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* * *


「うー、さみっ……」
 四月になっても過ぎない夜の肌寒さを感じながら、蓮はポケットに両手を突っ込み闇雲に歩き続ける。
「どこ停まってんだ、あいつは……」
 ぶさくさと文句を言いながら新宿の細道を奥に奥にと歩くのは、いつもの待ち合わせ場所に人が居るからと、見知らぬコンビニを待ち合わせ場所に指定されたせいだ。
 きょろきょろと辺りを見渡しながら見慣れぬ景色に脚を進めていると、メールで指示の合った場所、コンビニ裏の細い路地に一切似合わぬ見慣れた車が停まっているのがようやく見えてきた。
「―――お」
 四日分の荷物を背負い直し、暗闇の中、目を凝らし一点を見つめる。
 助手席側の窓ガラスから見える運転手はこの暗闇の中でも不自然にサングラスを掛けていて、夜に溶けるような漆黒の髪の毛は現場からそのまま飛んで来たのだと物語っていた。
「…………」
 素顔を見せてはいけない芸能人、久しぶりに目の当たりにする“真嶋健悟”に少しだけ足踏みしてしまったのは彼との再会が久しぶりだったということだけではない、運転席側の窓を開けて、珍しくも煙草を銜えていたからだ。
 エンジン音も立てずに完全に停車している車へと、一歩、二歩、珍しがりながらもその黒塗りの車に近寄っていると、ふと運転手の視線の行方が気になった。
「……?」
 煙草の煙を吐き出しがてら窓の外を探るように眺めたり、車載クレードルに収納されている携帯電話を何度も何度もチラチラ見たり、まるで落ち着かない雰囲気は車から数メートル程度離れた道路からも垣間見られた。
 そわそわと落ち着きの無い様子、それは高二の夏休み前、高校の体育館でひとり休憩している“真嶋健悟”にメールを送っていたときも「こう」だった。自分からの連絡を健気に待ち続けてくれる姿がいつまでも変わらずそこにあることが嬉しくて、ついつい心の奥にある柔らかな場所をぎゅっと潰された蓮は、その分かりやすい態度を見ながら顔を覆うことしか出来なかった。
「……くっそ、……かわいーじゃねえかよ……」
 ぼそり、呟いた言葉は誰一人拾うことは無い。
 だからこそ自分を取り戻した蓮は赤くなっているだろう頬を誤摩化すように叩きながら、恋人の贔屓目を覗いても有り余る可愛さを発揮する男に近づいて、―――コツン、助手席の窓を中指で叩いた。
 すると、窓の外を見ていた大きな身体は非常に分かりやすく揺れを覚えてから、一瞬後、「れん」と、小さく口元を動かした。
 車内に声が届かないと分かっているからこそ、あけて、と、口元だけ動かして伝えると、健悟ははっとしたように動きを取り戻したけれど、右手に煙草を持っているということを失念していたらしい、勢いよく右手を車内に入れた健悟は、そのまま煙草の灰を自身の太ももの上に落としてしまい、過剰に肩を揺らす結果となった。
「あっち!!!」
「ぶはっ」
 焦る健悟を笑いつけると同時に助手席のドアを開き、四日分の荷物を足下に追いやってから、馬鹿なミスをした男の隣へと勢いよく乗り込む。
「ってえー……」
「なにやってんだよ、ばぁーか」
 呆れながら蓮が右手を伸ばす先はドリンクホルダーの中に場所が違えど収納されていた携帯灰皿、ん、と言いながら健悟に差し出すと、健悟は苦い顔をしながらジュッと煙草の火を消していた。
「……びっくりしたの。あっちから来ると思ってたから」
 運転席側の窓を指差しながら健悟が言うと、蓮は携帯灰皿を投げやりながら、にやにやと口角をあげていく。
「はーん、だからんな見てたのか、こっちに気付きもしねーでよ」
「、見てたの!」
「見ててわりーか」
 ちらちらと携帯と外を交互に見ていた理由などやはり蓮が思っていた通り、たった四日といえども自分と同じくらい待ち望んでいてくれたのかと思えば思うほど嬉しさは募り、蓮は誤摩化すように口元を抑えた。
 そしてそのまま恥ずかしそうに視線を逸らした健悟が煙を押し出しながら運転席の窓を閉めれば、騒々しかった外の世界とは遮断され、BGMひとつない狭い空間は煙草の残り香で支配されていく。
 煙草の残り香と健悟の香水が雑じった独特な香りは久しぶりに鼻腔を擽るもので、蓮はそわそわと落ち着かない様子で口を開いた。
「……つかなんでいきなり吸ってんの」
「…………んなの、どっかの誰かが居なくなって、口サミシーからに決まってんでしょーが」
