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 学校から四駅離れた場所で電車を降りた瞬間、タイミングよく、胸ポケットから振動が伝わった。連絡してくる相手など脳裏に一人しか過ぎらないが、用事といえば文字が多いその相手から、電話が来るのは珍しいと慌てて携帯を取り出した。
 しかしどうやらそこに表示されていたのは、思い浮かべていた人物以上に珍しい相手の名前だった。
「―――もしもし。祐也?」
「よっ! なあナオキ、学校終わった?」
「ああ、終わったから電話してんだろ。今帰ってるとこ。なんだよ?」
 ハルトからの電話以上に珍しい相手は小中高大と人生の半分以上の想い出を共有する親友であり、数えきれないほど電話しているくせに、今までで一番電話口のトーンが高かった気がした。
「おい聞け。聞け。言うぞ。……俺、結婚する」
「―――マジかっ!」
「……プロポーズ、成功しちゃった」
「うーわ、マジかよ、ついに! よかったな〜、おめでとう! つーか電話じゃなくて直接祝わせろよ!」
 きゃっ、と喜ぶ祐也をキメェと一蹴しながらも、高校から十二年間も付き合っていた彼女との結婚を祝わない理由がない。今後の参考にとプロポーズの状況を詳しく聞いてる最中も、良い報告に終始笑顔が止まらなかった。
「おまえはどうなんだよ、最近」
「んー。変わらずだよ、特に」
 ひと通り話したあとにようやく此方の近況報告になり、そういや最近コイツと飲み行ってねえなあ、と思う。 
「ハルトは?」
「……変わってしかいねえよ、そっちは」
「あはっ、いつのころと比べて言ってんだよ」
 はあああ……と深い溜息が漏れるのは致し方のないことだ。
 ハルトが子役としてデビューしたのは六歳のとき。平均身長より十センチも小さく、愛らしい笑顔は言い表せないほど可愛くて、あっという間に全国で愛でられた。愛でられないはずがなかった。愛でられて当然の天使だった。
 親が共働きだったハルトの生活サイクルは、基本的に昼間はマネージャーと一緒に仕事か学校、夜はほとんどの時間を俺の家で過ごしていた。現場が電車で行ける距離なら迎えに行って、「なおにぃ、ありがとう」という言葉と共にへにゃっと笑みを投げられれば、それだけで疲れなんて元から無かったかのように元気になったものだ。
 転機を迎えたのは、ハルトが十一歳のとき。
 どんな奇跡がもたらされたのか、父親と母親でそれぞれ異なる事業が成功して、父親はニューヨーク、母親はパリに移住するという話が出ていた。ハルトをどちらが連れて行くかというところで親馬鹿二人は俺が私がと盛大に揉めていたのだが、ハルトが選んだのは父親でもなく母親でもなく、俺だった。
 ニューヨークもパリも選べないが故の日本残留だったのかもしれないが、その頃にはハルトはもう日本では有名な子役だったし、本人も仕事を楽しんでいたこともあって、自分なりに両親を説得したようだった。
 そこが、俺とハルトのターニングポイントだ。
 ハルトが十一歳、俺が十八歳のそのときは、俺が大学を機に自立するため一人暮らしを始めようとしていた時期で、その家にハルトも一緒についてきた。
 徒歩通学することができた中学校は電車通学になるし、子供たちだけで一人暮らしなんてと最初は言われたけれど、実家からさほど遠い場所でもなかったため、週末は必ず帰省するということで合意した。
 そして、一人暮らしを始めてからもう十年が経ったけれど、相変わらず、俺の家にはハルトがいる。
 おかげで俺は実家から歩いて五分の母校に通うために、今日も電車で四駅揺られている。理由は簡単、いま二人で一緒に住んでいる家が、ハルトの通う大学と俺の勤務地の丁度中間に位置しているからだ。
 昔は可愛かったのに。何よりも可愛くて、目に入れても痛くなくて、ハルトのためだったらなんでもできるくらいに可愛い子どもだったのに。
「なんでこんなことになっちまったんだろうなあ……」
 駅のホームから見えるドデカい看板だけではなく、最近は大学生の分際でアクセサリーまでプロデュースしているらしい、馴染みの雑貨屋を横目で見ると、昨日までは居なかった、毎日家で見ている顔がそこにはあった。
「誰だよ、マジで……」
 五歳児のハルトはまるで女の子のように愛らしく、いつでもふにゃっと微笑むぷにぷにの頬がトレードマークの誰にも負けない天使のような存在だったのに、きっと俺が成長期に牛乳を飲ませすぎたのだろう、どこで間違えたのかすくすくと育った末に百七十二センチの俺の身長をあっさり越えて、百八十を越えた立派な男になってしまった。
 今はよく居るチャラついた大学生のように髪を金髪にして右側を刈り上げるというよく分からない髪型にしているが、若さ故なのか一ヶ月に一回は髪色も髪型もがらりと変えて、その度に俺の生徒が浮き足立っている。
「……ほんっと、詐欺だよ、詐欺」
「小学生までは可愛かったよな、ずっとおまえの後ろにくっついてきてさ」
「そうそうっ、もうね、天使だったね、あんなに可愛い子供見たことねえよ! 俺はあいつのためならなんでもできた!」
「相変わらずちいせえハルトの話になるとうるせえなお前は」
