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「ねえねえっ、イガが食べたことないの頼もうよ〜、ぜったい食わず嫌いおおそ〜!」
「おま、けっこー腹一杯だっつの!」
「だいじょぉーぶ、西さんトコならぜんぜん食えるって〜」
「食えそーだからこえーんだよっ!」
 あれもこれもと勧めてくる恭祐にそれは食べれる食べれないと一々答えながら、その傍らで恭祐が言っていた台詞を思い出す。
「…………」
 「嫌い」だと勝手に決めつけて守備範を囲狭くするのが良くないと正論を言い切った恭祐、自分で勝手に、嫌いだと思ってるだけかもしれないと。
 年下の男に諭される自分もどうかと思いながらも、悔しくも世界が広がった気がする感覚を否定することはできず、蓮は店に脚を踏み入れたときよりも百倍すっきりとした顔で目の前のお酒を飲み干していく。
「なあ。恭祐。おまえは? 嫌いなもんってねえの?」
「うーん、そうだね〜、いまはあんまりないかなぁ〜」
 ぱらぱらとメニューを捲りながら答える恭祐は蓮の顔も見ていなかったけれど、楽しそうにメニューを見ているその表情から強ち嘘ではないのだろうと伝わってくる。
「今は、って。食えるようになったってことか?」
「うん。ここでね〜」
「…………あー」
 なるほど、だからここに今日ここに連れて来たのか、と、最初から仕組まれていたらしい恭祐の行動に恥ずかしくなりながら、視界に入るメニューの品目を闇雲に唇に乗せて行く。
「レバーは?」
「すきぃ〜」
「白子」
「ふつうかなぁー」
「ゴーヤ」
「すきだよー」
「セロリ」
「ふつうぅ〜」
「納豆」
「すーき」
「うーん……えー……ピーマンなすレーズンしいたけトマト……」
「はいはい。ぜーんぶ食べれますぅー」
「……マジかよ、すっげーなおい」
「ね、どっちかデショ? おれん中って、ほっとんど“スキ”と“フツウ”しかないみたい」
 右手の人差し指を立てて、すき、と、左手の人差し指を立てて、ふつう、と、まるでキライという項目が存在しないかのように素直に言い切る恭祐に感心しながら頷いていると、えらいでしょ、と自信満々に言い切られてしまった。
「……ムカつくけどえれーわ、それは」
「食べ物もそうだけどね、だいたいのものはすきだよ〜。人でもモノでも、場所とかさぁ〜」
「ふうん……じゃああれか、おまえ的に解釈すれば―――もしいま嫌いなモンがあるとしたら、そりゃもうよっっっぽど嫌いってことか?」
 これだけ好奇心が旺盛が恭祐のことだ、どれもこれも試してから「嫌い」だと判断しているということなのだろう。
 そう思って蓮が軽い気持ちで問いかけると、恭祐はたっぷり三秒使って良い笑顔を作り出したのち、何の戸惑いも無く言い切った。