 それはまるでいじけるように、唇を尖らせながら言い切る健悟は子供のようだった。
 サングラスをしているせいでその詳細な表情までは見えなかったけれども、それでも蓮の心を射るには十分だったらしい。
(…………あ〜〜〜……密閉空間で香水と煙草まじんのは、なんつーか……このにおいが、マジでエロい、…………言わないけど)
 言わないけど、言わないけど、言わないけど、と、再三心の中で繰り返し、そろそろ車を走らせろと指摘しようとした瞬間―――。
「……れぇーん」
 ぎゅっ、と、不意打ちで右手を盗まれてしまった。
(……う、)
 絡み合うように自身の左手を蓮の右手へと差し出して来た健悟は、件のシルバーリングをカチリと鳴らしながら、相も変わらずすりすりと親指中心に蓮の手の甲を弄り始めた。
 蓮がばっと顔を上げて健悟の顔を見たが最後、サングラス越しにも分かるくらいに何かを我慢しているその表情は、噛み締めた唇からも、強く握る手の指からも直接的に伝わってくる。
「蓮―――」
 そして、小さく蓮の名を呼んでから、蓮と健悟がようやく顔を見つめ合わせた一瞬後、我慢など出来る筈も無い健悟は周囲の視線も気にすることなく右手で助手席のダッシュボードを掴みにかかってきた。
「ちょっ……!!」
 健悟が体勢を立て直し、何をするのか分かってしまった蓮は、焦りながらも寸でのところで左手を出して、そのままめりっと、健悟の顔一面に手のひらを押し付ける。
「…………………………なに」
「なにじゃなくね?!」
 健悟が喋る言葉すら振動となり手のひらに伝わるけれど、蓮はそれに負けじと健悟の顔を押し返し、ハウス、と小声で呟きながら健悟を運転席へと戻し入れた。
「…………」
「っ、舐めんな!」
 少しだけ怒気を孕んだ声音で蓮が言えども、ざらざらの舌がぬるりと掌を這う感触は確かにあって、サングラスの下からまっすぐに見つめてくる視線に負けそうになりながらも、泉の顔をなんとか思い浮かべて踏みとどまった。
「、ダァホ! 外だっつの!」
「う゛ーーーー!」
「うーじゃねえ! おま、丸見えだろうが……!」
 あほ! と突き放すと同時に舐められた手で真っ黒の頭をぺしんと叩くも、一瞬だけ怯んだ健悟はきょろきょろと辺りを見回した後、再び軽い腰を上げてぐっと蓮へと近づいて来た。
「大丈夫。誰もいない。ぜんっぜん大丈夫」
「……おっまえは、もっと、芸能人としての自覚をもて!」
「〜〜〜じゃあ鬘とるから!」
「ばか、余計目立つわんなもん」
「〜〜〜〜じゃあどうしたら良いのもうー!!!」
 ちゅーしたいー!!!と叫ぶ芸能人に呆れた蓮は、もう一本煙草吸えば、と突き放したけれど、当然健悟は納得すること無くじたばたとハンドルに頭を突っ込んでいた。
 すっかりいじけた様子の健悟に対して蓮が頭を抱えていると、健悟の我が侭ばかりが蔓延する車内にて、突然ハッと顔を上げて蓮を凝視してきた。
「……今度はなんだよ?」
 嫌な予感を抑えきれず苦笑いで蓮が問うも、健悟は一切怯むこと無く、ぐいっと運転席からの距離を縮めてくる。
 そして―――。
「ね、ね、」
「あ?」
「じゃあ、……後ろ行く?」
「…………」
 得意げな表情で後部座席を指差した健悟の頭を全力で殴れば、再びお決まりのようにハンドルに頭を突っ伏してしまった。
「いだいよー、も〜〜〜っ!」
 やだやだと車内で喚く健悟を放っておけば、家に着くよりも先に手近なホテルに入ってしまいそうで、蓮は観念するように助手席側の窓を見ながら、ぽつりと呟く。
「…………つか、んなこと言ってる暇あったらさっさと家帰れっつーの」
「―――!」
 お前だけが寂しいとか思ってんじゃねーよ、とまでは声に出さなかったけれども、健悟の位置から見える赤い耳のせいでその言葉は空を渡ってしまったようで、ハンドルから一気に顔を上げた健悟は現金にもその勢いのままエンジンをならし始めていた。
「っ、…………かえる!!」
「……おー」
 そーしてくれ、と小さく呟いたとき、再びぎゅっと蓮の右手を握って来た健悟は、かちり、小指の指輪をわざとらしく鳴らしたあとで、軽く自分の方に引っ張り蓮の意識を呼び寄せた。
「蓮、ちょっとこっち向いて」
「、?」
 健悟が一方的に繋いでいるわけではない、呼応するように蓮も指を絡めていると、次の瞬間、一気に視界が暗くなってしまった。
「おわっ」
