『えーっ?』
「…………」
 触るな、という声が幾度か聞こえる。どこをだこの野郎と聞きたくとも電話には誰も出ていない。放置か。放置ですか。
 何やらうざったい会話が聴こえることに耐えているも、耳から入ってくるのはえへへーという不自然な笑い声でしかない。
 段々と嫌な予感のみが募っていく健悟の様子を、明らかに目元が細まっていく様子を、利佳は真横でじっと見ている。
 両者が耳を澄ませながらも、一方は不機嫌丸出しに唇を尖らせ、もう一方は至極楽しそうな様子で三つ目のチョコレートに手を伸ばしている、奇妙な空間だった。
 そして、利佳がテレビを消して数秒後、健悟の鼓膜が破れそうなほどの大きさの声が耳に届いた。
『もっしー!!!』
「…………っ、」
 あっはは、と邪気無く付け足されたのは、紛れも無い蓮の声。
「……おまえ……」

 酔 っ て い ら っ し ゃ る 。

「…………」
 ぴくりと痙攣を起こしたのは健悟の目元で、はぁ、と溜息を吐きながら、額に掌を当てている。
 ……こっちの心配も他所に、帰って来ないと思えば飲み呆けているんですかそうですか。
「アンタねえ……何やってんの未成年」
 こら、と小さく叱るも、返事はあどけなく反省は皆無に等しい。
『えー? だれー?』
『利佳のツレっつってたけど』
「…………」
 もしもーし! と普段ではあり得ないテンションを保つ秘訣はアルコール、電話の向こうで顔も知らない友人と喋っている姿が安易に想像でき、健悟は思わず舌打ちをしてしまった。
『んー? あー、んー、帰る帰る、帰る帰る帰るーそのまえにもいっぱいー』
『バッカ、蓮、おい。だからてめえはとりあえず服着てこいっつの』
「…………」
 ぴくり、健悟の眉が動いた様子を見て、利佳が「あらー」と笑った。
 
 は だ か で す か 。

 ……下は履いてるんだろうなこの野郎。
 普段から無防備な蓮の様子を思い浮かべればその保障すらなく、健悟は無言のまま、意識を逸らせるが如く電話を持っていない右手の拳を、開いたり閉じたりと繰り返していた。
 あーマジなにこれ、なにこいつ、どうしてやろうかこのアホちゃん。
『――、――、―――!』
「…………」
 此方が喋るタイミングすら無く、完全に電話口での会話を聞かされているだけの現在の空間。大きな疎外感。どうやらこれから暫定友人が蓮に貸す服を探しに行くらしい。馬鹿言ってんじゃないよ。死にてぇのか。
「…………」
 いつの間にか蓮の手から離れてしまったらしい電話を律儀に持っていると、数秒後、暫定友人の声が耳に届いた。
『あー、すんません、またあとでかけ直させ――』
「――酔っ払い風呂入れないでもらって良いっすか」
 ふざけるように、呆れるように笑う声音に怒りが募り、つい口を開いてしまったのは所詮醜い独占欲のせいでしかない。
『……は?』
 一転して真顔に戻ったらしい暫定友人の言葉を待つと、「あー……」と少し言葉を濁した後、信じられない言葉が返ってきた。
『……いや、羽生と……まあ。一人じゃなかったし大丈夫だろ、つかちょっと、あー、じゃあ、』
「…………」

