一.相手と関わる時間量を徐々に減らしていきましょう。



 家に着いてから早速、ピンクが見えないよう店員にしっかりとカバーを掛けてもらった本を開く。
 見出しの後には幾つかの具体例が示されていて、うまく別れる方法や別れ方のタブーを書いている指南書のようだった。一番悪いのは黙っていなくなるケース、これは相手がストーカー化してしまい、自身の家族や友人にまで声が届くケースがあったというのだ。ハルトに限ってはそんなことはないだろうし、ましてや恋人というわけでもない、ただうまく距離を取るにはどうすれば良いかと思って購入しただけだ。
 しかし、タイトル通りの用途に応じた購入ではないものの、目的に対しては、意外と本当に当て嵌っているような気がしていた。
「とりあえず、連絡を減らせばいいってことか……?」
 一緒に住んでいるのだから、家に帰らなくなるということは難しい。仲の良い友人や同僚は皆結婚してしまっているし、実家に戻れば確実にハルトにもバレてハルトが追いかけて来てしまうだろう。
 あいつのためでもあるし、とりあえず最初は、連絡を少なくするところから始めてみよう。
 そう決心したところで、朝喧嘩別れしたハルトが帰ってきた音がして、急いで鞄の奥にピンク色ではなくなってしまった本を隠す。
「ただいま〜」
「…………おかえり」
 疲れた様子で帰ってきたハルトは案の定朝の喧嘩などなかったかのように話し始めて、収録で一回だけ使ったんだけどナオくんに似合いそうだからもらってきた、と可愛いことを言って俺の頭に帽子を被せて来た。
 芸能人だからといってそう簡単にアイテムを貰えないことなど俺でも知っているけれど、ソファに座る俺の前に胡座を掻いて、かわいい、と頬を緩めるハルトこそ可愛かったから、さんきゅ、と告げて目深に帽子を引き寄せた。
「…………」
 それでも、根底には残っているのだろう。
 きっと、俺から話し出すのを待っている。

 許せハルト、これは、おまえのためでもあるんだから。

 その翌日から、いつもと同じハルトからの連絡に対して、レスポンスの頻度を下げることにした。
「おはよう、起きた?」「仕事行ってくるねー、きょうは雑誌の撮影だよー。こんなん着てるよ」「お昼、ここ来たよー。うなぎや。山椒きいてておいしいよー。今度一緒に行こうねー!」「この犬シロに似ててかわいいくね?」
 授業中もひっきりなしに入ってくる連絡には、昼休みに一言、シロの方が可愛い、とだけ返信を残した。
 いつもは律儀に返信をしていたからこそ、こういう些細な事でも胸が傷む。既読になっているメッセージをハルトが読んで哀しむのを想像しただけで、今すぐ一通一通に返信したい気持ちすら湧いてくる。

 ……俺、こういうの、向いてないのかもしれない。

 しかし、事態は思わぬ方向に動いていた。
 その夜、機嫌が悪くないだろうかと狼狽しながら家に帰ったけれど、なんと、ハルトの様子がいつもと一緒だったのだ。
 返信をしていなかったことをうっすら仄めかすと、「そういや返信なかったね。仕事忙しかったんでしょ?」とあっさり笑顔でかわされてしまった。
 今までだったら少しでも返信が無いと騒ぎ立てて背中から離れなかったというのに、大人になったということなのだろうか?





