完全に固まり、指の一本さえ動かせず、瞬きさえ不可能になってしまった俺は、足りない頭をフル回転して今の展開を順を追って考えてみるも、答えなんて出そうに無い。
「…………」
 おたんじょうびおめでとうって、ありがとうって、んでてまねきされて、ちかづいて、なんだっておもったら、あれ、
「ごめんね、12時丁度に祝ってあげたかったんだけど、ひーくん帰ってくるの遅かったからさぁーあ、待ちくたびれて寝ちゃったじゃん。」
 あれ、は、なんだ。
 キスか。
 キスなのか。
 …………は?
「……えぇ、?」
「帰ってきたと思ったらべろんべろんに酔ってるしぃー。あ、大丈夫? 二日酔い」
「……え、いや結構キチィけど……ってそうじゃなくてなにまじで、なに、どっきり、だれの差し金? 金子? 高洲? 石井か、あいつなのか、そうだろう。な? なっ?」
 罰ゲームか、それしか考えられない。
 なんだハニーってなんだ迎えに来たって。ギャグか。ギャグだよな。全身鳥肌総立ちの儘、男に尋ねるも、男は取り乱している俺を見て、逆にどうしたのとも言っているような眼をしている。
 あ、ああ、金髪だし、もしやこいつ、ハーフとか――……。
「? 誰それ? あ、俺、高梨ってーの、高梨壱樹(たかなし いつき)。たー、かー、なー、しっ!」
 じゃ、ねぇのか。日本人か。そらそうだ。外国人顔は見えない。金髪の相当顔の良い男前だ。それだけだ。チャラ男の挨拶なのか、キスは。そうか。ちゅうするのか、チャラ男の世界では。
 あー……。
「……よし。高梨さんね、……うん、分かった、分かったからなんで此処に居るのかだけ教えて、して出てって、分かったから」
 いくらチャラ男の世界での常識としても、ごく普通の一般ピーポーな俺には到底理解できない。よって、解除したはずだった警戒心の塊を再び抱きかかえて、男の座るベッドから一歩だけ後ずさった。
「うーん」
「うーんじゃなくてうんね、そこうんって頷くところだかんね」
 そして、簡単に了承を示さないそいつに対しドン引きを顔に出しながら更に一歩ずつ後ずさっていく。
 しかし、離れて行ったはずのタカナシの手がまた伸びて来て、俺の手首をがっしりと掴まれた。
「ヒッ!」
 こ、こえーよ、なんだこいつ。
 おいおいそんなに強く握ったら血管止まんじゃねぇの、なにそれおまえ何しに来たの俺をやりに来たのかこのやろう。息の根を止めに来たのかこのやろう。恐ろしくなって、手首に絡み付く腕を外しに掛かろうともそれが離れていく気配が無い。でも、もがいた事が吉となったのか、血管止まんじゃねぇのマジでオイオイオイな勢いだけは去って行ってくれたらしい。手首を掴まれて、上目に見られているわけだが、なんだが微妙に怒っていやしないか。つーか話し方。話し方おかしくね。
「ってぇかひーくん、分かってる? 高梨って、なんの会社か」
「はぁ?」
 知らねぇよ、知るか馬鹿。就活なんて来年の秋からだ。だいたいそんな会社売るほど死ぬほどあんだろ。高梨製薬高梨運送高梨株式会社……。あーーーめんどくせぇ。
 ……とは、恐いから口には出せない。だって如何考えても二日酔いの俺がこんなでっけぇ男に敵うわけねーもん。
「んんー? だからぁ、ターカーナーシィ」
「いや、意味が良く……」
 わかんねえっつーの。
 そんなん言ってったらキリねぇんじゃねぇの、高梨旅行会社高梨有限会社高梨トラベル……高梨……。
 と、此処まで考えた時、俺の脳裏に聴きなれた名前と嫌な予感が共に過ぎった。
「……って、え?」
 高梨……コーポレーション?
 思い浮かんだ名前を心の中で連呼しながら、まさか、と表情を変えて男を見て見ると、
「おっ?」
 其処から何かを察したらしく、何処かわくわくしたような表情を向けられた。さっきまで怒っていたと思ったのに。なんなんだこの感情の起伏の激しさは。
「、……や、つーか高梨って、あの……、」
「あはっ、うん。そーうそっ、ひーぴょんのパパちゃんが勤めてる会社だよね、高梨コーポレーション」
「……ひーぴょん……?」
 変なあだ名を繰り返し問うものの、実際いきなりの親父の会社紹介の方に意識を持っていかれてる。え、だって、なんで知ってんの、知ってどーなんの。あ、いやつーかなにそれひーぴょんって。こいつさっきもひーくんとか呼んで――頭痛により話すことさえ億劫で、脳内で色々な考えがパタパタ羽を生やしては飛んでいく。浮かんでは消えるとはまさに、だ。
 そんなことをしていると、男は、俺の手首を掴む右手は其のままに、空いている左手で鞄を探り始めた。何をしだすんだ今度は一体、とその奇行を凝視していると、「あったぁー」との間延びした声が聞こえてきて。そして。
「ね? はいこれ名刺」
「!」
 さらりと渡された名刺に、眩暈がして倒れてしまいそうになった。
「な! ……っ……」
 一瞬荒んだ声に、二日酔いの頭は素早く反応して鈍器で殴るようなエグい信号を多々出された。おま、俺の身体なんだから。優しくしようぜ、お互いに。
 左手は塞がれている為に、頭を抱えることも出来ない。だから仕方なく、右手で受け取った白いそれを、まじまじと改めて凝視する。うそだろう、と言いたいのが本音だった。むしろ嘘であれ、と願った。
 だって。
「(代表取締役って、……しゃ、社長……!?)」
 視界に入って来たのは、ちっちぇー頃から馴染みの深い会社名と、馴染みなんて一切無いむしろ初めましてコンチャワーな役職の文字。
 その衝撃にくらっと来た所為か、頭を後ろに持ってかれて、ふらっと倒れてしまった。足の力が抜けた。そりゃーもうがくっと。一気に。
「あぁーあー、だーから大丈夫って聞ーたのにー。はいはい寝て寝てぇーい」
 繋がっている右手を引っ張ると同時に、座ってしまった腰を支えられて、ベッドに寝かされる。枕に頭を委ねて、低反発マットレスに身体を預けると、幾分傷みと疲れが和らいだ気がする。
 男の動向が気になって目を向けると、既に俺から遠退いていて、その姿はキッチンの奥にあった。キッチンの奥にある戸棚には、保険証やら通帳やら使わないカードやら金目のものは隠して入れてある。本当に社長と言うならば金には困らないだろうが、漁られていいものでは決して無い。
「え、ちょ、此処俺の家……」
 勝手に漁るな、と起き上がる。
 しかし、男は既に用は済んだのか此方に向かっていて、其の右手には薬箱を所持していた。はっや、え、なに? は?
