。
 いま、俺が触りたい、の、は。
「…………おバカ」
「ってぇ!」
 ごつ、と蓮の旋毛目掛けて下ろした健悟の拳骨は割と本域のもので、脳天を揺らされた酔っ払いは両手で頭を抑えて二重の意味で悶えている。
 その手からロックグラスを抜き取り嗅げば、むっとするようなウイスキーのにおい。
「キッツ……昼間っからなに考えてんのよ、このアホ」
「ってててて!!」
 おいこら未成年、と吐き捨てぐりぐりと拳を頭に捻じ入れる。
 久しぶりに会ったというのにすっかり火照り顔で、滅多に見せない笑顔を惜しみなく見せる姿は恨めしいものでしかなかった。何笑ってんの、糞可愛いんだけど、ふざけんな。たかが酒ごときで、そんな顔ばら撒いてんじゃないよ、おまえは。
 悔しさに負けてその頬を両手でべちんと挟み込むと、痛みに従順に口を横に広げる蓮が居る。
 「いーたーいー」と高低を付けて喋る様は明らかに馬鹿っぽい。馬鹿っぽいし、微妙に泣きそうだし、本気で痛そう。
 なにこれ。普通なら「触んな離せ」で払い除けられるところでしょ、なにそのちょっと弱い感じ、甘えてる感じ、何この子馬鹿じゃないの、馬鹿なんじゃないの。うっぜ、ばかだ、ばか、こんな顔してずっと此処に居るわけ? あったまわりい、なんだこいつ、むかつく、すっごいむかつくけど、酒が入ると表情が豊かになるのは、……まぁ、確かに発見だよな。



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あきゅろす。
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