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***


 うとうとした声で、おやすみ、と律儀に呟いたナオくんからは、余程疲れたのか三分もしない間に寝息が聞こえてくる。
 九畳のナオくんの部屋と、七畳の俺の部屋。俺の方が広いのは不公平だろ、と最初に言ってくれたナオくんはここに引っ越すと同時に自分の部屋にダブルベッドを置いてくれて、俺は役得と言わんばかりにそれからずっとナオくんの隣で朝を迎えていた。
 ぐ、と肘を使って起き上がり、視線を送る先は七歳年上のくせに俺よりもずっと子供に思えるくらい、かわいいナオくん。
「……バカだなあ、ナオくんは」
 くしゃり、一度寝入れば起きないナオくんの前髪を撫でると、俺と同じジャンプーの香りがした。
「ほんと、バカなナオくん。俺がナオくんの読んでる本を読んでないはずがないじゃんね?」
 ベッド下に置いてあるナオくんの鞄に手を伸ばして、不穏なタイトルの本を取り出すと、本気で実行しようとしていたのだろう、所々折れている本の端を見るだけで不快感が込み上げる。
 もちろん、遂行なんてさせないけど。
「俺の監視役は優秀だよね」
 何の手がかりもなくナオくんがこの本を読んでいることを発見したわけではない、普段から時間が空けばチェックしているSNSから個人宛にダイレクトメールが届いたからだ。なにしてても分かっちゃうんだからね、と、起きないと分かっている額を指で弾いても身じろぎひとつしてくれない。
「……俺だって、傷ついたんだから」
 顔も知らぬ監視員は興味本意だったのだろう、「ナオキくん発見しましたー!」と、たくさんの絵文字と一緒に面白半分で送られて来た写メにはピンクの装丁を手にして真剣に立ち読みしている彼の姿がしっかりと写っていた。
 写メを受け取った瞬間に、マネージャーに頼んで本屋で買ってもらってからは、台本を読み込むより先にピンク色の本を読み、ナオくんがようやく第一章を読み終えた頃にはとっくにあとがきまで目を通し終えていた。
 ナオくんのことだから、一章から実行するのに必死で、きっと最後までは読んでいないのだろう。
「…………最後に」
 あとがきの二ページ手前、そう書かれたとある一節を、ナオくんが起きないくらいの小さな声で読み上げる。
「この本に書かれているすべての過程を実行して、効果が得られなかった方へ」
 起きる気配のないナオくんの前髪を撫でながら笑みを浮かべる理由とは、それに見合う文章がこの先に待っていることを知っているからだ。
「大変申し訳御座いません―――」
 そんな謝罪文から始まるその頁は、最後まで本気で施策を実施したであろう読者に贈られているもので、貴女は本当に彼と離れようとお考えでしたか? と問いかけられている。
 そして、すべてを実行しそれでも彼が別れてくれない貴女には、離れることはおすすめしないと、何をしても受け入れてくれる最愛のパートナーと一生傍に居ることをお勧めします、と、まるで祝福するように記されていた。
「……嫌いじゃないなあ、この無責任な終わり方」
 タイトルから期待して買った人はクソだとおもうんだろうけどね、と呟いても、誰かに肯定して貰えた嬉しさの方が勝り、頬の緩みがおさまらない。
「今はいいよ。でも、……いつか気付いてくれるとうれしいなあ」
 一緒に住むようになって、早十年。
 ナオくんが、俺のことをただの幼なじみとしか見てないってことは、知ってるよ。でもね、まだ一度も意識してもらってないだけだと思うんだ。
 この本を読んでいる間、ナオくんは俺だけのことを考えていてくれたんだよね。十年間なかった進歩が、俺達の間にたしかに生まれた証拠だったんだよ。
 十年かけて近づいた距離が例えようのないほど嬉しくて、鼻歌すら出てしまいそうな感情に蓋をして、ナオくんが起きないうちに、ナオくんの鞄からペンを取り出す。
 跡がつかないようにそうっと本を開いて、あとがきのもう一頁後ろの部分、「この本はすべての方に効果を実感いただけるものではありません」という言い訳の上に堂々とペンを走らせた。
「……チェストのいちばんしーたーのー、おれがあげたゆびわを、みーてーね、っと」
 できた、と呟くと同時にハートマークを書き足す。サイン会では一度も書いたことが無いそのマークを、俺は今までナオくんに何百個プレゼントしたのか分からない。
 出来上がりに満足した俺は、本とペンを何事もなかったかのようにナオくんの鞄へと戻した。
 計画が失敗した今でも、律儀なナオくんのことだから、本の最後が気になって、巻末まで読んじゃうの、俺知ってるよ。
「はやく明日にならないかなぁ〜」
 ナオくんが家に帰ってからこの本を読んで、青ざめた顔でチェストに向かう姿が簡単に想像できる。
 俺が指示したのはチェストの一番下、保育園のころの俺がつくった紙粘土でできた指輪のことだ。
 俺が人生ではじめてカタチあるものをつくって、はじめて自分でナオくんにあげたもの。
「……二十年待ってるんだ。いつまでだって待つけどね」
 最初にあげたプレゼントに寄り添うように置いてきた、本物のプレゼント。
 どんなに高い宝石を買っても俺の気持ちなんて表現できないけれど。だって、あんな石ころなんかより、俺の気持ちのほうが何十倍も何百倍もキラキラ輝いて、何よりも純粋で綺麗だって自信がある。
 心ん中を取り出して見せてあげたいけど、そんなの無理だし。だからきっと、みんなは好きな人に送るんだろうな。自分の心に近い、キラキラした塊を、大好きだよって、気持ちを込めて。
 二十年間送り続けた七文字を初めて英語に変えて、俺の気持ちを、あした、ナオくんの薬指に嵌めてあげるんだ。
 ようやく、そういう意味で、って気づいたナオくんの目は、きっと見たこともないくらい大きく見開かれることだろう。

 だって、言ってたじゃん、おれ。昔から。



「『―――いつだって、閉じ込めたいのはたったひとつのものだった』……でしょ?」



 全国に流れているアドリブの台詞と共に、寝ているナオくんの唇にこっそりキスをすれば、今まで何の反応も見せなかったナオくんが、ようやく身動いでうっすらと笑みを浮かべてくれた。
 それに答えるように俺も笑って、温かい部屋なのに、ぎゅうっとナオくんを抱きしめる。
 身体も心も、もっともっとあたたかくなりたくて。





「…………だいすきだよ、ナオキ」

 こっそり耳元で囁けば、ナオくんがまた笑ってくれて、俺は、これを幸せと呼ぶのだと知っている。












おわり。


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