「……あのなあ、おまえこのまま一生ハルトと暮らして、一生ひとりで居る気かよ」
「俺は別に……」
「おまえだけじゃなくて。ハルトもだよ。良い歳こいた芸能人なんだから、あいつだって遊びたいとか、家に女連れ込みたいとかあんだろ」
「…………ハルトがあ?」
 全くしっくりこなくて再び首を捻る。
 小さいころもすくすく成長した今も、外見は変われども、俺の中ではまだまだ子供だったからこそ、うまく結びつかなかった。いや、そりゃあ、付き合ってたやつの一人や二人は居ただろうけども。
「つーかあいつの稼ぎじゃ高級マンションの最上階でもキャッシュで購入できるんじゃないの?」
「キャ、キャッシュておまえ……」
「事実だろ。おまえの暮らしに合わせるんじゃなくてさ、そろそろあいつのこと自由にしてやんなくてどうすんだよ。子離れさせてやるのは、親の仕事だろ。いつまでもハルトハルトって依存してんじゃねーよ」
「―――うーわー……ストレートにぐっさり来たー」
「結婚決めた男は一味ちげえんだよ」
「やー、そっか、自由に、か……子離れ…………あー、」
 あー、そうですか、と脳で考えずに口先だけで言葉を滑らせたのは、今まで考えたこともなかった角度から事実を突きつけられて戸惑っていたからにほかならない。
 ハルトが芸能人として働いていることはもちろん知っていたけれど、昔から一緒にふたりで暮らしてきたんだ。家族同然のハルトと離れるなんて、考えてもみなかった。でもそうか、考えてみたら、俺も十八で一人暮らししてみたくて実家出たんだもんな。二十歳超えたハルトがたとえそう思っていても仕方ないというか、当たり前のことなのか。
 朗報の最後は結婚式の友人代表を頼まれて、今度祝え奢れと散々聞こえて電話が切れたけれど、通話が終わっても、腹の底にずっしりと重い塊が溜まっている気がした。
「ハルトと、離れる、か……」
 自分はきっとうまく遊んでいるだろうに、俺にはちっとも自由にさせてくれない、お兄ちゃんが取られるのが嫌なだけのでっかい子供。たしかに良い機会なのかもしれない、三十路手前の俺と二十歳を越えたハルト、まだまだ子供だと思っていたけれど、世間一般から見れば成人男性なんてもう立派な大人なんだよな。
 どうして俺の何倍も何十倍も稼いでいるあいつが子供だと思っていたんだろう、俺と一緒に住んでいる2LDKなんかより、もっと広くてセキュリティもしっかりしている部屋のほうが芸能人にはあっているはずなんだよな、あいつだってまだ若いんだ、おれと一緒にいたら連れ込む子も連れ込めないだろうしな……。
「そうか、いつの間にか大人になってるんだよなー……」
 メディアに囲まれまくっていたハルトの成人式は儀式というよりもただの仕事の延長だったから、感慨深くなる暇もなかったんだよな。
「……結婚かー」
 おれもいつか結婚するんだろうな……いや、つーか、俺、……結婚できんのか? ていうか、彼女つくれんのか? もう三十路だぞ?
 ふとした流れで己に問いかけるも、今迄付き合ってきた人数とそれから経過した年数を指折り数えるに連れてようやく焦りが追いついた。
 若いうちはハルトを優先していたから気にもしていなかったけれど、三十路手前の今、さすがにマズイことに気付いてくる。
 職場では散々どうなんですかと聞かれるけれども、決まり文句のようにまだ予定はと返していたからこそ一々本気で自分に置き換えたことはなかった。
「つーか、もう、……そうか、大人なんだよな……」
 根拠もなく漠然と、ずっと続くと思っていた二人暮らしのレールが、ふとしたこの一瞬でぷつりと途切れた感覚がある。
 三十路手前で気付いてよかったと思うべきか、気付くのが遅くなってしまったと思うべきか。
 だってそうだ、俺だけじゃない。
 ハルトだって、いつかは誰かと結婚することだろう。
「……子離れ、か」
 子供の幸せを願うのは、親の義務だという。
 俺のためにも、あいつのためにも、たかが十分の会話で出てきたこの選択肢が間違えているとは思えなかった。
 思うだけでは現実は何も進まないと知っているからこそ、本屋の前に飾ってあった一人暮らし特集の引越情報誌を手に取って、帰ってからじっくり読もうと岐路についた。