 突然、頭の両脇を抜けて耳まで届いた衝撃は、健悟のお気に入りであるサングラスを金の頭に託した証拠で、すっかり色を失った視界に蓮は唇を尖らせ抗議する。
「……なんも見えねーんだけど」
「見えなくていーの」
 マスコミ対策用ね、一応、と付け加える健悟はようやく素顔を見せたようで、クリアになった視界そのままに、いっくよー、と言いながらアクセルを踏み込んだ。
「流す?」
「ん」
 BGMもない車内は余計に相手のことしか見えなくなってしまいそうで、危機回避に蓮はカーナビをコツンと叩いた。
「何聞きてえ?」
「なんでもいいよ」
「んじゃケータイ借りるわ」
「ハーイ」
 すっかり慣れた手付きで健悟に教わった音楽ラジオアプリを立ち上げて、ケーブルに接続すれば、聞き慣れた洋楽がBGMがわりに流れてくる。
 ちょこちょこと操作をしている蓮の横、邪な欲望を埋めながらも安全運転を心がける健悟は最早無心の域に到達していて、集中力を切らせば今にでも押し倒してしまいそうな自分に精一杯の理性を総動員することしかできない。
 そんな健悟の脳内も露知らず、流れてくる洋楽に気を良くした蓮は、ようやく落ち着いた車内と久しぶりの横顔に安心して、ついサングラスをずらして健悟の顔を覗いてみる。
(……あ、そっか、コッチだったんだっけ……)
 そして、眼の色がいつもとは異なることに気付いた蓮がその黒い瞳をぼうっと眺めていると、ハンドルを切りながら器用に健悟が喋りかけてきた。
「なに見てんの?」
「は?」
「すっごい視線感じるんですけど〜」
 綺麗な横顔を崩さぬまま、小さく笑んで蓮の様子を窺う健悟は、職業柄自身に送られる視線には敏感になっていて、いつになくまっすぐに見つめてくる蓮に吹き出しながらそう呟く。
 さらりと運転をしながら蓮を気遣う健悟はすっかり革張りの車内が似合っていて、悔しくも男の自分から見ても格好良いと素直に思えてしまうものだった。やっぱり俺も自分の車買お、とこっそり決意を固めながら、憧れにも近い感情を持て余すことなく本人へと投げかける。
「おまえさー……」
「なに?」
「……やっぱかっけーよな」
「!?」
 すると、突然の反応にびっくりしたらしい健悟が一瞬ハンドル操作を誤りそうになるものだから、蓮は「バカ!!」と声を荒げて注意した。
 蓮から貰った言葉を自身の中に落とし込みながらうずうずと、赤信号で停車するたびにハンドルに額を預けて踞る健悟は最早芸能人の欠片も見えないもので、蓮は呆れながらその頭をくしゃくしゃに撫でてやることしか出来なかった。
「あ゛ー、ちゅーしたいいいぃぃい……」
「そればっかかよ、てめえは」
 笑いながら蓮が撫でる髪の毛はすっかり硬い人工的な髪質が伝わって来たけれど、わしゃわしゃとかき回してやればそのスキンシップは健悟にも十分すぎるほどに伝わっていたらしい。
「………………お願いだから、家帰るまで黙ってて、マジで………………」
 もうほんと、事故る、と覇気無く告げる健悟にすっかり笑った蓮は、弱っている健悟の傍らで、肘置きに重心を預けながらにやにやと口角をあげていた。
「ざんねんだわー、土産話すげーいっぱいあんのになー」
「……それは明日たっぷり聴く予定デス」
「あれ、明日は?」
「オフに決まってんでしょ」
「決まってんだ」
「決まってるよ」
 四日分の話死ぬ程訊くから、と眼の色を変えた健悟は嫉妬心剥き出しで、もちろん何にもなかったよね、と心の準備無くしては訊けぬ質問をぐるぐると脳内に巡らせていた。
「…………帰ったら腫れるまでちゅーしてやる……」
 恨み言のように呟く健悟にどん引きする蓮は、重心を肘置きからドアアームレストへと変更して、冗談ともとれない健悟の台詞に笑顔を無くして返答する。
「……俺先寝るかんな」
「寝ててもしてやる!」
「……明日腫れてたら武人ん家逃げっから」
「やーだーーー!」
「うるっせえ、ガキかよ」
 吐き捨てるように言ってから健悟を見れば、やだやだと触れ回るのかと思った様子とは一変、すっかり萎んだ表情を見せるものだから、う、と思わず反論を引っ込ませてしまった。
「……だってもー蓮足んなくてムリ、すげー限界だもん……」
「…………」
 そして、こんな一言が可愛いとすら思ってしまうあたり、結構自分も限界なんだろうな、と口に出さずとも胸に手を当て考えていた。






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