「―――うん。すっげえ大っ嫌い」

 笑顔で言い切ることが逆に嘘偽りなく不気味に思えて、蓮は恐る恐るその先へと一歩踏み込んで行く。
「……んなもんあんの?」
「あるよ〜」
「マジ、なになに?」
「えぇ〜。ないしょぉー!」
「てめっ、ずりーぞ!!」
「あはは、ヒトツだけね。あとはぜーんぶ一緒なの」
 先ほどは「すき」だと掲げた右手の人差し指を再度掲げて、「嫌い」だと、そのまま唇へと人差し指を移した恭祐は、「内緒だよ」とまるで口封じのようにポーズをとるものだから、蓮はそれ以上踏み込んでもきっと何も教えてくれないだろうと悟り先の言葉を飲み込んでしまった。
 これだけ開けっぴろげにしている恭祐の秘密ごと、たったひとつの「嫌い」だと言う言葉は、逆に言えば余程執着しているということで、その「トクベツ」にも似た響きに蓮は暫し考える。
 含みのある言い方からしてきっと食べ物なんかでは無いのだろうと伝わるけれど、きっと出会って試してキライになって、それでもずっと気にし続けている「ナニか」が、恭祐の根底にあるということなのだろう。
 もっと仲良くなったら、これからずっと一緒に過ごしたら、……そこはいつか踏み込める場所なのだろうかと、蓮の心に若干の引っかかりを残しながら恭祐はさりげなく話題を次へと移して行く。
「はいじゃあ次のメニュー頼むよ〜。先入観なんて捨てちゃえ捨てちゃえ〜」
「おま、だからクソ腹いっペーだっつーの!」
「なーに言ってんの、いけるいける、大学生だよぉー? もっとじゆーにさぁ、やりたいことやってさぁ、うわ最悪って思ったときに止めりゃあ良いじゃぁーん?」
「………………なんか、おまえってそんな感じするわ」
「えぇ〜?」
「……すげー自由っつーか。なんか好きなことやって、好きなだけ成功してそう」
「あは、おれ褒められてる〜?」
「ある意味な」
「まあ何事もね、やってみなきゃわかんないってね、明日から楽しいことあっといいね」
「…………だな」
 えへ、と笑う恭祐が、サークルとかバイトとか、やることいーっぱいあるんだからねぇー、と呟いたことに微笑むと、その瞬間、ブブ、と聞き慣れた振動が身体へと伝わって来た。
「、」
 振動の正体は、背中側に放置していた携帯のバイブだと辿り着くと、時間も忘れて話していた自分に漸く気付いて、少しだけ焦りながら携帯電話を握りしめる。
 携帯電話を見せればテーブルを越えて正面から奪われそうだと思うくらいには恭祐への信頼度が低く、画面を見せぬようにと少しの注意をしながら受信メールを開いた。
 送信元は言わずもがなすっかり慣れた赤い絵文字の張本人で、数時間待ち望んでいた「仕事終了」の連絡だったというのに、終わったと告げるにはあまりにも早い時間をさしていたからこそ、また事務所に無理を言って撮影を早めたのではないかと肩を落とすことしか出来ない。
「………………」
 ここで、「ちゃんと全部撮影が終わるまで帰ってくるな」と「逢わない」と言い切れれば格好良いのだけれど、四日もぽっかり空いている胸の奥底は情けなくもそのたった数時間を堪えることができず、悔しさを含みながらも、右手は勝手に待ち合わせ場所を尋ねていた。
「―――……恭祐、マジわりぃ、注文待った。俺そろそろ帰んねーとだわ」
「あ〜、……そっかぁ、は〜い」
 携帯電話から顔を上げた蓮の表情を見れば画面の先に住んでいる人物が聞かずとも分かってしまい、恭祐は誰だと尋ねることなく自分のグラスに氷をカチャカチャと注ぎ足している。
「また明日……じゃねえ土日か、また月曜な?」
「ほ〜い」
 緩い恭祐の返事に財布から三千円だけ出してテーブルに置いたとき、財布の中にはもう小銭しか入っていないことに今更気付いてしまった。
「うわっ、わり、足りねえ分月曜払っても大丈夫か?」
「えー、いいよ別にー。俺が誘ったんだからー」
「んなわけいくかダァホ」
 どっちが年上だと思ってんだ、と恭祐には聞き慣れぬ言葉と渡され慣れぬ現金を押し付けて、携帯電話を片手に手早く荷物をまとめて立ち上がる。
「今日ありがとな、すげー良い店だった。また連れて来てよ、俺きっと一人じゃ辿り着けねえから」
「あは、もちろんー」
 そして個室の扉を開けてからは靴を履きながらそう言って、嘘ではない心からの言葉を恭祐に届けるころには、数日前までは確かに合った胸の閊えとちっぽけな先入観がごそっと剥ぎ取られているような気さえしていた。
「っしゃ、じゃあな」
「うん、またね〜」
 だからこそ、少しだけ酔ったぽわぽわとした心境で、気持ちの良いまま離れようとしていた、―――のだけれど。
「―――あ。言い忘れてた」
「ん?」
 ひょこ、と再び顔を出した蓮は急ぎながらも荷物を背負い直していて、赤い顔で謝罪していたあのときとはまるで別人のように、恭祐を見下ろし唇を開く。
「合宿んときの話。―――自由に何しようがおまえの勝手だけどさ、ああいうこと、俺が好きじゃねえってことだけは覚えとけよ」
 裏を返せばその話は二度とするなと言われているようで、金色の見た目とは裏腹な内面に、綺麗な漆黒が似合う十年前の姿を思い出した。
「………………ハァイ、おにーちゃーん」
「誰がおにいちゃんだよ、こら」
「あはは」
こら、という怒気混じりの言葉と共に、扉を掴みながら恭祐に殴り掛かろうとしたけれど、笑いながら避けられれば当然すかっとその手は空を切ることしか出来なかった。
「おまえはもう少し居んの?」
「うんー、もうちょっとだけ飲んでく〜」
「そ。じゃあな」
「うん、また月曜ねぇ〜」
 ばいばぁい、と優しい口調でカラカラと氷を鳴らす恭祐は年不相応にその姿が似合っていて、蓮は呆れたように溜息を吐きながら再び右手を上げてから扉を閉めた。



「…………」

 そして、ぱたり、すっかり一人の空間になった個室で右手に持っていた酒を一気に呷った恭祐は、ぷは、と息を吐いてから深い溜息を空中へと吐き出す。
「―――オニーチャン、だってー……」
 つい出ちゃった、と呟く恭祐はあたかも失敗したと言いたげな苦い顔を浮かべていた。
 けれども、うげえ、と言いながらわざとらしく舌を覘かせた恭祐の歪んだ表情は、誰一人として捉えること無く消えて行った。




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