***





「ハルト。俺、仕事で部活の顧問することになったから」
 帰宅後、珍しく先に帰ってソファでテレビを見ていたハルトの隣に座り、さらりと告げた。
 連絡の返信を徐々に遅くしていき早三日、仕事が忙しいと思っているらしいハルトに更に時間がとれなくなることを伝える。
 顧問をするというのは嘘だったけれど、ただでさえ忙しくて疲れて帰ってくるのに家事までしなくなったらいずれ怒るか呆れるかするだろう。
 わかりやすい距離の置き方に、こんなことは今までなかったな、と思う。大学時代の飲み会もハルトが居たからハルトの仕事に合わせて参加していたし、体裁が悪くなると分かっていても学校の休日出勤はできるだけ断っていた。
 そんな俺が、ハルトと過ごす時間を削ろうと動いていることに、張本人が気付かないはずがなかった。
「ふうん。何部?」
 しかし意外と冷静に切り返されて、もしかして気にしていたのは自分だけなのだろうかとうっすら思う。
 そういえば、ハルトもずっと忙しくて、なかなか帰ってこれない日もあるもんな。
 別に俺の帰宅時間が変わったところで何も気にしないのかな、この作戦は失敗だったか。
「女バス」
「女バスかー。ナオくんテニス部だったじゃん。ルールとか知らないんじゃない?」
「それはこれから勉強するから問題ないだろ」

「こんな中途半端な時期に顧問交代なんてあるんだね」

「―――」
 きた、と頭の片隅で思った。
 一瞬で疑いを全面に出したハルトの顔を見ればにっこりと笑んでいて、俺以外の人間が見れば普段と何も変わらない会話だと思ったことだろう。
「、来週から杉山先生が産休に入るんだ」
 ちょうど産休に入る先生が居ることを知っていたからこそ、アリバイは完璧だと、ごめんハルト、と思いながら会話を進める。

 ―――しかし。

「産休は三ヶ月後でしょ?」
「…………なんで知ってるんだよ」

「このまえナオくん待ってたら駅で会ったの」
「―――いやでも、顧問をするのは、……ほ、ほんとで……」
「ふうん?」
「……………………」
「まあ、いいんじゃない」
「!」
「そのかわり、俺も教えに行く」
「は!?」
「俺もバスケ部だったし、俺のほうが教えられるでしょ?」
「……や、おま、外部の人間は立入禁止に決まって……」
「外部の人間? 俺、卒業生だよ。OBが母校に行って何が悪いの?」
「………………」
 笑みを崩さず話を持ちかけるハルトは静かに怒っていて、俺の帰宅時間が変わったところで何も気にしないなんて思った過去の自分を叱ってやりたい、なんでそんなことを思ったんだ、ばかやろう。
 ハルトが学校に来るということは生徒がパニックになるということで、昔から俺とハルトの事情を知ってる校長に怒られるのは、間違いなく俺だけだ。人気芸能人が母校に来たところで、良い宣伝をしてくれれば学校側は構わないと思っていることだろう。
 相変わらず自分を正当化して一番嫌な手口を取ってくるやつだ。
 そんなこと、昔からよくわかっていたはずなのに、改めて実感させられてしまって、頭を抱えることしかできなかった。
「……………………、だよ……」
「はい?」
 小声で言えば、なにとでも言わん顔で首を傾げられる。
「………………うそだ」
「聞こえない」

「―――うそです!!」

「知ってるよ。だいたいあんたサッカー部の名ばかり副顧問やってるでしょ。試合ん時だけのお手伝い」
「…………」
「さて。ご飯つくるか。なに食べたい?」
「………………ピーマンの肉詰め」
「はーい」
 ぱっと頭に浮かんだものを言えば、躊躇いもなく了承の返事が渡される。ソファから立ち上がって伸びをする姿はゴツくてデカい男のくせに、手先だけは随分と器用に育ってくれたようだった。
「…………料理部って言えばよかった」
「余計無いでしょ。今更俺以外のメシ口にできるわけ?」
「………………できない……」
「でしょ」
 そういうふうに育ててますから、と包丁を持って笑うハルトに、おまえを育てたのは俺だ、と言い返したけれど、聞こえない振りをされた直後に小気味良いリズムが聞こえてきた。
 余った肉は毎回冷凍して野菜は冷蔵庫から切らさない、俺がリクエストした料理をさらっと作っちゃう若手芸能人なんておまえくらいだとおもうよ、ほんとに。




 作戦 一
 
 相手と関わる時間量を徐々に減らしていきましょう。
 失敗。 




 ……最初からうまくいくわけないじゃないか。
 産まれた頃から一緒の幼なじみは、案外手強い。







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あきゅろす。
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