「おま、なんでそこにあるって……」
「さーてなんででっしょー」
 確かに二日酔いの薬は欲しかったけど、薬箱が其処にあるなんて言ってない。なんで知ってるの。なんで躊躇わずに戸棚に向かって、すぐに取れたの。
 なんで、わかったの。
(ゆめ……? なにこれゆめか、ゆめなのか。)
 はい、と男から二日酔いの薬と水を渡されて、余計に恐怖心が募る。得体の知れない男が自分の家を知っているような気がして物凄く怖かった。
 でも。
「一人で飲めますカー?」
 ふざけた対応。飲ましてあげよっか! とヘラヘラしながら近寄ってきて、水を取られそうになった。だから俺は全力を駆使して、断る言葉を紡ぐ前に水を飲み干した。そして、横になって不貞寝の体勢をとる。ほっといて良いんで帰ってください、とは、声に出さないながらも全力での主張だ。
 でも、あーあー、と、わざとらしい溜息を吐いて残念そうにしている男の仕草は、物凄く幼い。怖くない。警戒に値しない。
 ……ち、ちがうよな、薬箱とか……なんとなく探したらあったとか、そんな、だろ? な? うん。……じゃなきゃ、こえーよ。
「だいじょぶー?」
「……あー……」
 上から覗き込んでくる端正な顔立ちに、曖昧な返事を返すものの、迷惑掛けてすんません、なんて思うどころかあんたの所為だとの睨みも勿論忘れなかった。
 だってうそだろ、信じらんねーって。如何考えても俺とタメくれーだもんよこのひと。知らん。俺は何も知らんぞ。たった10分位の出来事なのに、情報処理し切れず頭パンクしそう。なんだこれ。もしそーだったとしても、親父の会社のシャチョーさんが俺なんかに何のようだ、なんで息子に会いに来る必要があんだ、つーかなんだこれクビか、親父がどうした、なんかやらかしたのか、会社から逃げたのか? あ?
 ちょーまじ頭いてぇ……。
 すんなりと受け入れられないこの状況に、改めて天井を仰ぐ。梅雨の所為か薄暗い部屋に、頭がぼうっと溶けていくみたいだ。たとえ二日酔いは自己責任だとしても、いみがわからない、まじで。
「おれね、2年前に親父が死んで政権交代したの。実権は、俺が握ってる。」
 声が聞こえた。酷く、真面目な。
 冗談を言っているトーンとは思えない口調に、オレの友達の悪ふざけじゃないってことだけは伝わった。でも、だからって、なにがどうなっているんだ。真っ直ぐ上を向いて、男から現実逃避。なんでこうなったかを考えて見る。でも、一人でゆっくり考えたかったのに、男はそれを許さないらしい。腹に重みを感じたと思った次の瞬間には、男の顔が突然視界に入ってきた。ベッドで寝ている俺を上から覗き込んで来る。女ならば手放しで喜ぶところだけど、相手は男だ。男の固いケツが腹に当たって、しかも、全体重を掛けられているらしく、ものすごく重い。コンディション最悪だってのに、余計に最悪だ。なにがしたいんだ。
 どけよ、と身体を捩ろうとするも、それを許さないと云うように離れない。両膝で脇腹を固定されて、起きれない。動けない。焦った俺が無理に起き上がろうと悪戦苦闘していると、だんだんと、男との距離が近くなってきた。
 というのも、男がその体勢のまま前に倒れてきたからだ。
「……は? ちょ、近いって……!」
 降りて来る其れの胸元を両手で制する。これ以上近づくな、と云う意味を存分に込めて押しやったのに、男は何を思ったのか、俺の手なんか気にしないと言わんばかりに、自分の手を伸ばしてきた。殴られるのか、と目を閉じるけれど、骨に響く音は来ない。それの変わりに、頬の上で指が動いている感触がある。包まれた頬。さっきまで寝ていたとは思えない程に冷えた手で、予想しなかった温度に身体が揺れてしまった。
 そして、今までの口調とは大違いな真剣な瞳に、捕らえられたかのように動けない。
 怖い。怖い。怖い、なんだ、これ。
 20年間生きてきて、初めて感じた。
 これって、もしかして、ああ、そうだ。
 威圧感、だ。
「――此処まで言えば分かるよね?」
「……」
 口元は確かに笑みを生んでいるのに、目は全く笑っていない。全身が冷えて凍ってしまったかのように動けない。怖い。恐ろしい。怖い。



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