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「怒ってる?」
 真っ黒な鬘をナイトテーブルに投げたあと、右手で自身の腹の上にいる金髪の腰を、左手ではパサつきの目立つその金の線を撫であげた。
 四日前の時点では触り心地の良かった金色は遠い記憶のものであり、怠惰に過ごした幾日を顕著に表しているそれに、健悟は少しだけ眉を潜める。
「……呆れてんだよ」
 けれども、撫でられる髪の感触に身を委ねるか否かを考えている蓮の顔があまりにも可愛過ぎたからこそ、また躾直せば良いか、と表情を戻して金色を一本一本確かめるかのように撫でつける。
 空気清浄機とエアコンの無機質な音だけが響く部屋の中、じっと見下ろして来る蓮の視線がどこか緊張を孕んでいると不審に思ってから理由に行き着くまでは一瞬だった。灰色の髪の毛に真っ黒な瞳という中途半端な姿が、どこか他人のように感じているんだろうと思い至る。
「……コンタクトも取ろっかな」
「ん」
 聞けば即座に頷く姿に口元を綻ばせた健悟は、下半身を蓮に奪われたまま器用に上半身だけを捻って、ナイトテーブルに常備しているコンタクトケースを手に取った。
 そしてコンタクトを外そうとした瞬間、まるで自分の目玉を刈り取られるかのようにぎゅっと潰れそうなほどに目を強く瞑る塊は、何度見ても慣れないのだろう、目に指突っ込むなんてありえねえ、と再三繰り返す苦悶の表情が視界に入ってくる。
「ぷっ、だから大丈夫だっつってんのに」
「無理なもんはムリ」
 うげ、となおも健悟から目を逸らす蓮に寂しくなったのか、健悟は早々にコンタクトを外し終えると、ぱたり、ナイトテーブルにコンタクトケースを置き去った。
「はい、おわったよ」
「………………」
 そして、その長い腕の方向を変えて、真っ直ぐ上に伸ばしてやる。
 すると余裕ぶったその表情が気に障ったのか、健悟を見下ろす蓮はその腕をベシッと叩きつけて、唇を真一文字に保ったままシーツの上へと振り落とした。
 まるで動くなとでも言わんばかりの視線を浴びた健悟は困り顔をしていたが、そんな健悟の表情に構うことなく、ぼすん、蓮は上半身の力を抜いて自分から健悟の上に倒れ込んだ。
 寝転がる健悟の上に全体重を預ける蓮はもぞもぞと身体を動かして、健悟の太腿あたりが丁度良かったのか、健悟の肩に額を預けるように固定する。
 好き勝手やらせようと思い至った健悟の腕は蓮に振り払われたままで、ベッドに縫い付けられたかのように動いていない。
「……なーに?」
 健悟は、金色の髪の毛が頬にくっつき擽ったいと顔をムズムズさせながらも、にやにやとした口元を崩さず尋ねていた。
「べつに」
 べつにと言いながらも隙間なくくっついている恋人を見て、表情が締まりなく笑顔ばかりが出てきてしまう。
 蓮はたった三文字の短い返答を健悟に送ったのち、指先一本動かさない。
 ただ健悟に体重を寄せて、くっつく。
 ただそれだけの行為にぽかぽかとしたしあわせを含みながら、健悟はもう一度ゆっくり尋ねてみる。
「…………おちつく?」
 視線を目の前のつむじに預けていると、その直後、部屋の静けさを崩さぬように少しだけ蓮が動きを見せた。
「…………」
 こくり、少しだけ動いたつむじは縦に揺れ、肯定の頷きを示していたからこそ、健悟は苦しそうに右手で顔を覆う。
「……っ……!」
 なにこのかわいい子、と、ばたばたと脚を上下すればうるさいと軽く首を噛まれてしまい、余計に心臓がうるさくなる。
 がり、と甘噛みされた痛みに対して、本当に目の前に蓮が居るのだと嬉しくなると同時、久しぶりの蓮だと実感すればするほど嬉しくなり、うー、と辛そうな声を出しながら両手で顔を覆っている。
 そして、かわいすぎでしょ、と一頻り悶えたあとで、もうむり、と静かな空気を切るように両手を蓮の背に回し、目の前にいる男の子をぎゅうと抱き締めた。

「……れーん〜」
 久しぶりに名前を呼んだら、自分で想像していた以上に優しい声になってしまった。
 ふたりきりの空間が嬉しくて、甘えるように腕の強さを強くする。
「おかえりー、れん」
 身体を預ける蓮の脚に自分の脚を絡ませて、隙間をなくせば独占欲がふつふつと湧いてくる。
 離したくない、離れたくない、ずっとこのままでいたい。
 その気持ちがあらわれたのか、蓮を抱きしめる力を強くするほどに、へらっと笑顔になってしまう。
 肩にひっつく蓮だからこそ、こんな笑顔なんて見えないというのに、それでも自然と笑ってしまう。
「……ただいま」
 そう言う蓮の顔も見れないけれど、きっと同じ顔をしているに違いない。
 お互いに、たった一言、それだけ言ったあとはもう何も言わずに、相手のにおいを感じながら深く大きな息をした。
「えへへー」
「…………」
 何も話してないのに、落ち着く。
 言葉よりも雄弁に、相手を語る体温にひどく安心させられる。
 確かに感じる重さすら、顔も見せずに抱きついてくる行為すら、なにもかもをかわいいかわいいと髪の毛をくしゃくしゃにして猫可愛がりしたくなる。
 なんでこんな可愛いんだろ、と答えのない問いに頭を悩ませては、そんなことを考えられる時間にしあわせを実感する。
 蓮が握る健悟の二の腕、その素手から伝わる体温だとか、くっついたお腹から衣服を超えて伝わる温かさとか、じゃれあうように絡みつく脚とか、抱きしめ合うという一人ではできない行為に安心する。
 ひとりじゃないって、だれかがいるって、そんなことがしあわせなんだと、蓮が初めて教えてくれた。
「……れん〜さみしかったよー、よっかかん。……四日も一人とか、もう無理ぜってえヤダ」
 ぐりぐりと蓮の肩口に頭を押し付けると、罪悪感からか優しく宥めるように頭を撫でてくれた。
「、ワリ」
「……えー、じゃあ、俺もだよ、って言っていいよ。ハートつきで」
「言うかバカ」
 ハッと鼻で笑った息遣いが首筋に届いて、慣れた口調に嬉しくなる。
 言ってよ〜、って甘えながら絡める脚の強さを強くしたり、髪の毛をわしゃわしゃと崩してあげるくだらない時間と話さえ、こんなにも楽しく思える。
 ぎゅーっと蓮を抱きしめれば、ああ俺いま甘えてんなあ、って冷静になるけれど、蓮だからいっか、って、誰にも見られたくない姿もさらけ出せる。




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あきゅろす。
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