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* * *



「―――……なんか、意外と早かったな」
「ん?」
 ドサッ、四日分の大きな荷物を地面に投げた蓮が佇む場所は東京駅のホームを抜けた比較的広いスペース、引率の教師が人の少ない場所にと誘導するものの学科一クラス分の人の多さはどうすることもできそうになかった。
 混雑している東京駅という場所に更にわらわらと固まる大学生は邪魔ではないだろうかと、蓮は眉間に皺を寄せながら周囲を見渡していたけれど、東京の人は慣れているのだろうか、じろじろとこちらを見ることすらなく自分の行く先だけを皆見つめ続けているようだった。
 だからこそ周囲を気にすることを止めて、身体だけは点呼を始める教師の方を向きながら、聞き返してくる恭祐に向けてその答えのようなものを返す。
「……合宿。四日もあるっつーからもっとなげーと思ってたんだけど」
「え〜、イガー、それは俺が居たから楽しかったよ〜早かったよ〜、ってコトー?」
「…………」
 にやにやとした顔で蓮の表情を覗いてくる恭祐の両頬を片手で掴んで、離れろと言葉にすることなく自分の目の前から引き剥がす。
 蛸のように尖った唇は何か言葉を発しようとしていたけれど、蓮の手が邪魔で喋ることが出来ないのかひたすらもごもごと文句のような雑言を浮かべているばかりだった。
「……おまえのそのバカみてえな思考も4日も居たら慣れんだな」
「ぷはっ! もう、ひっどぉーい!」
 蓮の言葉も行動も、酷いと罵るわりには哀しい顔をすることもなく、けらけらと笑う恭祐は教師の挨拶もそっちのけに蓮のことをかまい倒していて、二人揃って中身の無い無駄話をしているうちに「解散」というキーワードだけが都合良く耳に届いた。
 都合良く聞こえる教師の声と同時にお尻についた埃を払いながら蓮が立ち上がれば、隣に居た恭祐が未だ胡座を掻きながら見上げてくる。
「ねえねえ、イガはこの後時間あるのー?」
「? あー、まあ、夜まではヒマだけど」
 時計を見れば未だ昼下がりの14時、今日の夜まではドラマの撮影が入っている健悟のスケジュールに合わせれば時間的にもかなりの余裕があった。
「ふ〜〜〜〜ん?」
「……んだよその顔」
 だからこそ正直にヒマだと答えたのだけれど、その答えが気に入ったのか恭祐は嬉しそうに頬を緩ませて、まるで重い荷物のことなど忘れ去るかのように立ち上がり、蓮の肩に右腕を組んできた。
「イーガァ〜」
「なんだよ?」
「―――飲み行こっ?」
「……いつ?」
 眼を細める笑い方が憎らしい程に似合っている綺麗な顔には嫌な予感しか募らず、蓮が眉を顰めて訊いてみると、案の定恭祐は大きく頷きながら左手の拳をオーバーなほどに突き上げてきた。
「もっちろん、いまァー!」
「おま、昼間っから……つかてめぇは未成年だって何回言わせんだコラ」
 こら、と言いながら恭祐の鼻を親指と人差し指でつまむけれど、当の本人からは一切の反省が見られず、鼻にかかる声で悪怯れなく唇を尖らせてくる。
「え゛〜っ、そういうイガだって未成年だし〜。っていうかイガよりお酒強いし〜」
ぶーぶーと不平不満を言うように蓮の顔を覗き込んでくる恭祐に対して、蓮が視線だけで咎めたけれど、その眉間に寄った皺を視界に入れた恭祐はわざとらしく俯いて、蓮の腕をぶんぶんと揺らし始めた。
「え〜……だめぇー?」
「……う、」
「イ〜ガ〜。おれ、イガとふたりで飲みたぁーい〜」
「…………」
「ねーえー」
「………………」
 わらわらと解散していくクラスメートの中、誰に見られるでもなくただひとり蓮だけに向けて、明らかに甘えて来ている恭祐の様子は、散々からかっていた「年下フェチ」というキーワードに対する挑戦だったとすぐに分かったけれども、それを抜きにしても素直に喜んでしまう心があった。
「…………」
 今迄自分が一番年下扱いされてきた中で、年上が多い周囲とは違う恭祐の存在、年下だと聞けばオニイチャン気分が発動するのも無理はなく、頼られ甘えられることは素直に嬉しいと思うほか無かった。
だからこそ、悔しいけれど―――。
「………………はぁ…………―――ちょっとだけだかんな?」
「! やったー!」
 負けた、と少しだけ思いながら返事をしたにもかかわらず、そんなことは関係ないとでもいうように笑う恭祐の顔を見たら変な意地を張っていた自分が馬鹿馬鹿しくすらなってしまう。
「つかどこ行くんだよ、荷物スゲー邪魔だけど」
「んー。とりあえず新宿まで出よっかぁ、店予約しとくネ〜」
「んな昼間っからやってる飲み屋あんの?」
「えぇ〜、ぜんぜんあるよぉ、オイシー居酒屋さんにオネガイしてみるねー」
「…………おねがいしゃーす」
 オネガイ、と言う時点で「この時間には開いていない」気がしたけれど、恭祐の笑顔に騙されたふりをして、新着メールの届いている携帯電話をパカリと開いた。
『―――合宿終了。恭祐とメシ食ってく。仕事終わったら連絡して。帰る。』
 絵文字も顔文字も無い簡素なメールを送信する相手はもちろん撮影中の芸能人、たかが四日だというのに顔を見ることがなんだかとても久しぶりな気がして、宛先である真っ赤なハートマークの絵文字を視界に入れるだけで柄にも無く心臓が煩くなってしまった。
 数日前までは一人で寝ることに得意も不得意もなかったはずなのに、頭の下に敷かれる腕の感触が、髪の毛を揺らす寝息が、絡まる脚の重さと体温が、朝一緒に起きたときには必ず腕が痺れたと告げる懲りない笑顔がいつの間にか当たり前になっていて、不覚にも独り寝が不得意になってしまっていたらしいこの事実を伝えたら、あいつはどんな顔をするんだろう。
 ずっと一緒に居たあとに、離れてみて気付いたこの感情を「寂しい」と呼ぶのかは分からないけれど、柄にも無く逸る気持ちを抑え冷静になるためには、仕事に勤しむ芸能人のことは一旦忘れ、何も考えずに恭祐と一緒に過ごすことが確かに得策な気がしていた。




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あきゅろす。
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