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「そらあんだろ、四日も一緒だったんだぞ」
「よっか、いっしょ……!!」
 ついに単語でしか返答しなくなった健悟に呆れつつも、蓮はバツの悪さから目をそらした。
 正直合宿中は恭祐と居た記憶しかないと言っても過言ではなかったが、それを言えば大人気なく暴れそうな未来が見えたからこそ無用な言葉は喉元に収めて、携帯電話を取りに行く。
 健悟の腕から抜け出せば、当の本人は不安からか、わなわなと唇を震わせていたが、たかが数メートルの距離を離れず腕を掴んで着いてきそうになっているものだから、うぜえ、と振り払い背を向けた。
「あー、どれだっけな……」
 そして、慣れない手付きで携帯電話をいじりながらソファに戻ると、途端、まるで待てをしていた大型犬の如く健悟が蓮に抱きついてきた。
「………………どれ、見せてっ!」
「今出すから……ちょっと待てって」
 はいはい、と言いながら蓮が携帯電話をいじるも、相変わらずどのアプリを開いていいのかも分からず唇を尖らせながらのんびりと操作する。
「俺がやる」
「あ、てめっ」
 すると、蓮の携帯電話に入っているアプリの位置など一個も逃さず覚えているらしい健悟が、痺れを切らして蓮の背中から覆い被さり、蓮の手中から奪うようにして操作をし始めた。
 健悟の顎は蓮の肩の上、むーっと不機嫌な唇を視界に捉えた蓮は、特にやましいものもないだろうと早々に諦めて、視界に映る携帯電話を健悟に委ねた。
 背中から抱きつく体勢で器用にもさくさくと操作を進める健悟は蓮の数倍ものはやさで目当てのフォルダに辿り着き、どれ、と言わんばかりに己の膝で蓮の脚を揺すっている。
「…………………………あー、これとか…………こいつ」
 そして、観念したかのように蓮が目の前の画面を指差した瞬間、蓮の手元から携帯電話は攫われてしまい、近眼でもない健悟から十センチほどの距離を保って睨みつけられていた。
 合宿所の談話室で、クラスメイトが五人ほど写っている中で一際目を引く派手な髪色、最も背も高いからこそさぞ目立つ存在だというのに、見つからないと言わんばかりに真剣な表情で射抜く健悟が気になった。
「おい、眼ぇ悪くなるぞ」
 一応心配した蓮がそう声を掛けれども携帯電話は離されることはなく、じっと見つめて数秒後、ようやく蓮の手中に戻ってきた携帯電話とともに降ってきた感想といえば、盛大な舌打ちの一言だけだった。
「………………チッ!」
「!?」
 歯型の犯人が思ったよりも整った顔立ちをしていたことに腹を立てた健悟が、決して良いとは言えない反応を返したけれども、蓮にとっては、気に食わない写真だったのだろうかという心配しか残らない。
 東京に来て初めてできた友達であり、この先も付き合うだろう相手だからこそ、できれば悪い印象は持たせたくない。
 なぜならば、恭祐と出掛けるたびに歪んだ表情で、いかにも納得のいっていない様子で見送られる未来が容易に想像できてしまったからだ。
「、やっ、悪いヤツじゃねえんだって、全然。ほら、あれ、前に入学式で俺が迷ってたときに案内してくれたやつでさ、偶然同じクラスに―――」
「!?」
「……って、なにその顔」
 蓮が背を向いて必死にフォローをするけれども、最後まで言い切ることができなかったのは、健悟の表情がころりと変わってしまったからだ。不機嫌そうに品定めをする拗ねた子供のような顔から、目を見開いて驚きに口を開く表情へと。
 テレビでは決して見せない百面相に、蓮が疑問を素直に伝えると、眼光鋭くした健悟がじりじりと蓮に向かって迫り始める。
「……悪いヤツじゃない? 偶然? 同じクラス? 部屋は? 一緒だったの? ……は? ていうかマジで言ってる? 偶然なんかあるとおもってるの? 何言ってんの?」
「………………あー、健悟……?」
 落ち着け、と肩を叩いても、一旦貼られた悪という名のレッテルは剥がすことが難しいのかもしれない、どうやって説明しようかと考えあぐねていると、その間も健悟は行動をやめていなかったらしい、じいっと画面の中の恭祐を睨みつけたかと思うと、次の瞬間、恭祐とは別の画像へとスライドし始めた。
「………………」
 合宿所近くの観光地の写真、合宿所を抜けだして夜に花火をした写真、クラスメイトの寝顔に油性ペンで五つ目の落書きをした写真、特にやましいものはないからこそ健悟の気が済むまで好きにすればいいと静かに見守っていたが、合宿での日々を思い出す中で、ひとつ、たったひとつだけ、やましいという言葉に該当する出来事を思い出した。
「……!!!」
 ぱっとその光景を思い出してからの蓮の行動ははやく、目の前にある携帯電話を奪うか覆うかで隠そうと試みたけれども、一枚一枚、蓮が載っていない写真は簡潔に飛ばし続けた健悟の閲覧ペースは早く、やばい、と頭で思った時には、−−−既に遅かったようだった。
「、おまっ、ちょっ、!!」
「…………………なっ、……にこれっっっ!!!!!!!!!!!!!」
「ぎゃーーーー!!!!」
 ぐいっ、蓮が隠そうとしていた携帯電話は勢い良く再び健悟の目の前まで引き寄せられて、先ほどよりも遥かに近い距離、画面に前髪がくっついてしまいそうなほどに近くで凝視する健悟を見て、蓮まで声を荒らげてしまった。