***

 事件が起きたのは、その翌日、朝方仕事を終えたらしいハルトが騒がしい音を立てて寝室に走ってきたときだっだ。
 遮光カーテンのおかげで真っ暗な室内に脳が覚醒できずにいると、ハルトは容赦なくカーテンを開けて、更に覚醒を促すべく朝っぱらから部屋の電気を点けてきた。
「っあーーー、てめっ、やめろ……まぶしいっ……!」
 嘆かわしい暴力にベッドで布団を被りながら悶えるも、既に覚醒しているハルトの機敏さにはかなわない。布団を剥がされると同時に、通勤用鞄に入れていたはずの情報誌が顔を目掛けて降ってきた。
「ってぇっ……!!」
「……これ一人暮らし用だよね。なんでそんなの持ってるの?」
 ただいまの一言も聞かぬうちに上から零れ落ちる冷たい声。丸めた情報誌で起きろと告げるように頭を叩かれて、未だおぼろげにしか見えていない視界でも、ハルトが怪訝な表情をしていることだけは伝わってくる。
 それでも、今言うのも後で言うのも一緒だろうと、ぼんやりする意識に従って、ハルトからの攻撃を防ぐことにした。
「あ〜……出てこうと思って、ここ……」
「なんで」
 レスポンスが異常にはやいことに脳がついていけず、呻っていると更になんでと重ねて尋ねられる。
「……いろいろあって」
「何いろいろって」
「……もう少し整理できたら話す……」
「いつ整理できんの。十分後? 今日? 明日?」
「んなはやくいくかよ……」
「する必要ないよ。引越なんてしなくていいじゃん」
「…………」
 寝ぼけ眼で話を進めればすぐさま同意して言い包められそうなくらい、豆腐よりもガタガタで脆い決意だった。
 ちゃんと理由を言わなきゃハルトは納得できないだろうからこそ黙っていたんだ。自分ですら未だ揺れているのに、あからさまに反対を唱えるハルトを論破できるだけの自信はなかった。
「つか今何時だよ……おま、五時って……まだ二時間も寝れんじゃん……」
「やだよ」
「……はぁ?」
「やだ。やだっていうか、だめ」
「…………おまえがだめっていう権利ねえだろ」
 俺の人生だぞ、と枕に頬を沈ませながら告げると、ちょうど目の前でハルトがぎゅっと拳を握った。
 昔からある程度のことならなんでも許してあげていたから、まさか反論されるとは思わなかったんだろう。
「…………俺は、絶対に反対! 以上!」
「―――あーっ!」
 大声で叫んだかと思うと、反対と口に出したハルトがそれを全身で表現するように情報誌を真っ二つに破き、ビリビリに千切ってゴミ箱に捨てやがった。
「俺仕事の荷物取りに帰っただけだから。急いでるからもう行くけど、ぜってえ反対だかんね!」
「こんの、クソガキッ!!」
 べーっと舌を出して部屋を出て行ったハルトに、怒りのまま枕元にあった目覚まし時計を投げたけれど、時既に遅し、賃貸の扉に傷をつけただけのそれに、後悔しか募らなかった。
 本当に一瞬だけ戻って来たらしいハルトが玄関の鍵を閉めたころ、鞄の奥底に入れていた情報誌がなぜハルトに見つかったのかなんて微塵も考えない俺は、最高に苛々した形で平日の朝を迎えることになっていた。
 もういっそこの勢いのまま、昨日楽しそうに騒いでいた女子中学生たちに教えてやってしまいたい、あの自分勝手で我儘な、クソガキの本性を。

 何が王子だ、クソガキが。




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あきゅろす。
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