『―――いつだって、閉じ込めたいのはたったひとつのものだった』





「あっ、これハルトがCMしてたシャンプーでしょ〜!」
 終業のチャイムに乗って甲高い声が廊下にまで響いてきたのは、私立緑ヶ丘中学校二年八組の教室からだった。
 インタビュー以外は決して読まないだろうジャンル不一致の雑誌を手に取る女子中学生を横目で見て、昨日の夜中、重い足を引きずって入ったコンビニで同様の本を購入し、特集の六頁以外はろくに手を付けていない自分を思い出す。
「えー、わかるー?」
「わかる、ちょーいいにおい、っていうかあたしもだしっ!」
「「―――いつだって、閉じ込めたいのはたったひとつのものだった!」」
 顔を見合わせて同じ台詞を吐く女子中学生ふたりは言い終えたあとに爆笑していて、何が面白いのかそのフレーズをひどく気に入っているようだった。
 声を合わせて言われた台詞はシャンプーのCMに使われている一言であり、傷んだ髪の毛に男がキスをしてその台詞を囁くと、その瞬間、まるで魔法が掛かったかのように髪が輝き潤いだすという内容だった。閉じ込めたいもの、CMで言うところのそれは髪の『潤い』なわけだが、世間一般的にその事実は有って無いようなものらしい。
 「ハルト」がその台詞を囁くという行為が重要なのだろう、現に今この教室にいる女子の顔がすっかり赤くなっていることが何よりもの証拠だ。言われたいと、たまんないと、そう恍惚とするファンが後を絶たない人気のCMとなっている。
「あたしなんて彼氏にも勧めて使ってもらってるよ〜。だってハルトのにおいって考えたら……もう、なんていうか、最高じゃん! もーっ! ちょうかっこいい、王子、マジ王子!!」
「興奮しすぎ、きもいっつーの!」
「あっ、つーか俺も俺も、あれ使ってる!」
「おまえには聞いてねーよ!」
 そのシャンプーは珍しくも女性用と男性用が同時に発売されており、香りの強さやダメージケアの度合いによる種類の豊富さは男女で異なるものの、どちらも同じ効能をもたらす人気商品として脚光を浴びている。
「あーあ、でも、ハルトってほんとにこのシャンプー使ってるのかなあ」
「ねー、どうなんだろねー。実際こんな良い匂いしたら最高だけどねー」
「マジ、それオレのこと?」
 ちげーよばぁか! と口悪く罵る女子の声を背中で振り切って、二年八組前で少し落としたペースを再び戻し、素知らぬ顔で通り過ぎる。受け持ちの生徒でないとはいえ、雑誌の持ち込みは本来取り上げて説教のコースだけれども、気持ちが分かってしまうが故に聞こえない振りをして通り過ぎてあげることにした。
「……使ってますよ、ちゃーんとね」
 くん、鼻につきそうな横の髪を匂えば、彼女たちの言うところのハルトの香り、彼がCMをしているJILLというブランドのシャンプーの香りがした。
「しっかし、中学生があんなたっけえシャンプー使うなっつーの、俺だって家になきゃ使わねえぞ、あんな値段のモン」
 ―――ハルト。
 女子生徒が持っていた雑誌の表紙に最大フォントで掲載されている三文字は表紙を独占している男の本名であり、いまや知らない人が居ないだろうその名の名付け親は何を隠そうこの俺だ。
 陽を翔ける、で、ハルト。彼の本名でもあるその名は、当時七歳の知識なりに漢字を調べまくって、太陽のように明るく育ってほしいとその名前をつけた。
 一歳の頃は俺の腕の中から離れたら泣き喚き、三歳の頃は俺の背中から離れたら泣き叫び、五歳の頃は俺の服を掴んで雛鳥のように俺を追っていないと人目も憚らず号泣していたハルトだったが、二十歳を迎えた今となっては、涙を流す瞬間といえば、全国放送されている連続ドラマのワンシーンくらいのものだ。二十年以上慣れ親しんだ字面が世間を騒がせていることに未だ驚きを隠せないけれど、いつでもちょこちょこと俺の後ろを楽しそうに着いて来ていた幼なじみは、小学校にあがると同時に芸能人の道を歩み始めていた。
「ナオくんせんせー! さようならー!」
「ナオくん言うな、またあしたなー」
 奥様子供、年齢問わず大人気な芸能人サマは、大学卒業後、母校に勤める堅実な俺なんかとは、まるで正反対の位置で生きている。
 教師生活を始めて五年目、最初はヘコんでばかりで何度も辞めたいと思ったけれど、そんな芸能人サマがいつもいつでも近くで見護ってくれていたおかげで、俺は今日もこうして笑みを崩さず生きている。



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