ドスドスと家に響く轟音は階段を蹴る音、利佳の体重からは想像できないような音が近付いていくのは、五十嵐家次男の部屋だった。
 ノックもせずに扉を開くと、案の定ベッドで横になっている腰の細い男子が一名。
「おめぇ、なんで言わねんだべか。今日健悟ぐん来んだって?」
「ん? んー……」
 忠敬が居る扉も見ずに、漫画のページを捲りながら蓮は答える。
「いつ来んだで」
「えー、さっき東京出たばっかっつってたけど」
「ほー」
「…………なんスか」
 生優しい声音は明らかなる揶揄を含んでいて、蓮は漸く漫画から忠敬へと視線を移した。
 若干の体温上昇と共に眉間に皺が寄ったことには気付いていたが、忠敬はそれすら気にすることなく蓮の元へと近付いてくる。
「ほれ」
「?」
 ぴら、と眼下に差し出されたのは福沢諭吉。突然のお小遣いに蓮が目を丸くすると、ぴらぴらと札を揺らされ、早く取れと促されているようだった。
「え、なに、マジ?」
「かだってんでねおめ、宗像ん家さ行っていやんべの買っできい」
 忠敬は呆れたように言い放ち、財布を懐へと戻しながら口角を上げる。くい、と右手を上げる仕草は晩酌そのもので、好きな品を買って来いと言っているようだった。
「マジ? やった。俺選んでいんでしょ?」
「かーちゃんには内緒にすっぺや」
「っしゃ、オッケ。超一級のぶんどってきますよ」
 にやりと笑った息子は、漫画を捨て去り瞬時にベッドから跳ね起きた。
 そして、上級の笑顔でパーカーを羽織った後、「あとごじかん」と呟きながら、ぎゅっと自転車の鍵を握り締めていた。





「むっなかたぁー」
「ああ?」
「接客業にあるまじき感じの悪さだなオイ。いらっしゃいませお客様だろ笑顔で言えよ」
「なんだオツカイかガキ」
「客に向かってその態度どーよ」
 けっ、と鼻を鳴らして蓮が店に入るも、宗像は勝手にやれと言わんばかりにテレビを眺めているだけだった。
「相変わらず客いねーな」
「ほっとけ」
 酒屋に並ぶ瓶の数々、一級品を一本買うか、それなりのものを多数買うか、さあてどうしようと胸を躍らせているうちに、むわっと悪臭が押し寄せてくる。
「……煙草くせぇー」
「ドンマイ」
 すぱーっと白い息を出す宗像は蓮すら見ずに言い放ち、やはりつまらなそうにテレビを眺めている。
「ざけんな未成年、これで良いのか客商売」
「良いヤツしか来ないだろ」
「酒屋此処しかねえしな」
「うるせえよ」
 ハッと宗像が笑い、煙草の灰を落とす所作に呆れていると、今度は店の奥からドタドタと駆け込むような音が聴こえてくる。
 店と家を隔てるガラス窓が勢い良く開き、そこから顔を出したのは予期せぬ顔。どこか眠そうにしているパーマ頭が、目を擦りながら顔を覗かせていた。
「れんちゃーん……??」
「え、羽生?」
「やあっぱりー。蓮ちゃんの声すると思った〜」
 へらっと笑った羽生は起き抜けなのか、よれよれのスウェットで伸びをしながら店に降りてくる。
「羽生なんでいんの?」
「おれ? 昨日フットサルあってそのまま泊まってたのー」
「オツカレさん。試合だったん?」
「そー。圧勝しちって奢りで飲みー」
「はぁ? 俺も呼べし、飲みだけ」
「え〜」
 とてとてとサンダルで歩いてくる羽生に、適当に相槌を打ちながらどれにしようかと悩んでいると、背中に急激な重みが降って来る。
「……重いっつーの」
「えー」
 肩から両腕を廻され、ぐんと圧し掛かってくる重みを振りほどくも、それすら楽しそうに笑う羽生が居た。
「おーもーいー」
「えー、うははー」
 身体を捩っても一向に離れそうも無い羽生を笑い飛ばす。
 すると、今度は店番をしている宗像が思い出したかのように「あ」と口を開いた。
「蓮」
「なによ」
「酒。羽生とイくけど、おまえは?」
「あー……」
 くい、と右手を上げる所作は先程忠敬からされたばかりのものだ。
 いつものメンバーでのいつもの飲み会と、滅多に会えない人との滅多に無い機会。数時間後を想像すれば思わず口元は綻び、蓮は羽生を肩から下ろしながら小さく笑った。
「や、でも俺今日用事あんだよね」
 口角を上げながら、酒瓶を一本ずつ丁寧に見て行く蓮。どこか楽しそうなその様子を目にした宗像は一瞬黙り込み、まだ長い煙草を灰皿に押し付けながら、蓮を凝視していた。
 懲りずに蓮の邪魔をする羽生を横目に、少しだけ大きな声を蓮に届ける。
「――言ったな。次いつ手に入るかわかんねえぞ」
「、え。なにそれ。なんか入ったの?」
 ぴくり、体勢を変えた蓮に、にやりと口角を上げて、一言。
「翡翠の稀覯、三十年ものな」
「まっ、マジで!?」
「おう」
「えー……ぜってぇ美味いじゃん。飲みてぇ、やばい。つーかよくあったな、親父さん怒んねえの?」
「バカ。言ってねえよ」
「うーわ、さっすが宗像サン」
「まぁ、んなガキに飲まれたくて造られた酒でもねえだろうけどな」
「カタイこと言わねーでよ」
 ははっと笑った蓮は、羽生の頭を更にぐちゃぐちゃにしながら遊んでいて、今すぐに買って帰ろうという雰囲気はすっかり無くなっているようだった。
 まあちょっとくらいなら、と、テレビの音に混じった小さな一言を聞いて、宗像は再び煙草に火をつけた。



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