 一 人 じ ゃ な い っ て ど う い う こ と 。

 それを聞いた健悟が目を丸くしている傍ら、利佳はくっくっと小さく笑いを堪えている。
 何十回と共に温泉に赴いているのだから、羽生と蓮がふざけて風呂に入る様子は容易に想像できる。しかし健悟にとっては許容範囲を超えていたらしく、数十分前までテレビの中で仮面を被っていた“真嶋健悟”とのギャップについ笑いがこみ上げてきてしまった。
 その利佳の様子を目にした健悟はきっと睨みつけ、何かを決心するかのように下唇を噛み締めた後、口を開く。
「……あー、分かった、分かりました。じゃあこれからマッハで引き取り行くんで、ソイツ玄関にでも捨てといてもらっていいっすか」
『は? ……なに?』
 捨てておけ、という健悟の言葉が本意ではなく、ふざけて言っているように聴こえたらしく、宗像は鼻で笑い飛ばす。
 しかし本心から言っていたからこそ、その宗像の余裕が癪に触った健悟は、すうっと息を吸ってから、まるで演技用とも言える地から湧き上がるような低い声を創り出した。
「――良いから。見んな触んな余計なことすんな。――ほっとけクソガキ」
 は、という呆気に取られた宗像の声を最後に、ブチッと強く電話を切ったのは健悟の方だった。
 携帯電話をポケットに仕舞い、眉間の皺も隠さぬままチッと舌打ちしながら立ち上がる。
「……うーわ、さいってーー!」
 うぜえええ! と利佳が笑っている様子さえ皆目聞きもせず、持ってきたジャケットを無言で羽織るのみだった。
 「やだー、ホモの修羅場ー」とケラケラ笑う利佳に同じ笑みを返せるはずも無く、いくら女子と雖も煩い口を縫い付けてやりたい衝動に駆られていた。
「あーもう、ヒくわ、恥ずかしい。大人気ねー、かっこわるー」
「……うっせえな。くるま、鍵貸せよ」
 おら、と利佳に手を伸ばすと、「なにその態度」とこの期に及んでゆったりとした様子で尋ねてくる。
 「……かしてください」と厭味たらしく言う件は何度目だろうか、「仕方ないなぁ」と優位に立った後に漸く利佳は玄関先に置いてある鍵を取りに立ち上がってくれたようだった。
「……あ゛あああぁー」
「うるさいよ」
 健悟が玄関先で地団駄を踏めば、ハイハイと宥める利佳。どれだっけーと鍵を探す様子は焦る素振りすら無く、あまりにも他人行儀な振る舞いに健悟は溜息を吐くことしかできなかった。
「……つーか帰ったら居ねーわ未成年が真昼間から酒飲んでるわ知りもしねー家で裸だわ知りもしねー奴と風呂入ってるわなんだアイツマジで」
「ていうか最後らへんが問題なだけでしょあんた」
「るせっ。 ……だってさー、すんじゃん、期待すんじゃん? いつ振りよ、どんだけ振りに逢うと思ってんのおまえマジで」
「先々週来てたじゃん」
「二週間! 充分だろ!」
「…………。……あ、あった。はい鍵。車汚したらコロスよ」
「善処する」
「善処じゃねえホモ致すなボケ」
「蓮次第だっつの。家あれだろ、あの橋んとこの酒屋?」
「……はあ、そうだよ。前行ったから分かるでしょ」
「おー、オッケ。オトートくん無事奪還してきますよ」
「奪還て。別にあんなバカいらないけどあたしは」
 利佳がハッと呆れ混じりに笑うと、玄関に置いてある帽子が視界に入ってきた。
 最早健悟の私物が自然に置いてありすぎて、蓮のものなのか、健悟のものなのか、はたまた長男の物なのか、その区別すらつかないけれど。とりあえずそれを手に取り、無駄に高級そうな靴に足を入れる大男に投げてやるだけだ。
「いてっ」
「かぶってきな」
 とんとん、と利佳が自分の頭を指すと、それで汲み取ったらしい健悟は自分の髪を弄りながら「あー……そっか」と呟いた。
 灰色の目立つ髪を隠すように帽子を被り、くるくると車の鍵を廻しながら玄関の扉に手を伸ばす。
「あざす」
 トントンと爪先を合わせながら家を出ようとすると、その瞬間、少し低めの真面目な声に襲われた。
「健悟」
「あ?」
「――此処。今あんたが居るべき場所じゃないんだからね」
 今このときに、この街に居ることは間違っている。
 辛辣な視線はそう言われているようで、健悟はぐっと息を飲んだ。
 撮影のあったあの夏とは違う。ばれるな、と言いたいことは重々承知。
 それを、護れるかどうかは別として。
「……わーってるよ」
 行ってきます、と残した健悟が出て行ってから、扉が閉まった後、それに届かぬように見送りの声。
「馬鹿ばっか」
 再びテレビを点ければ外面良く二ヒルに笑う“真嶋健悟”が居て、数秒前に玄関を蹴っていた、感情剥き出しの本人を思い出しながら呆れることしかできなかった。



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