「なにこれなにこれなにこれっ!!!!!」
「わああああーーー!!!!!」
 返せやめろと叫びながら蓮が手を伸ばすけれども、健悟は珍しく左手一本で蓮を無碍に扱い、右手で素早く己の携帯電話をポケットから取り出した。そして携帯電話を二台抱えながら右手の親指のスクロールのみで蓮の携帯電話に入っている画像の枚数を把握すると、瞬きする暇もない速さで健悟の携帯電話のアドレスへと複数枚画像を一括送信して、その無駄な手際の良さから更に蓮に殴られることになる。
「……っし」
「よしじゃねえよなにこれじゃねえよっ、いやもうおまえがなにそれだろ、マジで!!!」
 健悟の機敏すぎる行動は蓮が暴れている最中も戸惑うことなく行われており、こんな時だけ凄まじい情熱を見せる健悟に呆れるより先に恥辱のほうが勝ってしまった。
 見られた写真は他でもない、散々面白がられた女装写真だ。大学のクラスメイトや地元の家族友達、女装くらい誰に見られても減るものではない、笑われるのは一向に構わないけれど、目の前の男だけ、こいつにだけは見られたくないという気持ちのほうが高かった。
 女装なんて笑われてなんぼのものだと思っていたけれど、その発想は健悟と出会ったことで大幅に斜め上へと軌道修正させられてしまったらしい。
「ああもうなにこれ、すっげえかわいいっ……!!」
「………………」
 笑われる、ということは、たかが一瞬のネタで終わるからこそすっきり後腐れも無くなるものだ。けれど、目の前の男だけは違う、一枚でもそんな写真を見つければ半年近くじっと見てはうっとりと感慨に耽るだろう気持ち悪さがあるからこそ、勘弁してくれ、と頭を抱えてしまうのだ。
 まるで鼻血でも出そうなほど大げさに顔全体を掌で覆って、勿体無いと言わんばかりに指の隙間から自分の携帯を盗み見る健悟の視線の先は聞かずとも例のごとく蓮の女装写真が写っているだろうことは想像がつく。
 しまった、と大きな溜息を吐いた蓮は諦め混じりにソファに項垂れた。するとその瞬間、溜息を吐きたいのはこちらの方だと、半ば怒り交じりの声音が目の前の人物から降ってくる。
「……はあ?」
「だって俺が知らない蓮を先に見てるとかもうなにそれー! ずるいじゃんもうー! なにこれっ、ずるい、ずるいマジでっ!!」
 テンション高く理不尽に当たり散らしながらも視線だけは携帯電話から離さない健悟に、だめだこいつ、と呆れ返りながら、たしかに自分にも非はあったからこそ仕方なく言い分に付き合う。
「……おまえな、それを言うなら高校ん時の文化祭だって俺は女装して―――」
「それはもう利佳が準備段階で送ってくれてたからいいのっ」
「そうなのっ!?」
「その文化祭は行けなかったからちゃんと写真買ったし!」
「………………か、った……?」
「俺に抜かりはありません」
「…………」
 女装など高校在籍時にもしていたからこそ稀有なことではないと続けようとしたというのに、宥めようとした張本人からは己の知り得ぬ事実が浮き上がってきたために言い切ることができなかった。
 ふん、と得意気に言い張る男の購入元など聞かずとも知れていて、目の前の男が馬鹿すぎて引いてしまうと共に、違法商売を十年間続けていた姉は一体幾ら儲けたのかと背筋が凍り始める。
「えー!! ずるいずるい、ずるいマジで、すげえかわいいじゃん、なにこれ、めっちゃかわいいじゃん! ムービーとか残ってないの?」
「……あのな、なんで自分の携帯で自分撮る必要があるんだよ」
「え、他の奴らの携帯には残ってるってこと?」
「…………それは、わかんねえけど」
「残ってるんだー! 絶対残ってるじゃんそれ〜!!」
「あーもう、うっせえ!!」
 水を得た魚のように騒ぎ立てる健悟の頭を殴ると、いたい、と頬を膨らませいじけられてしまった。
 いたいのはこっちだ、預かり知らぬところでストーカー紛いのことをされていた俺の気持ちも考えろ。
「つーかおれだってハメられたんだっつの、こんなん着る予定なかったし」
「……でもめちゃめちゃ似合ってるじゃん、すっげえかわいい」
「………………そういう問題じゃねえだろ。かわいいとか言われて喜ぶとでも思ってんのか」
「思ってないけど、ほんとにかわいいしか言えないんだもん」
「…………」
 蓮を振り向かずに難しい顔をして写真を眺める健悟はどうやら心からの言葉らしく、さらりと己の本心を空に溶かしたあとで、ハッとした表情を蓮に向けてくる。
「え、ちょっと、ねえ、他の……他のとか何も着てないよね……?」
「どんな心配だアホ! 着てねえっつの」
「……………そっか」
「……喜んでんのか落ち込んでんのかどっちなんだよ」
「えー……他のやつの前で着てないのはうれしいけど、他の服来た蓮が見れないのは悲しいから……難しいところだよね……」
「……なに真剣に言ってんだよバカじゃねえのマジで」
 ヒくわ、と頬を痙攣させながら言い放った蓮の冷たい声音は、透明なガラスの壁に遮られているかの如く、一切届いていないようだった。






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