「可愛いんだから仕方ねえだろ」
 二つ折りの定期券の内側には、地元の駅までの定期券と、幼稚園児だったハルトの満面の笑み。ハルトが芸能人への道を歩みだした今も、俺は昔のハルトに幻影を抱きながら、今日も立派に親馬鹿の道を歩んでいる。
「あのさあ。お前ら二人、もう二十歳超えた良い大人なんだぜ。おかしいだろ、隣の家のオニーサンとずっと一緒に住んでるなんてさ」
「―――そっかな」
 おかしい、という感覚に全く自覚が湧かず首を捻るも、祐也は自信満々に、そうだろ、と断言して呆れている。
「お前ももう二十八になるんだから結婚とか考えないとまずいだろ……言いたかないけど何年彼女いねえんだよ」
「…………い、いちねん……」
「うそつけ」
「……十年だよ馬鹿野郎!」
「はあ……ほんっとになあ、おかしな話だよな。教師っていう堅い職業してんだから、もっと女が寄ってきても良いはずだけどな……」
「………………おまえそれ分かってて言ってるだろ……」
「あ、やっぱり?」
 はは……、と苦笑いが聞こえてきた電話はさっきまでは明るい結婚報告だったのに、全力で同情をするだけの会話に華麗なシフトチェンジを遂げてしまっていた。
 彼女が十年間居ない理由。そんなもの、俺の知り合いならば誰でも理由が分かりきっていることだった。
「…………ハルトが、おまえのこと好きすぎるんだよな」
「………………知ってる」
 すっかり暗い電話に成り下がった電話口で、祐也がぽつりと呟いた。
 事件が起きたのは十二年前、俺が高校一年生だったときまで遡る。
 文化祭マジックの甲斐あって、俺に初めての彼女ができたのだ。そして、浮かれていた馬鹿な俺はハルトに恋人ができたと全力で惚気けてしまった。
 まだ小学五年生だったあいつには、どういうことか分からないだろうと正直見くびっていたからだ。
 するとその翌日、誰もが見ている朝の人気生放送番組で対談特集を組まれていたハルトが、「だいすきなもの」というテーマで、俺の実家で飼っていた犬のシロと、俺が写っている写真を堂々と載せやがったんだ。
 当初載せる予定だったのはシロだけが写っている写真だったからこそ司会者は狼狽えて、モザイクなしでくっきりと一般人の写真を電波に乗せてしまったスタッフはきっともっと大慌てしたことだろう。
 スタジオのぎこちなさと焦りに満ちた雰囲気など事情を知らない者には滞り無く番組が終わったかのように見えたのだろう。帰ってきたらガチ説教、そう怒りながら登校した俺に待っていたのは、好奇の目に満ちたクラスメート、いや、学校中の視線と噂だった。
 入学してたかだか一ヶ月、その日から俺は、ただの「ナオキくん」ではなく、「ハルトの友達のナオキくん」という位置づけになってしまったのだ。
 放送終了後の夕方、番組スタッフが菓子折りを持って俺の家に謝りに来た時には「ごめんなさい」と大人しく沈んでいたハルトだったが、俺と二人きりになった途端「だって俺がだいすきなのってシロじゃなくてナオにいだも〜ん」と一切の悪びれなく抱きついてきやがった。
 子役から始めて数年経っても変わらぬ人気、むしろ様々な役を演じて上がり続ける評価に、将来有望だと悟ったらしい俺の初めての彼女からは、翌日ハルトを紹介してほしいと目を輝かせて言われた瞬間に萎えてしまった。
 あの事件以来、一回やったら何回やっても一緒でしょ精神のハルトが俺の写っている写真を正面背中問わず勝手にSNSにアップロードしまくるものだから、今ではハルトがパーソナリティをしているラジオ番組に俺宛のメッセージが届いてしまうほど、ハルトのファンに対して俺の存在が浸透してしまっていた。
 今日まで彼女ができなかったのもその影響が関わっていて、例えば合コンでお持ち帰りをしようとすると幹事を口説き落として場所を嗅ぎつけたハルトが現れたり、気になっている子と帰ろうとした時に限って校門で俺のことを待っていたり、俺のデート中に泣きながら電話してきたり(勿論即行帰ったけどハルトは仮病でピンピンしていた上に彼女にもフられた)、事あるごとにハルトが邪魔をしてきたせいだ。
「マジでもう何回言ったかわかんねえけど、それでもハルトを本気で怒んないお前が悪いんだからな……?」
「俺もそう思う……」
 どんなにハルトに振り回されても、どんなに女の子が離れていこうとも、ハルトはいつまでも俺の幼なじみで、俺の弟、家族のような存在だ。
 俺の中では、さあ次と割り切って遊べてしまう女の子とは比べることすらできない位置と割合を占めている。
「いい加減身を固めろよ、おまえも」
「……男は三十からだろ」
「いいぞー、家帰っておかえりって声がして、愛情たっぷりのご飯つくってくれて、しあわせいっぱいっていう、あの優しい空気感」
「? ハルトと一緒じゃん」
「ぜんっぜん違うだろ、ハルトの顔見て明日もこいつのために仕事頑張ろう! って思うのかよ、おまえは!」
「普通に思うけど。あいつは俺が育てたようなもんだし」
「…………」
 鼻高々に答えれば、この親馬鹿、と溜息を吐かれたけれど、自覚があるだけに何も言い返すことができなかった。



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