四.想い出を棄てましょう。



「おもいで……」
 ハルトとの想い出。そう指南されて真っ先に足が動いたのは寝室にある真っ白な四段重ねのチェストだ。
 一番下の段は保育園と幼稚園、二段目は小学校と中学校、三段目は高校生、一番上は大学生、それぞれの段にそれぞれの時代のハルトから貰ったプレゼントが入っていて、チェストの上部には二十冊ほどのアルバムとレターボックスが置いてある。
 これが、俺の中で一番の、ハルトとの想い出たちだ。
「…………」
 眉間の皺は気が進まない感情を顕著にあらわしていて、亀よりも鈍い手付きで一番下の引き出しに手をかける。
 保育園、幼稚園時代のハルトとの想い出に最も多いのは、くるくると丸められた紙たちだ。一見すると何が何か全くわからないそれらだが、開けばハルトが初めて自分の名前を練習した形跡だったり、親を描けというお題だったはずなのに真ん中にでっかく俺を描いて、その横に小さく自分の似顔絵が添えられている画用紙だったりがある。
 写真はアルバムに纏めてあるからモノしか残っていないけれど、それでも抗えぬまでの可愛さに包まれている最下部は恐ろしいほどの破壊力を秘めていて、当然捨てられるはずもなかった。
「いや、ここは仕方ないだろ……次だ、つぎ……」
 思えばこのへんから一気に成長期に入っちゃったんだよな、と開けた引き出しは上から二番目で、ブレザー姿のハルトからもらった「ひとつめ」のカレンダーを手にとった。
 それは今でも続いている習慣で、毎年正月になるとハルトから翌年のカレンダーをもらうというものだ。
 「毎年プレゼントする」を最初に習慣化したのは俺の方。ハルトが芸能界に入った時、忘れないようにとスケジュール帳を渡したことがきっかけだった。長年俺が一方的に渡していたその習慣だったのだけれど、俺が社会人になった一年目に、初めてハルトから職場に飾って欲しいとカレンダーを渡された。
 小さめの卓上カレンダーは透明なビニール袋に入っていて、その袋の中に、いつもありがとうという父の日かよと突っ込みたくなるようなメッセージカードが同封されていたことを覚えている。照れくさくなりながらも御礼と共に受け取って、いざ学校でカレンダーを開封すると、ちょうどメッセージカードに隠れていた部分、組み立てると底になり隠れる黒い部分に、黒いペンで、「なおき だいすき」と丁寧にハートマークを添えて書いてあったのだ。一気に体温が上がって焦った俺は急いでカレンダーを裏返しにしたけれど、黒い紙に黒いペンで書かれたメッセージは余程近づかないと見えない上に、カレンダーの底なんて覗く人も機会もないだろうと、帰ったら説教、という連絡だけを残して新しい職場にそれを飾って帰った。
 似顔絵も、カレンダーも、保育園の時に粘土で作った小さな指輪も、仕事帰りにお土産って買ってくるチーズケーキのパッケージさえ、ハルトから貰ったプレゼントには、ひとつとして漏れることなく、すべてに、いびつな文字で、「なおき だいすき」と書かれていた。
 保育園の頃に訳も分からず必死に書いていただろう七文字は「お」が数字の三のように見えたし、お約束というように「き」が左右逆に書かれていたが、それがだんだんと成長するにつれて正しい七文字へと変わっていった。相変わらず下手くそな文字だけは、ちっとも成長しないけれど。
 見慣れた、七文字。
 十五年以上経っても変わらないその習慣に、ときどき泣きそうなほど嬉しくなってしまっているのは、ハルトには絶対に言わない俺の数少ない秘密のひとつだ。
 いつでもどんなときでも自分をだいすきでいてくれて、全身で愛を伝えてくるその小さな塊が愛しくて愛しくて、間違いなく自分の人生の中で一番キラキラした、宝物のような存在だった。
 気になっている女の子とうまくいかなくてヘコんでたときも、はじめて受け持った授業で失敗してヤケ酒したときも、教育方針のズレで生徒の親と校長先生に怒られて良い歳して泣きそうになったときでも、ハルトからもらったその言葉たちや、毎年お互いの誕生日に交換している手紙を読み返すと、それだけで、ほんっとにバカみたいに元気がでた。
 いままでカレンダーなんて一年経ったら捨ててきたというのに、こんな七文字を入れられたもんじゃ、捨てるに捨てられないというか本音を言えば捨てたくないものになってしまった。
