五.正直に別れを告げましょう。



 別れる場所は、できる限りうるさい場所にしましょう。
 そう補足された心としては、「プライドの高い男性の場合、別れ話にショックを受けても、人目を気にして怒鳴ったり泣いたりすることなく、「良い男」を演出しようとします」というものらしい。



「……ごめん、遅れた」
「遅い」
 既にテーブルの上にはドリンクバーのアイスコーヒーがふたつ。ひとつは半分近く減っていて、もうひとつは待ちわびたようにたくさんの汗を流している。
 うるさい場所で、と言われたからこそ俺は駅の近くのファミリーレストランを選んだのだけれど、平日の午後、学校が終わってすぐの時間に喫煙席に座っている人が予想以上に少ないことに驚いた。
「悪かったってば」
「…………」
 こんなに機嫌の悪いハルトを見るのは久しぶりかもしれない。
 苛々しているのか滅多に吸わない煙草を既に三本灰皿に潰していて、帽子から覗く狭い双眸は酷く鋭いものだった。
 機嫌が悪いくせに律儀にふたつドリンクバーを準備するあたり、俺の教育の賜物だろうとこんな時すら誇らしくなってしまう自分が滑稽だ。
 俺が遅れた理由なんて至って自分勝手なもので、自分から誘ったというのになかなか店に入ることができなかったからだ。
 ようやく店の扉を開けられたのは約束の十五分後、これで、おわりなのだと、毎日こうして顔を合わせて食事をしていた八年間も、今日を切欠に終わりが見えるのかと思うと、正直寂しくて仕方がなかった。

 ―――それでも、これは俺のため、ハルトのためだ。

「ハルト、場所変わろうか? そっち向き目立つだろ」
 座席は店の一番端なのだが、ハルトが座っている場所は店を見渡せる壁際で、俺が来ることを確認したかったんだろうけど、客席がよく見えるその位置ではさすがに目立ってしまうことだろう。
 喫煙席は疎らに人が居るものの、隣や後ろなどすぐ近くの場所に人の姿はない。人がいればこいつの名前も呼べないけれど、いまは良いだろうと、親切心で声をかけた。
「良い。大丈夫。帽子かぶってるし」
 けれども微塵も動く気がないらしいハルトはアイスコーヒーを変わらぬ姿で飲んでいて、あまりしつこくしても余計に機嫌を損ねるだけだと知っているから諦めて座ることにした。
 荷物を椅子に投げ捨てると同時に、ぐ、っと下唇を噛んで気合を入れる。
 嫌われてないからなんだ、想い出を棄てられないからなんだ、ようはすっぱりと別れれば良いだけだ、俺が気持ちを強く持てば大丈夫、気持ちが一番大事なんだ、という四戦四敗の開き直りを見せ付ける。
「……家で話をしないところを見ると、本気みたいだね」
 ふたり定位置に座った瞬間、呆れた口調でハルトが溜息を吐いた。
「まあ、許可なんてしないけど」
「……おまえの許可は必要ない」
「なっまいきー」
「生意気なのはどっちだ、俺のほうが年上だって忘れんな」
 何の話をするか既に分かっているハルトは話すだけ無駄だと眉を顰めているけれど、俺の説得は、ここからだ。
「……このまえ。落ち着いたら説明するって言ったよな」
「うん。落ち着いたの?」
「ああ」
 一呼吸置いてから、真っ直ぐ前を向いて宣言する。
「うだうだ言ってても仕方ないから結論から言うと、―――俺は、家を出てく」
「出てってどうすんの」
「結婚する」
「―――」
 一瞬、持っているコップを落としそうになったハルトは、一度こちらにも聞こえるようにわざとらしい舌打ちを見せつけてから、言葉を紡ぐ。
「………………誰と」
「………………」
 どんな嘘を重ねても見破られてしまうことはわかっているからこそ、ぐっと黙っていると、痺れを切らしたようにテーブルの下で脛を蹴りつけられた。
「って、」
「相手も居ないくせに言わないでもらえる?」
「これから探す」
「見つかんないよ」
「探してみなきゃわからないだろ」
 唇を尖らせて言ってもハルトは強情で、苛々しながら四本目の煙草に手を伸ばしている。
「ハルト。おまえが何を誤解してんのか知らねえけど、おまえと離れたいとかじゃなくて、おまえも二十歳超えたんだし、そろそろ違う道をいってもいいんじゃねえの、っていう提案だよ」
「提案のわりにはすっげえ一方的だね」
「悪かったよ、なんの相談もしなかったのは……」
「いいよ、されてても変わんないから」
「……何が不満なんだよ、出てってもおまえと兄弟みたいなもんだっていうのは変わんないし、死ぬまで逢わないって言ってるわけじゃないだろ」
「……あの家から出てくなんて、しねって言ってるようなもんじゃん」
「は? あのさあ、俺はおまえを傷つけたいわけじゃなくて……っていうか、素直に、応援してほしいんだけど」
「…………」
 言葉を積み重ねるほど不機嫌になっていくハルトを見ながら、開き跡がついてしまうほどに読み込んだ本を思い出せば、とある一節が頭に浮かんできた。