 初出勤でカレンダーを職場に持って行ったとき、やってくれたなと嬉しさ半分怒り半分でハルトを責めても、誰にも見えないでしょ、とまるで悪戯が成功した子供のように笑っていたのだ。そんなハルトに、俺はいつも助けられていた。
 たとえば俺の目の前にとんでもない金持ちが現れて、世界中から掻き集めた宝石の数々をプレゼントされるとしても、俺はきっと、ハルトを選ぶと思う。
 だって俺には、ハルト以上に綺麗で、魅力的なものが見つからない。
 ハルトが俺を想うくらい、きっとそれ以上に、俺だってハルトのことを大切だって想っているからだ。いつだってありがとうと叫んでいるこの気持ちが、磨いただけの石に負ける気がまったくしない。
 いつだったか、最初は家にあった適当な収納ボックスにハルトから貰ったモノを入れていたのだけれど、さすがに整理しきれなくなってちょっと奮発して値段の高いチェストを買った時、あいつも俺もほしいっておねだりしてきたんだよな。子供の時から金だけはある奴がおねだりしてくるのも珍しくて、俺のお年玉をつぎ込んで、すぐさま買ってやった記憶がある。ハルトにとっては、「俺があげた箱のなかに、俺があげたものを閉じ込める」ということに意味があったらしい。俺があげたものならなんでも嬉しそうにそこに入れていて、お揃いのチェストを大切に使ってくれていることをずっと感じていた。
 一度、チェストの中ではなく、まじまじとチェスト自体を見ているハルトを不思議に思って声をかけたとき、冗談で、ナオくんもここに入れればいいのにね、と、ぼそっと呟かれたことがある。
 大切なものはなんでもそこに入れたがったハルトに、ばかいうなよ、って俺は笑ったけれど、その横でハルトはうっとりとした表情で、なおくんがこの中に居てね、この部屋いーっぱいをおれからの贈り物にしてね、そんでね、おれの宝物の部屋にするの! ってわくわくした瞳と無邪気な笑顔を見せていた。
 あまりにも子供らしいその発想に、かわいいなあ、って勢い良く抱きついて、頭を撫でてやった記憶がある。
 つまりは俺は、幼いころのハルトにメロメロだったわけだ。
 腕の中で、そんでね、ナオくんはね、この部屋から出てっちゃだめなの、出したくないなあ、って続ける小さな塊に、はいはい、って笑いながら頷いていたけれど、あれは本当に、可愛すぎて頬が緩みっぱなしで止まらなかった。
「ああー、やっぱだめだなー……」
 もう過ぎた記憶のはずなのに、思い出すだけで、いまでもついつい笑顔になってしまう。
 モノも記憶も、おれの周りは、いつだって、どこだって、ハルトにもらった想い出で溢れていた。
 宝物でいっぱいのチェストだけじゃない、俺のためにってハルトが撮影のスタッフから買ってくるバカみたいに多い服や帽子やアクセサリーが入ったクローゼットの中だってそうだ、買った雑誌なんてこの家に入りきれなくなって新しいものから順に実家に避難してる。
 新しいものから実家に移して幼少期の映像ばかり愛でる俺をハルトは「ナオくんは今の俺に興味がないんだ」って怒っていたけれど、俺の休日なんて、いつだってあいつのテレビの録画の編集に使ってるって、あのバカはわかってないんだろうなー。そのくせ、ナオくんはいつだって俺にかまってくれないんだ、おればっかりがナオくんに遊んでって言ってるんだってくっだらないことで拗ねるんだよな。
「バッカだなー、マジで」
 こつん、冷たいチェストに額を寄せれども、何の音もするはずがない。無機質で何も産まないそれはただのモノなのに、俺は、きっと、これをこれからも捨てることができない。これは、確信だ。ハルトの想い出を捨てるってことは、この部屋を捨てて、この暮らしを捨てて、実家を捨てる。ハルトを捨てる。それはつまり、俺が俺でなくなると、そういうことだ。
 あいつのことが大事だと、あいつがどうしたって可愛いと、このキラキラとしか形容できない気持ちを捨てたとき、俺に何が残るのか、自分でも想像できなかった。





 作戦 四

 想い出を棄てましょう。
 失敗。 

 



 当たり前だ。
 俺はずっと、ハルトと一緒に生きてきたんだから。

 
 俺の人生の中で何よりも大事な宝物ばっかりだ、捨てられるわけがない。
 次だ、次。
 まだ次の……最後の、法則が残っている。





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あきゅろす。
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