 ―――別れとは時に一方的で自分勝手な行為です。責任を転嫁するのではなく、自分の責任にしましょう。
 ―――そして、相手のためという気持ちを必ず伝えましょう。

「―――で、俺も、おまえを応援したい」
「………………は?」

「俺のためだけに言ってるわけじゃなくて、もちろん、おまえのためでもあるって思ってる」
「…………」
「俺らが一緒に暮らし始めたきっかけって、子どもだったおまえが俺と一緒にいたいって道を選択したからなんだよな。もう充分ひとりで立っていけるのに、いつまでもこんな不自由な生活する必要なんてないだろ」
「俺は、不自由なんて思ったこと一度もないよ」
「思ったことないんじゃない、考えたことがないだけだ」
 カラン、アイスコーヒーの氷が姿勢を保てず崩れると同時に、考えろよ、とハルトに促す。
「一々帰りの時間連絡したり、おまえだって仕事で疲れてんのに俺の飯まで作って待ってたり、友達とか彼女とかも家に連れてきたことねえし……あとはそうだ、おまえだって一応芸能人なんだから、もっとセキュリティ性が高くてデカいマンションに住んだ方が良いだろ。もっと、自由にしていいんじゃねえの、ってことだよ」
「それだけ? そんなちっちゃいことが、ナオくんと暮らす以上に価値があるとは思えないんだけど」
「…………おまえな……」
 なんでそんなに真っ直ぐなんだ、そう言ってやりたい言葉を溜息に変えて頭を抱える。
 結婚する、親を安心させたい、子供が欲しい、伝えたいことは並べてもそれが心からの台詞なのか未だに揺れてしまっているせいか、「出て行かなくても準備はできるでしょ?」と不機嫌に言われれば話が終わってしまう気がしていた。
 言いたいことをぐっと飲み込んで、核心的なことを、もう決めたんだと、そう伝えるために口を開く。
「………………契約も、申し込んできた」
「え、」
「新しい家の契約だよ。おまえは、家を出たほうが、……っていうか、俺なんかとずっといるよりも、もっともっと、幸せになれると思う」
「…………は?」
 地を這うような低い声が聞こえたかと思うと、次の瞬間、同じ声の持ち主とは思えないくらい高い音が漏れてきた。
「あはっ」
 まさかふきだされるとは思わず顔を上げれば、ハルトは何がおかしいのかくつくつと肩を揺らし柔らかい笑い声をあげている。

「ふふっ、すごいね、さすがナオくん」
「……?」



「―――すっげえムカつくよ」



 ぞくり、一瞬にして鋭い視線を送るハルトに、意図せず身体が強張った。
 ムカつきすぎて人ぶん殴りたくなったのはじめてかも、そう呟くハルトはもう笑っていなくて、こいつがどんな猟奇的なシーンを演じたときよりも恐怖が勝る。
 ハルトの感情にはいつも迷いがない。
 思ったことを思ったままに伝えてきて、感情を飲み込むということを知らないこいつだからこそ、いつでも全力でぶつかってくるんだ。
「しあわせってなに?」
 躊躇う事なく言葉は続いて、此方の反応を待つ疑問の言葉のはずなのに、此方の話を聞くというよりも自分にも意見があることを伝えたいように聞こえた。
「―――なにって……おまえの好きな女の人と結婚して、子供つくって、そんで、……死ぬまで一緒に居ることじゃねえの?」
「生憎俺には死ぬまで一緒に居たい女なんて見たこともないけどね」
「そりゃ、おまえまだ二十歳なんだし、これからだろ」
「ナオくんだって見つかってないくせに」
「…………おれだって、これからなんだよ」
「ナオくんの言ってるそれって、誰の幸せなわけ?」
「―――だれの?」
「俺になにをおしつけてんの? 誰に聞いたか知らないけど、一般的な「しあわせ」ってやつがそうだとしてもさ、俺も「そう」だとは限んないわけじゃん? 好きな食べものだって住む場所だって一緒に居たい相手だって、俺に選択権があるはずだ。それなのに、なんでナオくんは俺の幸せっつーやつを勝手に決めてんだよ?」
「…………」
「毎日こうしてナオくんと目え合わせて喋って、ナオくんにご飯つくってあげて、美味しいって笑ってもらって、おやすみっつって一緒に眠って。俺は、それで充分すぎるほど満ち足りてる自信があるけどね」
「…………」
 反論しようとも二の句が継げずに黙りこんでしまう。
 だって、その意見は俺もまったく一緒のものだったからだ。祐也に言われるまでこの関係が不自然なのだと気付かないくらい、日常生活に不満が生まれたことはなかった。


 言われるまで気付かなかったんだ。
 今が、心地よすぎて。


「ナオくんだってそうのくせに」
「っ、」
 思っていたことをきっぱりと当てられてしまい、一瞬目を見開く。 





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